
石川門は兼六園方面や石川門から見るというか、撮る写真がほとんどですね。でも石川門を背に、兼六園方向の光景も、実はいいものだと思います。
小生、教養部の頃は、犀川沿いにあった下宿から、本多町を通って石川門から入り、帰りは石川門から出て、下宿に帰っていました。石川橋も石川門も通学路だったわけです。城内学部生の大半はそうだったんじゃないかな。
今、改めてここに来ると、石川橋って意外と幅は狭く長さも短いんだなと気づきます。これらが大きく見えた学生の時は、若さゆえの “高揚感” みたいなもののなせる技だったのでしょうか。
そしてあれから40数年!!。いたずらに馬齢を重ねて 今日に至る!ですね。でも今でも金沢城址にくると、思い出が手を振り、ちょぴり元気になれるのでした。
私は紺屋坂から上ってました。せっかく坂を登ったのに、教養へ下るのはもったいない気がして、オーケストラの部室で停滞してしまう日々でしたね。
コメントありがとうございます。
確かに、教室で講義を聴く時間より、部室で過ごす時間の方が次第に長くなりましたよね。
オーケストラは確か学生会館の中の立派な部屋だったのでは?。僕の所属していたサークルは文サ連長屋の2階でした。
文サ連長屋は、ほとんど入ったことなかったです。なんだか「濃い」雰囲気満載でしたね。
確かに文サ連長屋は「濃ゆ~い」雰囲気でしたね。あの建物、昔は「兵舎」だったとのことです。
小生の所属していたサークルは、部室でトランプばかりしてましたねえ。