紅旗征戎

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小泉政治と「失われた10年」の政治課題

2005-09-17 15:10:47 | 政治・外交
9月11日の総選挙から一週間が過ぎた。参議院での否決で衆議院を解散するという異例の事態で始まった選挙戦自体が近年になく、高い関心を集めたが、結果は予想をはるかに上回る自民党圧勝に終わった。メディアの興奮も冷めやらぬままで、郵政民営化法案に反対した参議院議員も「民意を踏まえる」と称して賛成の意を示し、また大幅に議席を減らした民主党の次期代表もようやく今日、2票差という僅差で、前原誠司議員に決まったところである。

小泉純一郎という存在を知ったのは1988年の竹下内閣に厚生大臣として入閣した時だったと記憶しているが、その後、彼は自社さ連立の村山政権時の95年9月に行なわれた自民党総裁選で、橋本龍太郎が規定路線になっているにもかかわらず、あえて立候補し、橋本の304票に対して、87票を得て注目された。当時から一貫して郵政民営化論者として知られており、また1997年には議員勤続25周年表彰を辞退したり、また電車で国会に通勤していた時期があることが伝えられるなど、永田町の常識では「変人」だが、世間や新しい時代の感性に近いことを既にアピールしていた政治家だった。1998年の自民党総裁でも最大派閥の田中~竹下派直系の小渕恵三に挑戦し、再び敗れたが、森首相退陣表明後に行なわれた2001年の総裁選で、3度目の挑戦にして、本命の橋本を破り、総裁となり、小泉ブームを引き起こしたことは記憶に新しい。今回の総選挙は、第一次小泉政権成立直後に行なわれた参議院選挙での自民党圧勝を上回るもので、電撃的な訪朝と歴史的な日朝首脳会談などで一時は盛り返したが、すっかり低迷していた小泉人気に再び火をつける結果となった。

よく指摘されることだが、小泉首相の政治手法の特徴は自分に反対する勢力を「抵抗勢力」、「既得権者」と位置づけ、自らの改革者イメージを演出するのに長けていることである。ワンフレーズ・ポリティックスと呼ばれる短い標語だけで語るやり方やテレビ映りを意識したパフォーマンスがそれを助けている。政治家も芸能人も同じレベルで語るのが好きな日本の政治報道において、特にわかりやすい映像を求めるテレビにとって、小泉首相ほど次から次へと「絵」になる話題を提供してくれる有難い存在はいないだろう。郵政反対派に対抗する「刺客」候補の擁立、郵政公務員を「既得権者」と名指しし、国民に直接問いたいと呼びかける自民党のCMなど、政権担当者としての権力と、権力の座にありながら既存の秩序を破壊しているかに演出するテクニックを併せ持っているのだから、予想外の解散で慌ててマニフェストを持ち出して、愚直に政策論争を行なおうとした地味な岡田民主党に勝ち目がないのは明白だった。

しかも民主党の支持基盤である労働組合が、まさに「既得権」の象徴としてターゲットにされており、昨年から大阪市など自治体での問題点も世間の注目を集めていたところであった。本来は既存の利害を打破し、新しい世の中を作るのを目指すはずの「革新」政党が、護憲や生活防衛として既得権の維持を訴えるという意味で「保守的」になっているのに対して、グローバル化やそれに伴う新自由主義的な競争に対応しようとする小泉自民党が、郵政民営化や規制緩和、公務員改革などの既存のシステムの抜本的な「革新」を標榜するという図式である。こうした相違は単に政策上の差だけでなく、「新旧」や「世代交代」についての野党の感覚の鈍さにも現れており、例えば自民党執行部が中曽根・宮沢・橋本といった首相経験者の高齢大物議員を引退させ、立候補させなかったのに対して、社民党が土井たか子を立候補させ、落選させていることや小泉首相が8年も前に辞退した議員勤続表彰を民主党議員がいまだに受け続けていること、自民党の世襲体質を批判しながらも民主党は菅前代表の長男など今回の総選挙でも35人もの「世襲」候補を擁立したこと等にもよく現れている。有権者はそうした野党の「鈍さ」「古さ」を敏感に感じ取っているに違いない。

55年体制下では汚職などの政治腐敗の問題に対して、「何でもあり」の自民党支持者よりも野党支持者の方がよい意味で「潔癖」だったはずだが、「批判勢力」として期待する、そうした有権者の信頼を当の野党がこの10年間、裏切り続け、秘書給与詐取、学歴詐称、年金未納問題など相次いで発覚したスキャンダルで政治不信を深めた罪は大きいだろう。「護憲」を標榜する社民党が執行猶予中の候補を公認するようでは、本当に「法の精神」があるのだろうかと疑わざるを得なかった。野党が与党に選挙で勝つためには、野党政治家に与党政治家以上のモラル・スタンダードが求められるのであり、与党政治家と同じように腐敗しておこぼれにあずかっていたのでは、いつまでたっても万年野党の地位から脱することはできないだろう。それに対して女性スキャンダルや金権スキャンダルで足元をすくわれなかったのが小泉首相の強みだった。

