紅旗征戎

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兄弟構成と血液型が性格に影響するのだろうか?

2005-08-26 10:11:24 | 世間・人間模様・心理
私のゼミにはなぜか一人っ子でAB型の学生が多い。ある日、研究室で話していて判明したのだが、血液型や兄弟構成がそんなに性格に影響するのだろうかと終始、懐疑的な私に対して、当の彼ら彼女らは「いやお互いになんとなくわかりますよ」と勝手に納得し合っていた。しかし試しに私の血液型と兄弟構成は分かるかと聞いてみたのだが、誰も当てられなかった。そんなものなのだろう。血液型による性格判断や相性判断が大流行で、中にはテレビ番組のせいでいじめられるから、やめてくれと放送局にクレームがつき、わざわざ因果関係を否定するテロップを流さないといけないほど一時は過熱化していたようである。

学生たちに聞いても、周りを見回しても確かに一人っ子が増えてきたと思う。自分が小学校や中学校に通っていた時は同級生に一人っ子はほとんどいなかった。少子高齢化は目に見える現象になってきた。血液型に比べると兄弟構成というべきか、兄弟や親子関係のあり方は、後天的なものであるがゆえに人格形成に少なからぬ影響を与えることは否めないだろう。
 
私の場合は男兄弟で長男なのだが、長男や長女は親と弟・妹たちとの仲介者的な役割を果たす場合が多いのではないだろうか。「大人の論理」と「子供の論理」に片足ずつ突っ込んで成長するような気がする。しかし自分自身が長男だったせいで、兄や姉の存在と言うのはどういうものなのか、弟から見た兄というのはどう見えるのかは実感としてはよく分からない。兄として我慢したり、弟に譲る場面も多々あったが、弟が我慢していることもおそらく沢山あったのだろう。その辺は聞いてみないとわからない。
 
一人っ子の場合はおそらく親との距離が近い分、大人ぽく育つか、あるいは家庭外の子供同士の友人関係を早い段階から積極的に求めるか、どちらかになりそうだ。一人っ子で両親が働いたりしているとさびしがりの性格になるかもしれないが、逆に兄弟が沢山いる、にぎやかな家庭で育つ方が、一人暮らしをしたりするとさびしく感じるかもしれない。

このように、いろいろ推測されるのだが、子供を子供らしく育てる家庭もあれば、全く放任する家庭もあるし、大人と同等の話をする家庭もある。勉強を厳しくやらせる親もいれば、スポーツに力を入れる親もいる。男兄弟なのか、姉妹なのか、混合なのか、子供部屋は個室なのか共同か、地方で育ったのか都市部で育ったのか、おじいさん、おばあさんは同居しているのか、両親の仲はいいのか悪いのか等など、人格形成に与える諸要素は数え切れないほどあり、複雑に絡み合っているので兄弟構成だけではとても説明できないだろう。
 
しかし太宰治の小説などは分かりやすく書いているが、家父長制が確立していた、戦前の封建的な家庭では一家の跡取りとなる長男と次男以下の扱いが全く違ったようだ。主人と家来くらいの違いがあったとも聞く。これも太宰のような大地主の家庭と、庶民の家庭では事情はかなり違ったのだろうが、太宰にしろ、島崎藤村にしろ、武者小路実篤にしろ兄に対するルサンチマンや屈折した思いが小説の随所に現れている。戦前の家庭で育った世代にはある程度共通する長男像や長女像、次男、三男、次女、三女像があるのかもしれない。

血液型はどうなのだろうか?外国人と比べて、日本人は血液型に関心が高いようだが、そもそも四割を占めるA型人間の間でも様々な違いはあるはずだし、「AB型は二重人格だ」などと安直に決め付ける人もいるが、誰でも多かれ少なかれ二面性があるので、もしAB型の当人が血液型占いを信じているとしたら、それは自分の持つ二面性を抑制しないで楽しんでいるのに過ぎないのだろう。血液型をモチーフにした小説もあるのだろうか?ありそうだが、私は読んだことがないし、読んでもたぶん感情移入できないだろう。

ゼミの学生たちとの話は結論がでることなく、うやむやに終わってしまった。いずれにしても性格は後天的に変えられるし、ましてや仕事や責任から、性格のせいにして逃げることはできない。AB型だからといっても矛盾した言い訳をしたら怒られるし、B型だからといってわがままが許されるわけでもないし、A型に仕事を任せても几帳面にこなす保証はない。一人っ子だからといってリーダーや幹事が出来ないはずはない。こういう話は相性占いで楽しむレベルに留めておきたいものだ。


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