くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景150 第20景 川口のわたし善光寺 岩淵水門

2014年02月02日 09時30分19秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回は、東京都・北区(きたく)の朝の岩淵水門(いわぶちすいもん)を撮影した時の話です。野鳥がらみの話が続いていますので、「くまドン」の地元・江戸川区の葛西臨海公園の前に入れておきます。
 岩淵水門は荒川(あらかわ)と隅田川(すみだがわ)を仕切る水門です。撮影日は昨年・平成25年2月10日頃です。
 下の写真は、朝日を浴びる大正13年竣工(しゅんこう)の旧岩淵水門(赤水門)です。

 写真の奥のビルのある対岸は埼玉県・川口市(かわぐちし)になります。

 安土・桃山時代の豊臣秀吉(とよとみひでよし)による小田原征伐後に、江戸時代の初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が関東に移封された頃は、荒川と利根川は関東平野の中間で一つの大河川となり、関東平野の低地部を網の目のように流れ、毎年のように氾濫(はんらん、洪水)を繰り返していました。
 本格的な利根川・荒川の治水は家康の時代から始まりました。3代・家光(いえみつ)の寛永年間頃に、荒川から利根川を分離する河川の付け替え工事が行われます(利根川の東遷、荒川の西遷)。この付け替えの結果、荒川は現在の岩淵水門付近を通過して、現在の隅田川に流れ込むようになったのです。
 その結果、荒川と利根川に挟まれた低地の広大な氾濫原が農地に変わっていきました。徳川幕府は隅田川下流部の江戸の町の治水を優先した為、現在の荒川区付近から上流部は逆に洪水が多発するようになりました。
 岩淵水門の近くにある荒川知水資料館には、8代・吉宗(よしむね)の寛保年間の大洪水で上流にあった埼玉県・川口市にある善光寺の仁王(におう)様が大洪水で流される話がありました。下はその絵の一部です。


 下の絵は、広重の名所江戸百景「第20景 川口のわたし善光寺」(春景)です。

 現在の東京都北区と埼玉県川口市の間に架かる新荒川大橋付近で、下流(南東)から上流(北西)に向かって、荒川の流れを描いた絵です。
 全体の絵の構図を斜めの線とS字構造で表現しています。荒川の流れもS字にくねっています。現在の荒川は河川改修により、直線になっていますが、江戸時代の荒川は蛇行した川でした。現在も、地図で東京都と埼玉県の間の県境を見ると、昔の蛇行していた時の流路を想像することができます。
 右手前が川口の渡し船です。それ以外にも荒川の源流である秩父の山から切り出された材木がイカダ(筏)となって、荒川を下っていきます。この広重の絵の改印(幕府の出版許可印)は、安政2年10月の江戸の町が大被害を受けた安政江戸地震(あんせいえどじしん)から、1年余り後の安政4年2月の事でした。当時は被害を受けた江戸の町の建て直しにより、材木の需要が大きくなった時でした。
 手前の川岸には、渡し船を待つ人がいて、茶屋があります。そして、川向うの林の中にあるのが善行寺です。

 少し上流に新荒川大橋があります。広重の絵は、この新荒川大橋付近から上流の埼玉県側を描いた絵です。

 東京側の河川敷には、バーベキュー広場や水位観測所があります。

 下は、並行する新河岸川の堤防です。真っ直ぐな堤防ですが、江戸時代の荒川は新河岸川のある所まで蛇行していました。東京都と埼玉県の境界線が過去の荒川の流れを物語っています。


 江戸時代の土木技術は人力中心の時代ですから、治水対策として、できることは限られています。結局、江戸時代において、この状況は変えることはできませんでした。
 明治43年の大洪水による大きな被害(家屋流出1500戸、浸水家屋27万戸、死者223人、行方不明245人、堤防決壊300箇所、橋梁被害200箇所)により、ついに荒川放水路の建設が決定されました。
 下の地図も、岩淵水門の近くにある荒川知水資料館にあった地図です。東が上で、北が左なので、分かり難いですが、大正2年から昭和5年の17年がかりで造られた荒川放水路が赤線で示されています。
 明治時代の頃の荒川ですが、左下から右上に流れている川(水色)が荒川(隅田川)です。当時の荒川の蛇行を見る事ができます。現在の岩淵水門付近も、かなり蛇行していました。

 左下の黄色○印で囲った所が、岩淵水門のある所です。右上の屈曲部が鐘ヶ淵(かねがふち)、線路のある付近が千住(せんじゅ)の町です。

 荒川放水路が完成した大正5年から、岩淵水門の建設が始まり、大正13年に完成します。
 新水門が完成した時に取り壊される予定でしたが、地元の要望により、歴史的価値が認められることになり、残ることになったのです。この旧水門は、右側の中之島(水門公園)まで歩いて渡れます。
 その結果、公園の右側の堤防を切って、隅田川に水を流しています。
 下の写真は、荒川放水路と隅田川の分岐点の堤防から旧岩淵水門や荒川上流部を眺めた写真です。

 この写真を、広重の名所江戸百景「第20景 川口のわたし善光寺」に対応する「くまドン板」の景(確定・冬景)とさせていただきます。
 (このプログは、名所江戸百景の現代版である「くまドン版」を作ることを第一目標としています。)

 朝早いので、通行する船も少ないですが、今も多く船が荒川を往来しています。

 その後、旧水門周辺では地盤沈下が発生し、この問題に悩まされました。老朽化に伴い、新しい水門が造られる事になり、下の写真の親水門(青水門、昭和49年着工・昭和57年完成)の完成により、旧水門は役割を終えました。

