以前、『暗闇に耐える思想』という氏の講演集を読んだことがあります(これです)。この『暗闇の思想を』は、松下氏が直接かかわった豊前火力発電所反対運動の記録です。
今は原発(再稼働)反対運動が各地でたたかわれていますが、70年代初頭は「火力発電所反対運動」が各地で展開されていました。この石川県でも「内灘火電反対の運動」が有名ですよね。
今でもそうですが、国や電力会社は「電気が足らない」と言い、賛成の住民は「お前ら発電所建設に反対するなら、電気を使うな」と言います。松下氏らは、「いま現にある電気の範囲内で暮らしてゆけばいいじゃないか」「それでもならないというのなら、蝋燭を灯して暮らしたってかまわない」と主張したのです。つまり電力需要論争には乗らなかったということ。
そして、松下氏が国や電力会社に対する怒りと同時に、当初は一緒に運動していた共産党にも批判が向かいます。共産党は 学習会の講師に松下氏らが招いた人物を「トロツキストであることが判明した」と一方的に宣言し、運動からも松下氏からも去っていったのでした。
松下氏は言います。「実際に会って話をして『この人の言うことはおかしい』、その人の書いた本を実際に読んでみて『この人の言うことは間違っている』」というなら理解できる。でも、会ったことも、読んだこともない人物を、共産党の上部機関から「トロツキスト」と指示されたからといって、自分の頭で一切考えることをせず、「この人とは一緒にやれない」というのは間違っている」と。
まったくもってその通り思います。まあ今の共産党は全然違いますが(だって、立場が違う人たちとの『共闘』に一番熱心だもん)、昔の共産党は確かにそういう機械的・画一的な面がありましたよね。でも、本当の極左暴力集団であれば、共産党が言うまでもなくなく、他の市民団体が断固拒否します。自分たちの考えと違うからといって、レッテル張りをして 排除するのは 今の時代はもう「20世紀の遺物」としか言いようがないですね。
その意味でも、様々な大衆運動と経験し、その苦難の歴史から、お互いに教訓を学び取っていったんだと思います。
なお、トロツキーの名誉のために一言付すと、現在の日本共産党は、「トロツキーを過大評価も過小評価もしない」立場です。つまり正当に評価するという事。ですから「トロツキスト」という用語は使用しない とのことです。はい.