
井堤寺故址 是南二丁
昭和3年11月禀京都三宅安兵衛遺志
井堤寺の柱跡について
平成13年夏、府道和束井手線の改良工事に伴う発掘調査で、東西に並ぶ7基の原穴を確認しました。1辺が1m前後の四角形の掘り方をもつ柱穴は、3m(10尺)ごとに1列に並んでいました。柱穴内には柱の跡や柱を支えた根石も見つかりました。調査地が狭かったことから詳しいことは不明ですが、これらの柱穴は建物の一部になる可能性があります。
この地には、天平時代の左大臣・橘諸兄が橘氏の繁栄を願って建立した井堤寺があったとされる井堤寺の建物の一面とも考えられます。
伝承にしか残っていなかった井堤寺に関する遺構が見つかったことは重要な成果といえます。
井堤寺跡
井堤寺は、円堤寺(井手寺)とも称され、天平時代の左大臣・橘諸兄が、母・三千代の一周忌にちなみ創建した氏寺と伝えられています。
造営の折り諸兄公は、金堂の四面に山吹を植え、黄金色の花・山吹が水に映る風情を楽しめるように工夫されたとのことです。
現在は偲ぶよすがもありませんが、付近一帯には、通称名として薬師堂・ドウノウエ等の地名が残されており、奈良時代の井堤寺は七堂伽藍の壮大な威容を誇っていたと考えられます。
この他井堤寺には、小野小町が出家して当寺で余生を過ごしたことなど、小町ゆかりの伝説も伝わっています。
井堤寺跡からは、礎石の他、銅銭、海獣葡萄鏡、軒瓦等が出土しています。出土した蓮華文の丸瓦と唐草文の平瓦を復元し、この四阿(あずまや)の軒瓦として用いています。
古地図は、「山城国井堤郷旧地全図」と呼ばれ、原図は平安時代の康治2年(1143)に描かれたものです。
この絵図に見るように付近一円には、井堤寺の他、玉井頓宮、諸兄山荘等が描かれ、橘氏一族の別業地として栄えた往時が偲ばれます。いにしえの井手の町の姿を知る手掛かりとしてください。
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