春をまつことのはじめや酉の市
芭蕉の弟子、其角と言う人の句だそうで、酉の市は正月を迎える最初の祭りとされていました。
まぁ、年が明ければ新春というわけですから、酉の市が終われば春まで1月あまりってな事にはなるんでしょうが、さすが江戸っ子、気の早い話ですにゃぁ。
花園神社大酉祭、一の酉に行ってきました。
酉の市の始まりは、江戸近郊に位置する花又村(現在の足立区花畑にある大鷲神社)だといわれ、近在の農民が鎮守様の「鷲大明神」に感謝した収穫祭だったんだそうですね。祭りの日、氏子たちは鷲大明神に鶏を奉納し、終わると集まった鶏は浅草の浅草寺まで運び、観音堂前に放してやったんだとか。
のどかなもんです。
ちょっと遅い時間だったんで、人気も少なくなって歩きやすかったかな。
ところで、この酉の市、「なんで熊手なのよ?」ってなことが子供の頃から不思議だったんだけど、タイムリーなことに前に紹介した「アースダイバー」って言う本の続きをを読んでたら、この酉の市のことが紹介されてたんですよ。
だってさぁ、鳥の市だってのに、鳥の気配なんてどこにもないじゃないですか。
あえて言うなら、市を開いてる神社は大鳥神社に関係があるってな事ぐらい。
で、例によって無性に見に行きたくなって、ふと気がついたら、ありゃ、今夜じゃないかってんで、慌てて出掛けていったんですよ。
おいらも、なかなかにせっかちなのだ。
花園神社でお参りをして、1枚撮ってもらいました。
「日本武尊を祭神とし、尾州徳川家に祀られたと伝わる新宿大鳥神社は、花園神社の境内に鎮座されています」っていうんで、探してみると、確かに日本武尊をお祭りしてるんですね。
しらんかった。
花園神社のサイトで面白かったのは
<「酉の市」は関東特有の行事ですが、静岡県浜松でも行われています。かつて徳川家康の駿河国の行事だったものが家康江戸入府とともに伝来したという説もあります。それが前述の起源と結びついて、武神としての信仰から、商人の守り神へと転化されたようです。>
ってな下りがあったこと。
僕が子供の頃連れて行かれた酉の市は愛知県豊橋市の神社なのだ。
幕府を開く時、三河藩士を連れて行ったと言うから、その辺も関係あるのかな。
でもね、もっと興味なのは、この熊手なんかの竹細工を作ってる山窩(さんか)の人たちの一大聖地がこの豊橋にあるって事かな。
山窩(さんか)の人たちってのは前にもちょっと紹介したけど、まぁわかりよく言ってしまえばマタギみたいに移動する暮らしぶりの人たち。縄文系文化を守ってきた人たちなのかも知れない。三角寛の事って、書かなかったっけか?
話しをもどそう。
どこで鳥が姿を消したのかってな話し。
いや、その前に、なんで大鷲神社(おおとりじんじゃ)なのかって事もね。
だって、ニワトリからワシじゃぁ、ずいぶんな出世じゃございません事?
<江戸名所図会の記述では、「縁起と御祭神不明なれどかっては土師大明神であり浅草寺の奥の院とも世俗がいうところから、浅草寺の縁起である土師臣中知との関連の縁起であり、出雲臣の祖天穂日の子であり土師氏の祖である建比良鳥命を祀り、ハジがなまってワシとなったのではないか」、と類推しています。>
土師(はじ)つまり土器造の祖の建比良鳥命(たけひろとりのみこと)を祀っていた江戸時代の花畑(花亦村)の大鷲大明神はオオワシであってオオトリではなかったということ。
浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)は、繊維の祖の天之日鷲命(あめの ひわしのみこと)と日本武尊(やまとたける)を祀っている。
天之日鷲命は、天照大神を天の岩戸から誘い出す時の音楽担当だったそうで、ストリップ、いや、7枚のベールの踊りか?を踊ったのは言わずと知れた天宇受売命(あまのうずめのみこと)。で、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸をこじ開け、光が射すと楽器の弦にの先に鷲がどこからともなく飛んできてとまったんだそうな。
タケルちゃんの方は、死んで白鳥(しらとり)になってっていうから、まぁ、どっちも大きいトリつながりで「おおとり」なのかねぇ?
