紅旗征戎

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最高裁判事に見る日米の相違

2005-09-09 14:49:07 | 政治・外交
以前、アメリカ人の政治学者と話した時に面白い発見があった。日本人の私が彼の前でアメリカの地方自治について研究報告し、アメリカ人の彼が日本の地方自治について報告したのも興味深く、いろいろ刺激を受けたが、自ずと日米の政治制度の比較が話題になった。最高裁判所の政治的役割について、司法が政治的判断を積極的に行なう「司法積極主義」のアメリカの最高裁は面白い判例が多いと私が言ったのに対して、彼は流暢な日本語で、「選挙で選ばれない最高裁判事が国の方向性を決めてしまう判断をするのは危険で、その点で日本の最高裁判事の国民審査はとても民主的でよい制度だ」と褒めた。

今週末、9月11日の総選挙と同時に最高裁判事の国民審査が行なわれる。選挙管理委員会によって選挙公報とともに『最高裁判所裁判官国民審査公報』が配達され、最高裁判事の略歴と関与した主要な判例が載せられている。アメリカの連邦最高裁は、憲法判断をなるべく回避する日本の最高裁と違って「違憲」判決を多く出しているだけでなく、その場合も意見が5対4、6対3と判事の間で分かれることが珍しくない。良くも悪くも判事の政治的イデオロギー的立場がはっきり反映されるのだが、今回の『公報』で挙げられている日本の最高裁判事の主要判例はほとんどが「全員一致」の判例で、「少数意見」の判例を挙げている判事が一人もいない。言い方を変えると選挙のように「目だって」選ばれようとするものではなく、あくまでも「罷免を可とする」人にXをつけるという消極的な審査なので、なるべく目立たないように、他の判事と同じであるように、いつも多数意見を言っているように示すことが大切なのだろう。

9月4日の『朝日新聞』日曜版(be on Sunday)によると1976年以降、10回行われた国民審査のうち、最も「罷免を可とする」投票が多かったのは、1番目に名前が書かれていた判事で、10回中7回であるという。ほとんど判断材料がないので、ただ最初の名前にXをつけてしまうのだろう。

新聞社も『公報』より詳しい判断材料を提供するため、各判事にアンケートを行なっている。9月7日の『朝日新聞』朝刊第5面で各判事が①議員定数配分の格差について②表現の自由とプライバシーについて③非嫡出子の法定相続分の不平等について④政教分離について⑤株主と経営者の衝突について⑥税務訴訟について⑦司法と行政の関係についての回答を求められている。これらの論点は各判事の社会政治的争点についてのスタンスを見る上で実によく選ばれていると思うが、6人のうち、①については3人が、③については3人が、④については3人が回答を拒否している。これらは国民の意見が分かれる重要争点なので、回答拒否した判事が自分の意見を持ってないわけはないと思うが、答えることが審査のプラスにならないと考えているのだろう。全体として弁護士出身の判事の方が質問に丁寧に答えており、キャリア裁判官や行政官出身者がなるべく無味乾燥に短く答えようとしているのが印象的である。こうした実態を踏まえると、アメリカ人の日本政治研究者が感心した判事の国民審査制度が機能する前提条件が整っているとは言えないことがよくわかるだろう。

アメリカの最高裁でも今週大きな進展があった。9月3日にウィルアム・レーンキスト連邦最高裁長官(首席判事)が80歳で亡くなった。以前、ブログで取り上げたリベラル派の最高裁長官だったアール・ウォーレンの「ウォーレン・コート」の時代と違い、いわゆる「レーンキスト・コート」の時代は戦後の最高裁史上、最も保守的だと言われ、社会改革や不平等是正、環境規制などに政府が介入することをあまり支持せず、企業活動の自由や財産権の保護を優先し、連邦政府が州に介入することも認めず、州中心主義の立場をとり、憲法にプライバシーの権利など新たな権利概念を読み込まず、憲法制定者の「原意」を重視する、言い換えれば時代の変化に応じた柔軟な姿勢をとらない方針を貫いてきた。ハリケーン「カトリーナ」への対応の遅れを指摘されていたブッシュ大統領はすばやく9月5日に後任の長官に、7月に最高裁判事に指名したばかりのジョン・ロバーツ現連邦控訴裁判事を指名した。ロバーツは7月に引退を表明した中道派のサンドラ・オコーナー判事の後任として指名されていたのだが、上院での承認がこれからだったが、50歳で連邦最高裁判事として新任でありながら、いきなり長官の重責を果たすことになる。

