紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

グッド・リスナーの難しさ

2005-07-03 16:47:37 | 世間・人間模様・心理
大学に限らないだろうが、学校の教師になると自分と世代の違う人たちの話を聞く機会がぐっと増える。自分の親くらいの年齢の上司・同僚や自分が大学に入学した頃に生まれた学生たちの話を聞いていると、世代による見方の違いに愕然とすることもある。たまに同世代の同僚や大学以外の友人と話すと、いろんな社会的背景を共有しているのでとても話しやすく、楽だと思うが、違う世代の人の話を聞くのは発見も多くて、大学の教師になってよかったと思えることの一つである。

しかし特に教師をしている人に多く見られがちな傾向だが、自分のことを長々と話すのが人一倍好きなのに、学生や若い人の話をまったく聞けないという困った人も少なくない。それだけ自分の話をしたいのか、若いのは黙って聞いてろ、というのか、単に忍耐力が衰えてきているのか、わからないが、自分の話ししかせず、人の話を聞けない人が好かれたり、飲みに誘われたりすることは稀だろう。またいつも素朴に不思議に思っていることが、功成り遂げて、世間や社会やその業界で高い評価や地位を得ている人なのに、自分の自慢話を延々とする人がいる。人になかなか認めてもらえない人、自己評価と他者評価のギャップが激しい人が、自分の事を認めてくれと訴えるのは、痛々しい場合もあるが、まだわかるが、他人から十分すぎるほど認められている人が、それでもなお自慢し続けるのは何故なのだろうか?まだ褒められ足りないのだろうか?

私はわりと人の話を聞くほうだが、そういう人たちの話を聞かされると、自分もこれから長く教師をやっていたり、ある程度仕事で成果を収めたときにそうならないようにしないとと改めて思う。それに比べると研究室に話をしに来る学生たちの話を聞くのは面白い。彼ら彼女らも基本的には具体的なアドバイスを求めに来るというよりも、自分のアイディアを聞いてもらって、何らかの「承認」を求めに来ているのだが、自分のやっていることに確固たる自信を持っていない分だけ、まだ可愛らしい気がする。

しかしここまで書いてきて思ったのだが、自分の話を一方的に若い人に聞かせている(ように思える)年長の人たちも実は確固たる自信があるわけではなく、自分が間違ってないことを若い人と話す(聞かせる)ことで、自分なりに再確認したいだけなのかもしれない。グッド・リスナー(よい聞き手)にならない限り、人に好かれるグッド・トーカー(よい話し手)にはなれないだろう。教師がグッド・トーカーになる可能性は意外と低そうだが、これから自分が年をとっていっても気をつけないといけないと常々思っている。


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