日本武尊とセットで祀られてることも多い大鳥連祖神(おおとりのむらじ の おやがみ)でもいれば、まだわかるんだけど。
ふぅ。
さて、どこで鳥が姿を消したのかってな話し。
その、アースダイバーって本によると、意外に新しくってね、明治37年のことなんだって。
続きはまたあとで。
芭蕉の弟子、其角と言う人の句だそうで、酉の市は正月を迎える最初の祭りとされていました。
まぁ、年が明ければ新春というわけですから、酉の市が終われば春まで1月あまりってな事にはなるんでしょうが、さすが江戸っ子、気の早い話ですにゃぁ。
花園神社大酉祭、一の酉に行ってきました。
酉の市の始まりは、江戸近郊に位置する花又村(現在の足立区花畑にある大鷲神社)だといわれ、近在の農民が鎮守様の「鷲大明神」に感謝した収穫祭だったんだそうですね。祭りの日、氏子たちは鷲大明神に鶏を奉納し、終わると集まった鶏は浅草の浅草寺まで運び、観音堂前に放してやったんだとか。
のどかなもんです。
ちょっと遅い時間だったんで、人気も少なくなって歩きやすかったかな。
ところで、この酉の市、「なんで熊手なのよ?」ってなことが子供の頃から不思議だったんだけど、タイムリーなことに前に紹介した「アースダイバー」って言う本の続きをを読んでたら、この酉の市のことが紹介されてたんですよ。
だってさぁ、鳥の市だってのに、鳥の気配なんてどこにもないじゃないですか。
あえて言うなら、市を開いてる神社は大鳥神社に関係があるってな事ぐらい。
で、例によって無性に見に行きたくなって、ふと気がついたら、ありゃ、今夜じゃないかってんで、慌てて出掛けていったんですよ。
おいらも、なかなかにせっかちなのだ。
花園神社でお参りをして、1枚撮ってもらいました。
「日本武尊を祭神とし、尾州徳川家に祀られたと伝わる新宿大鳥神社は、花園神社の境内に鎮座されています」っていうんで、探してみると、確かに日本武尊をお祭りしてるんですね。
しらんかった。
花園神社のサイトで面白かったのは
<「酉の市」は関東特有の行事ですが、静岡県浜松でも行われています。かつて徳川家康の駿河国の行事だったものが家康江戸入府とともに伝来したという説もあります。それが前述の起源と結びついて、武神としての信仰から、商人の守り神へと転化されたようです。>
ってな下りがあったこと。
僕が子供の頃連れて行かれた酉の市は愛知県豊橋市の神社なのだ。
幕府を開く時、三河藩士を連れて行ったと言うから、その辺も関係あるのかな。
でもね、もっと興味なのは、この熊手なんかの竹細工を作ってる山窩(さんか)の人たちの一大聖地がこの豊橋にあるって事かな。
山窩(さんか)の人たちってのは前にもちょっと紹介したけど、まぁわかりよく言ってしまえばマタギみたいに移動する暮らしぶりの人たち。縄文系文化を守ってきた人たちなのかも知れない。三角寛の事って、書かなかったっけか?
話しをもどそう。
どこで鳥が姿を消したのかってな話し。
いや、その前に、なんで大鷲神社(おおとりじんじゃ)なのかって事もね。
だって、ニワトリからワシじゃぁ、ずいぶんな出世じゃございません事?
<江戸名所図会の記述では、「縁起と御祭神不明なれどかっては土師大明神であり浅草寺の奥の院とも世俗がいうところから、浅草寺の縁起である土師臣中知との関連の縁起であり、出雲臣の祖天穂日の子であり土師氏の祖である建比良鳥命を祀り、ハジがなまってワシとなったのではないか」、と類推しています。>
土師(はじ)つまり土器造の祖の建比良鳥命(たけひろとりのみこと)を祀っていた江戸時代の花畑(花亦村)の大鷲大明神はオオワシであってオオトリではなかったということ。
浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ)は、繊維の祖の天之日鷲命(あめの ひわしのみこと)と日本武尊(やまとたける)を祀っている。
天之日鷲命は、天照大神を天の岩戸から誘い出す時の音楽担当だったそうで、ストリップ、いや、7枚のベールの踊りか?を踊ったのは言わずと知れた天宇受売命(あまのうずめのみこと)。で、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸をこじ開け、光が射すと楽器の弦にの先に鷲がどこからともなく飛んできてとまったんだそうな。
タケルちゃんの方は、死んで白鳥(しらとり)になってっていうから、まぁ、どっちも大きいトリつながりで「おおとり」なのかねぇ?
日本武尊とセットで祀られてることも多い大鳥連祖神(おおとりのむらじ の おやがみ)でもいれば、まだわかるんだけど。
ふぅ。
さて、どこで鳥が姿を消したのかってな話し。
その、アースダイバーって本によると、意外に新しくってね、明治37年のことなんだって。
続きはまたあとで。
やっぱり、くまさんっぽいっすね。
お祭りの神社っていいっすよね。
時間があったらおいらも行きたいなぁ。
今週末はまた試合です。
久しぶりに地方の会場です。(今回は書きません)
夏の嫌な思い出が時々甦ってきてしまうんだけど、
落ち着いてがんばってきます。
減量が難しくなってる最近のおいら。(汗)
ひとつ階級上げることも考えないといけないのかも
しれないんすけど、まだ自信がないっす。
そういえば、この間、スーツ姿のボスに会いまし
た。街でばったりと。
スーツ着たの初めて見たんすけど、
あのパツンパツンの透け競パンとはまた違うカッコ
よさでした。
では行って来ま~~す。
一夏の経験を乗り越えて、みんな大人になっていく
のよ。