大衆政治家としての小泉首相のもう一つの武器は、芸能人のようにテレジェニックさ(テレビ写りのいいこと)を十分意識し、それを臆面もなく発揮し、右に掲げた写真集を出したり、自分の写真を全面に押し出した自民党ポスターを作ったりしていることである。イギリスのブレア首相もアメリカのクリントン元大統領もそうだが、メディア時代のマスデモクラシーにおいて政治的リーダーのルックスの問題は演説力と同等かそれ以上の重みをもつものである。この点でも野党に小泉首相に対抗しうる人材がいなかった。

小泉政権が推進している「小さい政府」路線は戦後日本には少なくとも中曽根政権までは存在しなかった選択肢で、自民党も社会党も共産党も公明党もみな「大きな政府」志向で、中央から地方へ、高所得者から低所得者へ、工業セクターから農業セクターへの再配分を政府の力で積極的に行なう路線だった。日本の政党はアメリカで言えば、みな「民主党」型の社会民主主義政党で、共和党タイプの政党が日本にはないと言われ続けてきた。今回の選挙報道では「小さい政府」という言葉がすっかり定着した観があった。こうした変化は小泉政権の成果というよりもバブル崩壊後のいわゆる「失われた10年」と呼ばれる90年代から現在までにかけて、深刻化する財政赤字とそれに対する国民の認識の深まりや少子高齢化による将来に対する不安から来ているものなのだろう。

小さい政府路線による財政の健全化、地方分権、規制緩和、郵政民営化、国連安保理常任国入りの追求、対中円借款の見直し、自衛隊の海外派遣、憲法改正論議など小泉政権が推進してきた政策もまた小泉が常に対抗してきた田中~橋本派の各政権でもこの10年間少しずつ進められてきたものである。郵政民営化が最後のタブーで特に田中~橋本派の抵抗の強いものであったとは言え、衆議院では可決できるだけの同意を得るところまで来ていたのである。かつては「聖域」であったコメ市場の開放も1993年の細川内閣で行なわれたように、永久に既得権が守られる領域はないので、確かに小泉首相が言うように「改革に聖域なし」なのであり、変化を求めていくのが政治本来の姿であるはずだ。

そのように考えると、自民党圧勝のインパクトや小泉首相のパフォーマンス的な部分にばかり関心が集まり、人によっては「ファシズム」だといった安易なラベルを貼って批判しているが、グローバルな政治的経済的変化に対応するために各政権が積み重ねてきたことを分かりやすく、いささか派手に非妥協的に追求しているのが小泉首相であって、それに対して国民も「感覚的」に理解し、支持を与えているのが今回の選挙結果だと言えるのではないだろうか。「小泉革命」と呼ぶのは、あきらかに言いすぎだろう。郵便局が減るのは困るが、それだけ言っていても21世紀は乗り切れないだろうという認識が国民の中にあったはずである。ただ投票率が67%と高かったのは、自民党公認候補と郵政法案反対派の非公認候補の対立など、結果がどうなるかわからない面白さにも左右されたことは否定できない。そう考えると地方の首長選挙での投票率が低いのは、共産党以外の各政党が相乗りして、事実上、選択肢のない「無風選挙」ばかりが行なわれているせいであり、地方の首長選挙でも地方をどう活性化するのかについて複数の候補が様々なアイディアを出して論争しあうような状況が生まれれば、選挙そのものも活性化するはずだ。単に有権者の無関心に原因を帰するべきではないことがよくわかる。

小選挙区制は従来の中選挙区制と違って、同一政党からの複数の候補が当選する可能性はなく、過半数を取らないと議席を得られないので、各政党から一人ずつ出た候補の間で政策を争うべきシステムであり、その意味で総裁をはじめとする自民党の方針が「郵政法案」推進だったら、反対派の候補は公認しないのが当然であり、「賛成派」の選択肢を提供するという小泉首相の主張は妥当であった。「刺客」とか「非情」という言葉は当たらないのである。しかし「国民全体」の代表であり、特定の「選挙区」や「有権者」の代弁者ではないのが建前の国会議員でも、有権者は、候補者の「人柄」と候補者の所属「政党」の両面から判断するので、いくら小選挙区制といっても公明党や共産党のような組織政党の場合は別として、自民党や民主党の場合は政党の「政策」のみならず、というよりむしろ「候補者」の顔や名前をみて投票する有権者が多いだろう。無党派有権者の場合はなおさらである。その意味で魅力的な候補者をなるべく多く擁立しなければならないのであり、そのためには政権を取る可能性が高くなければ有能な人材が集まらないだろう。政策のみで訴えようとして、魅力的な候補が十分そろっていない野党の弱みはここにある。民主党にならって候補者の公募制を今回の選挙で積極的に導入した自民党だが、民主党が政権奪取する可能性が低くなればなるほど、公募にしろ、勧誘するにしろ、有力な候補を集めることはますます難しくなるだろう。

有権者はバランス感覚を備えており、今後の自民党政権の動向や特に消費税税率やサラリーマン新税など増税問題の推移などで、次回の選挙の結果は大きく左右されることになろう。その意味で今回の自民党の圧勝を「2005年体制」の成立、「自民党の都市政党への完全脱皮」などと安易に位置づけることはできないだろうが、「政権交代」のある健全なデモクラシーを実現するためには、国民の世論とも時代の変化ともタイムラグを大きく示している野党の側の方針転換と、何よりも魅力的な政党リーダーの養成と候補者の発掘が急務だといえるだろう。


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