 下の説明は、堤防の説明板の一部です。平常時と洪水時の水門の役割を航空写真で説明しています。

 右の洪水時は、荒川放水路の河川敷(この辺はゴルフ場)まで水浸しですが、岩淵水門で仕切られているので、隅田川には右下の新河岸川(しんかしがわ)からの水しか流れなくなります。江戸・明治時代は両方の河川の水が隅田川に流れていたわけです。

 下の写真は、岩淵水門から隅田川下流部を撮影した写真です。正面が隅田川で、スカイツリーも見えます。
(絵画調)

 左の堤防の向こう側に荒川放水路が並行して流れていますので、隅田川の左の堤防は荒川放水路の堤防の高さと同じです。右手から新河岸川が合流していますが、右の堤防は隅田川の堤防ですが、高さが低いのが分かります。こうして左右の堤防の高さを比較すると、隅田川の堤防が荒川の洪水を遮断することにより守られているのが分かります。

 岩淵水門で撮影中に荒川放水路の対岸の埼玉県側に筑波山(つくばさん)が見えるの気がつきました。左上の双耳峰(二つのピークを持つ山)です。この付近は、反対の東京側には富士山が見える事でも知られています。
 下の写真は、上の空と下の水面の明るさが違い過ぎて、上の空に明るさを合わせると、下の水面が暗くなり、下の水面に明るさを合わせると、筑波山が見えなくなるので、画像処理のグラデーションで明るさを調整しました。写真で言えば、ハーフNDフィルターを使用しているのと同じ結果になります。

 よく見ると、ここにも水鳥がいます。カモかな?と望遠一杯まで拡大すると、何か違うような?

 さらに、撮影した上の写真を拡大すると、・・・・ウ(鵜)です。一体何羽いるのでしょうか?

 ウが増え過ぎると、魚食い放題になりますので、さすがに、ここまでウの数が増えると・・・・・・・・
【カワウ】
 江戸時代は普通に川に生息していた鳥ですが、昭和40年代には3000羽までに数を減らし、繁殖地は愛知県の鵜の山(うのやま)、東京・上野(うえの)の不忍池(しのばずのいけ)、大分県の大黒島の3カ所に限られていて、天然記念物に指定される状態でした。保護の結果と、繁殖力が強い為、昭和50年代頃から個体数が増え始め、現在では6万羽以上まで増えて、生息域を拡大しています。
 しかし、カワウはコロニーで巣を作り、多量の真っ白な糞により水質悪化や悪臭などの原因となったり、木を枯らす原因となったりします。また放流魚などを大量に食べるので、漁業被害が深刻な問題となっている場合もあります。
 あまりに増え過ぎの問題が大きかった為、平成19年には、保護対象から狩猟可能な鳥に戻りました・・・・・・

 再び、赤水門の方に戻ると、水門付近にいたカモの群れが泳いでいました。

 拡大してみると、頭が赤茶色のカモです。胴体部に白い線があるので、「ヒドリガモ」です。

 「ヒドリガモ」と同じ様に頭が赤茶色のカモに「ホシハジロ」がいますが、胴体部の全体に白い部分が多いです。
 「ホシハジロ」は海ガモで、葛西臨海公園の方で紹介します。

 荒川知水資料館の屋上から荒川と新河岸川を眺めることができます。右が荒川、左が新河岸川です。
 当日は、早朝だけの撮影でしたので、この写真だけ、下見の9月に撮影した写真です。

【荒川知水資料館】 運営:国土交通省荒川下流河川事務所・東京都北区
 開館時間: 9:30~16:30 休館日(月・祝翌日、年末年始) 無料
 有料駐車場(38台、1日500円)がありますが、土日のみで、平日は閉鎖していますから、ご注意ください。
 (平成26年2月9日(日)は、近くでマラソン大会がある為、満車になる可能性があります。)
【第5回東京・赤羽ハーフマラソン大会】 15km(公認)、10km、3km、2km、参加受付は終わってます。
 日時: 平成26年2月9日(日) 公認15kmは10:40スタート、10kmは9:00スタート
 コース: 新荒川大橋の西側~戸田橋~笹目橋(ささめばし)~幸魂大橋(さきたまおおはし)~折り返し点

 この付近の堤防の河川敷は芝かゴルフ場しかありませんので、どうしても観察できる野鳥はカモ、ウ、ツグミ、ムクドリなどに限られてしまいます。
 下の鳥は、別の場所で撮影したツグミ(冬鳥)の写真ですが、小鳥は、「くまドン」のデジタルカメラの超望遠300mm(フィルムカメラ換算)でも、小さくしか写せません。縮小率を下げて、画像のトリミング(画像の切り取り)してます。


 荒川治水の話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景037 第102景 蓑輪金杉三河しま 都電とバラ(2)」

 今回は、これで終了とさせていただきます。

 くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
 岩淵水門で撮影後に、他の名所江戸百景の撮影に向かったのですが、野鳥関連の最後となる葛西臨海公園が残っていますので、日数が無いので、2回ほど飛ばして、荒川放水路河口部にある葛西臨海公園の話に進ませていただきます。

 次回は、やっと、「くまドン」の地元・江戸川区の葛西臨海公園での野鳥撮影の話です。

 日本プログ村に参加しています。良ければ、「ポチッ」応援お願いします。(携帯からは無効ですので、不要です。)
にほんブログ村 写真ブログ 風景写真へ