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史跡八幡081 八角堂 重要文化財 三宅石碑

2020年03月01日 05時55分46秒 | 史跡・旧跡

 

 

 

 

 

 

史跡 石清水八幡宮境内 八角堂
 石清水八幡宮境内は、古代以来の神社境内の趣を今に伝える空間であり、また、境内の地下には、石清水八幡宮が神仏習合の宮寺であったことを示す坊舎跡などの遺構も良好に保存されていることから、我が国の宗教史を理解する上で重要であるため、平成24年に国指定史跡となりました。
八角堂は、かつて石清水八幡宮境内にあり、現在まで残った唯一の仏堂で、神仏習合の宮寺を理解する上で重要であるため、明治期に当堂が移築されたこの地も、境内の一部として国指定史跡となりました。

八角堂の概要
八角堂は、男山丘陵の東裾にある古墳時代前期(4世紀頃)の前方後円墳、西車塚古墳の後円部墳頂に建っています。
本尊は、阿弥陀如来で、石清水八幡宮検校の善法寺祐清により建保年中(1213~1219)に、男山山頂の石清水八幡宮境内西谷に建立されました。)
慶長12年(1607)に豊臣秀頼により再建されましたが、寛文年中(1661~1673)には破損転倒していたため、元禄11年(1698)
に善法寺祐清の勧進により再興されました。
明治3年(1870)に神仏分離政策で石清水八幡宮境内から仏堂等が撤去された際、正法寺の前住職志水円阿が八角堂と元三大師堂を仏像と共に譲り受け、現在地に移築されました。この時、八角堂の東に庫裡を、その南に茶所を設け、八角院と称されていました。
本尊の木造阿弥陀如来像は、大正6年(1917)に古社寺保存法により国宝に、昭和25年(1950)に文化財保護法により重要文化財に指定されました。
その後、平成10年(1998)に京都国立博物館に寄託され、平成20年(2008)に八幡市清水井の正法寺境内に移されました。
平成24年(2012)に石清水八幡宮境内が国指定史跡となった際、八角堂の建つこの地についても、境内の一部として国指定史跡となり、平成25年(2013)に国庫補助事業により市有化しました。
明治期に整備された建物は、八角堂を除いて昭和50年代には撤去され、新たに建てられた東屋が敷地南西部に残り、今日に至っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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