紅旗征戎

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電子メールの落とし穴

2005-08-13 08:34:41 | 世間・人間模様・心理
郵政民営化をめぐって大揺れした国会だが、携帯電話や電子メールの普及、コンビニの宅配システムの一般化により郵便・通信・コミュニケーションのあり方がこの10年の間に根本的に変わってしまったことを無視して議論できないだろう。
 
若い学生諸君と違って、パソコン通信などをやってなかった私がはじめて電子メールを使うようになったのは大学院時代にアメリカに留学してからだった。当時は私立大学でも日本の大学は学生全員がメールアドレスをもっているということはなかった。2年間の留学を経て、帰ってくると日本の大学でも電子メールが当たり前になっており、隔世の感があった。
 
そのうちパソコンによるメールのやり取りではなく、携帯電話でのメール交換が一般的になってきた。今では学生から届くのは携帯メールが主流で、レポートなどの大きな添付ファイルを送ったり、長文の相談を受けたりする時のみパソコンから電子メールが送られてくる。それもプロバイダーのアドレスではなく、ヤフーやホットメールといったオンラインのフリーメールから送られてくることがほとんどである。
 
電話しかなかった時代と比べるとメールはやはり便利だ。大学生の頃、関東、関西をまたぐ複数の大学の研究会が参加している組織のまとめ役をやっていた時は、電話連絡が本当に面倒で、電話自体も年中朝から晩までかかってくるし、連絡したい相手はなかなかつかまらず何度もかけ直さないといけなかった。私の父も大学の教師だったが、学生への連絡で、バイトその他の理由で夜でも下宿の学生がなかなかつかまらないのを常にこぼしていたが、私も今、もしメールがなければ学生たちに連絡するのがどれだけ面倒だっただろうかとおそろしく思う。

しかし私自身も全く偉そうなことは言えず、あちこちから非難されるのを覚悟して書いているのだが、電子メールにはいろいろ問題点が多い。まず電話でつかまればとりあえず何らかの返事をしなければならないが、メールなら無視することも可能だ。私も催促のメールに返信できないことがしばしばあって、特に今年はあちこちにご迷惑をおかけしたが、、もちろん私自身も返事をもらえず困ることが少なくない。第二に職業柄、質問や問い合わせのメールを受け取ることも少なくないが、忙しい中、手間暇かけてきちんと調べて返信しても、何の音沙汰もない人も多い。手紙の場合と違って、メール一本返事を書くのは、しかも質問に答えてもらって御礼を言うのは全く難しくないはずだが、何故かそういう人も少なくない。中には答えるまで何度か催促のメールを送ってくるのだが、いざ答えると全く返事がないという人さえいる。若い学生が礼儀を知らないのはある程度仕方ないと許せるが、いい大人だと何だろうかと思ってしまう。
 
第三に文面の問題である。メールは電話の即時性と手紙の情報量の多さ・(電話と違って確認して書けるので)相対的な正確さを兼ね備えている点、一度に複数の相手に安価で連絡することが出来る点などが特に優れている。しかし手書きで手紙を書く場合は自ずと推敲して、あまり感情的な手紙をそのまま出す人は少ないのに対して、メールの場合は、特にタイプが得意な人は手紙と違ってすぐに書いて送ることが出来るので、その時の感情の赴くままに舌足らずな文章を書いて送ってしまいかねない。しかも電話と違って、感情のニュアンスが伝わりにくいので文章の言葉だけが一人歩きしてしまう。「売り言葉に買い言葉」的なメールの応酬になってしまうことも珍しくなく、メールをやり取りしている相手との間で信頼関係が十分でないと無用な誤解や摩擦の元となりかねない。また最近増えてきたのは、同封メールで全員向けに送られているので、当事者同士がメール上で「喧嘩」や激しい議論をしているのを第三者も見せつけられることである。さらに携帯メールの場合は字数がどうしても限られているため、なおさら一方的で言葉尽くさずになりがちだ。

結局のところ、メールをどう使いこなすかは、書く人の他人への思いやりにかかっているのだろう。メール自体が問題なのか、人々が自己中心的になってきて、自分のことしか考えられなくなっているのが問題なのか、どちらか考えてみれば、おそらく後者が原因である場合が多いのだろう。こちらから連絡しても何の音沙汰もないのに、自分が突然メールを送っても必ずすぐに返事がもらえると思っている人や、面倒な用事を頼む時にしかメールを送ってこない人などもいるが、そういう人は根本的な思いやりに欠けている気がする。
 
心やさしいメールで励まされることも少なくないが、メールを使い始めた頃に比べると最近はビジネスライクなメールのやり取りばかりで書くのも読むのも億劫になってきた。私の父はとても筆まめで、英語で言えば今やsnail mail(カタツムリ・メール)と呼ばれるようになった手紙や葉書をせっせと書いていたが、忙しい中、その時間をどこで見つけていたのだろうかと思う反面、父に返事を書かなければならなかった人たちに同情を禁じえない。自戒を込めてだが、メールでトラブルを起こさないように気をつけたいと思うと同時に、そもそもの根底にある人間関係を「ジコチュー」な関係でなく、常に互恵的で思いやりのあるものにしてゆきたいものだとしみじみ思う。


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