ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

古代からの暗号 日向の血統を欲したか?安康天皇と雄略天皇。

2024-05-27 06:46:12 | 日本文化・文学・歴史

 日本の正史とされる『日本書紀』には第16代仁徳天皇(大雀天皇)の次は履中天皇(去来穂別天皇)と
記されている。父は仁徳天皇、母は葛城襲津彦の娘である磐之媛と記されている事を誰もが信じ疑いの目を
向ける者はいなかった。ところが、応神天皇の太子だった菟遅稚郎子が都祁の星川建彦の起こした乱により
命を落とし仁徳王朝(新羅系秦氏系)が成立したとする秘伝が存在していた。
私は仁徳朝の事績や都祁の星川氏との関わりなどからこの秘伝は真実だろうと判断したものの、星川建彦の
乱によって成立したばかりの仁徳朝の都が次の世代には磐余に遷された事に違和感を覚えた。何故か?

それは2022年2月12日の当ブログ「秘密を暴露する<磐余稚桜宮>伝承>」に述べたように髪長媛が応神の
子を宿しながらも仁徳天皇の妃に迎えられた事情によると思われる。
履中天皇は仁徳妃となった髪長媛の手元で育てられたと思うので、一般には仁徳の長子として認識されてい
ても、皇后・磐之媛所生の皇子(住吉仲皇子・瑞歯別天皇・雄朝津間稚子宿禰)たちには目の上のたん瘤で
あり、履中天皇の長子・市辺押羽皇子が大泊瀬幼武天皇(雄略天皇)に殺されるという悲劇に繋がったと思
われ、履中天皇(去来穂別天皇)に関わる周辺では、不幸な出来事が次から次へと起きていた。

*仁徳天皇が崩じた直後、即位前の履中天皇は羽田矢代宿禰(星川建彦の同族)の娘・黒媛を妃に迎えよう
 と婚姻の日時を告げるために住吉仲皇子を向かわせたところ太子(履中)の名を騙り黒姫を姦してしまう。
 住吉仲皇子は事の露見を恐れ兵を興して太子の宮を囲み火をつけて殺そうと図るが、平群木菟宿禰・物部
 大前宿禰・漢直祖の阿知使主らが太子を助け出し、石上神宮へ避難して難をのがれた。
*磐余稚桜宮で即位した履中天皇は葛城襲津彦の子・葦田宿禰の娘・黒姫を后妃とし、磐坂市辺押羽皇子、
 御馬皇子、青海皇女が生まれる。長男の市辺押羽皇子は大泊瀬幼武皇子(後の雄略天皇)からの狩りの誘
 いを受けて出かけたところ矢を射かけられ殺されてしまう。
*日本書紀・履中天皇五年条によると黒姫が突然死する。唐突な記事で詳細は不明。
*私が履中天皇の実母と思う日向の髪長媛は仁徳天皇の妃となり大草香皇子(大日下王・波多毘能大郎子)
 と幡梭皇女(若日下皇女・橘媛皇女)がうまれる。
*履中天皇の次代からは仁徳天皇の皇子(反正天皇、允恭天皇)が二代継ぎ、允恭天皇の子の安康天皇と雄
 略天皇が皇位につく。兄である安康天皇は雄略天皇の妃に大草香皇子の妹の幡梭皇女を娶わせようとして
 根の使主を仲介役として向かわせる。兄の大草香皇子はその申し出を承知して「押木珠鬘(おしきのたま
 かづら)」という宝飾品をお礼にと根使主に託す。ところが美しい宝飾品に目が眩み、安康天皇には断ら
 れたと嘘をつき我が物にしてしまう。安康天皇は断られた事に怒り大草香皇子の家に兵をさしむけ殺して
 しまう。
*市辺押羽皇子には妻子がおり、妻の中磯皇女は父の次妃・幡梭皇女の娘であった。日本書紀によると夫が
 殺された後には安康天皇の皇后となった(日本書紀・安康天皇二年条)が、父の死の真相を知った眉輪王
 が安康天皇を殺してしまい、この事件がきっかけで葛城宗家は滅びへ向かう。
*大草香王の妹の幡梭皇女(若日下皇女)は安康天皇の望みどうりに雄略天皇の皇后になった事が日本書紀
 雄略元年条に記されている。

日本書紀の履中天皇から雄略天皇の治世は兄弟相続が続いたこともあって、在位年数が短く、登場人物は複
数の天皇紀に渡ったり、皇子や皇女の名前の表記が複数あったりしており、人間関係を理解するのに大変手
間がかかった。上記の事件の登場人物の関係を以下の系図に整理したところ、このややこしい記述の伝えた
い真相が何かが見えてきました。

その結果を今日の表題「日向の血統を欲したか?安康天皇と雄略天皇」とした。
このように日本の天皇家の歴史の中で、己の后を得るために暴力的な手段をとった例を私は知らない。
しかもこの騒動は応神天皇、仁徳天皇の妃である日向の髪長媛の血統を我が血にいれたいという願いにたん
を発しているように見える。
安康天皇と雄略天皇は仁徳天皇の孫世代であり、仁徳天皇が夕月城から渡来した秦氏であったなら、大和の
磐余で建国を果たした神武天皇の故地である、日向の血統を手に入れたいと願ったのではないか。
まして夕月城の秦氏も九州の日向もそのルーツはバイカル湖周辺で誕生したクルグズ族の可能性は高い。
中国では堅昆。日本では<国巣(くず)>。遠い記憶の片りんを私は信じたいと思う。









 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古代からの暗号 『日本書紀... | トップ | 古代からの暗号 允恭天皇の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本文化・文学・歴史」カテゴリの最新記事