前述したようにアメリカの最高裁の政治的役割はきわめて大きく、各判事がはっきり政治的意見を表明するため、大統領はなるべく自分のイデオロギーに近い人を最高裁判事に指名しようとするが、逆に言えば野党は大統領が指名した判事の攻撃材料を探して、上院公聴会で問題にしようとする。しかしロバーツの場合は保守派と言っても穏健な実務型で、7月に指名されてからメディアや野党の民主党が過去の裁判記録を調べたりしたが、特に攻撃すべき材料が出てこなかったのが今回、ブッシュ大統領が素早く最高裁長官に選んだ要因だと言われている。世論調査の結果を見ても、最新の9月6-7日のピュー・リサーチ・センターの調査でも、ロバーツを上院が「承認すべきだ」と言う意見は35%(「すべきでない」が19%、「わからない」が46%)、ロバーツのイデオロギーについては「関心がない」が39%、「わからない」が36%で、「保守的すぎる」は20%に過ぎない。同じ日に行なわれたゾグビー・ポールの調査では、ロバーツが最高裁長官として有資格者か、という問いに共和党支持者の76%が、民主党支持者でも39%が同意しており、まだよくわからないながら、特に反対すべき理由もないといった模様である。

最高裁判事をめぐる公聴会と言えば、1991年秋にブッシュ元大統領によって最高裁判事に指名された保守派の黒人判事クラレンス・トーマスが、オクラホマ大学ロースクール時代の部下だった黒人の女性教授アニタ・ヒルからセクシャルハラスメントで訴えられ、上院公聴会で生々しい証言をされて、僅差でかろうじて承認されたことを思い出される方もいるだろう。ブッシュ元大統領の息子である現大統領がその時の苦い経験を踏まえれば、イデオロギー的に極端な保守派を選び、野党・民主党やリベラルなメディアの激しい追及を受けるよりは、穏健派を選択したのはよく分かるところである。

ギャラップ社が9月6日に行なった調査によると、ロバーツに公聴会として最も聞いてみたい話題としては、妊娠中絶の権利について(28%)、マイノリティの権利について(6%)、経済について(6%)などという順になっている。ロバーツが長官となり、さらにオコーナーの後任が誰になるかによって、最高裁判事の保守-リベラルのバランスが変わっていくことになるだろうが、いずれにしても上に挙げたような妊娠中絶の権利を認めた1973年の「ロウ対ウェイド判決」や、マイノリティへの優遇措置アファーマティブ・アクションの合憲性をめぐって、ロバーツや新任判事がどのような判断を示すかが注目の的となっていくに違いない。

アメリカの最高裁と日本の最高裁を比べて、前者が政治的で、後者が非政治的であることについて、前者の過度の政治性を批判したり、「日本ではアメリカほど社会的、政治的に問題になる司法上の争点がないのだ」と指摘する人もいる。しかし新聞の最高裁判事へのアンケートに見るように、靖国参拝に見られるような政教分離の問題、非嫡出子の「差別」に見られるジェンダー的視点から見た民法規定の合憲性の問題、増加しつつある経済訴訟への各判事の知識とスタンスなど、実は日本においても問うべき争点が沢山あるのであり、単に最初の名前にXをしたりということではなく、選挙公報同様、こうした裁判官のアンケートなどもきちんと読んで、数少ない国民の司法へのチェックの機会と権利を無駄にしないよう努めないといけないだろう。(写真はジョン・ロバーツ判事)