くまえもんのネタ帳2

放置してたのをこちらに引っ越ししてみました。

I was born.

2005-02-27 10:52:13 | ノンジャンル
どこからが殺人?
中学生の頃、僕はそう父に聞いたことがある。
マスターベーションを憶えた頃で、たまたま学校の図書館で見つけた平凡社の百科事典に精液の鑑定法が出ていて、自分ははたして正常の範疇にあるのかと、ひそかに自分で検査したと言う経験の後だった。奇形の精子が何%以上では不妊になるとか、かなり詳しく紹介されていたのを憶えている。
オモチャの顕微鏡でも十分生命の神秘は確認できたのだった。

ひしめく精子。
いるいる。正常なのも奇形も。
これも、僕?
僕は、僕を殺している?

父の法律的見解はこうだった。
日本では、母胎から出た子どもが産声を上げた瞬間からが、人間として認められるのだと。出産時に母胎が危険な状態になれば、カンシで胎児を切り刻むことも医療行為だとも。
母体を残すか赤ん坊を残すかという選択では、母体が優先されると言っていたように憶えている。
その時、かすかだけれども、とてつもなく深い恐怖と不信感も感じたのだった。
たまたま両親が僕の出生を望んでいたから良かったようなものなのだと。

I was born.

人は生まれるのではなく、生まれさせられるのだと言うことを書いた、吉野弘の詩を知ったのも中学の頃だったな。
もっとも、その詩は、子供を産んでまもなく世を去っていく母のことをも詠われていたのだけれど。

マスターベーションが、どうやら殺人ではないと言うことはわかったけれど、
受精卵が個人の出発点とは認められていなかったことにとまどいを感じた思春期だったのよね。
そして、今日はこんな詩を見つけた。


芝生

そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ

谷川俊太郎「夜中に台所でぼくはきみに話かけたかった」

http://astr-www.kj.yamagata-u.ac.jp/~shibata/tomygyo.html



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