九品人の落書帖

写真をまじえ、身の回りで見聞きしたことを、つれづれなるままに!

もう東京には行きません

2018年10月25日 | 日記
 NHKーEテレ「ヨーコさんの『言葉』」から引用する。
               □

 二階に下宿している芹沢君を気味悪いと言い出したのは叔母だった。
 芹沢君は東北から上京してきた浪人生で、
 黙って玄関を出入りして、
 はじめから叔母の家族には好ましくない印象を与えた。


 二つの四畳ほどの部屋に、
 予備校に通う芹沢君と大学生が下宿していたが、
 二人は口をきくこともなく、
 叔母が運ぶ朝食と夕食を一人で机に向かい食べた。
 

 「あの人、ご飯を持って行ったら、
 毛布をかぶって勉強しているのよ。気味悪いわ。」と
 叔母が言ったのは五月の半ば頃だった。
  

 七月になって芹沢君は、 
 屋根に出て夕涼みをしだした。
 叔母が家族に知らせた方がいいと言い出したのは、
 屋根の上で風呂敷をかぶって、
 「かとうあくやー」と繰り返し、
 ブツブツ言うようになった時だった。
 叔父の名前は「かとうよしや」だった。
  

 父親に連れられて、
 芹沢君は国に帰った。
 
 芹沢君が下宿を引き払うことが決まり、
 父親が迎えに来るまでの間、
 私は部屋に誘い絵の本や雑誌を見せたり、
 映画へ誘ったりした。


 楽しそうな映画を探したが何も無く、
 「アンネの日記」でも、いいかと聞くと、
 いいと言った。

 映画が始まって隣の芹沢君は身体をユラユラ動かした。
 「出ようか」と聞くと「うん」と、すぐ言った。
 「閉じ込められる映画は、いやだ」
 
 家へ帰るバスで芹沢君は「降りる」と言い出した。
 降りたところは橋の上だった。
 

 橋にしがみついた芹沢君は、
 「帰りたくない」と言った。
 私は彼の腕をつかんで「ね、帰ろう」といい、
 芹沢君は、わざと私に引きづられるようにした。
  

 その年の夏休み、突然、芹沢君が現れた。
 すっかり大人びて、
 ハキハキした青年になっていた。
 「時々、遊びに来ていいですか」と言った。
 「いいわよ。私、秋に結婚するの。彼と友達になればいい」と、
 私は明る過ぎる声で言ったのかもしれない。
  

 最後に芹沢君から手紙をもらった。
 「もう東京には行きません」と、書いてあった。
   
    
 

コメント
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