
升屋跡
お登勢 文政13年(1830)~明治10年(1877)
墓所 京都市伏見区鷹匠町 松林院墓地
お登勢は大津の公事宿「升屋」を経営していた山本重助の次女で、伏見の船宿「寺田屋」六代目主人寺田屋伊助の妻となった。以後、寺田屋はお登勢が切り盛りして多くの幕末志士の面倒をみた。
元治元年8月1日(1864年9月1日)京都の青蓮院塔頭「金蔵寺」でお龍と内祝言をあげた坂本龍馬は寺田屋お登勢にお龍を託す(お龍の回想録『反魂香』)。慶応2年1月23日(1866年3月9日)深夜、龍馬は寺田屋で伏見奉行所捕方の奇襲を受け手傷を負いながらも逃げのびて、以後お龍と行動を共にする。この間約1年半、お龍はお登勢のもとで暮らしていた。そのお登勢の実家「升屋」がこの地にあった。丸屋町宗門人別改帳からお登勢とその家族が確認できる。
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お登勢の墓所 寺院伏0307 松林院
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五七五
診察券 今年も1枚多くなり /浜田
ことわざ
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