住宅街の中の御土居堀
御土居の形状がわかりやすい
石仏は御土居から出土したもの
御土居は、天正19年(1591)豊臣秀吉が長い戦乱により荒廃していた京都を整備すべく都市計画を行ったとき、外敵の来襲に備え、その防塁として築いた土塁(土居)である。その範囲と構造は右図のとおりで延長は23㎞に及び、これによって京都は洛中と洛外に分けられた。多数の人々を動員して築造した御土居ではあったが、江戸時代になると、堤防としての役割を果たしていたものなどを除いては無用のものとなり、やがて近代になると開発により次々にこわされ、北辺を中心に部分的に残存するのみとなった。ここ平野鳥居前町に残る御土居は、御土居の形状が良好に残っている部分であり、昭和5年(1930)7月8日、市内に残る他の7ケ所とともに、京都の沿革をしるうえで、またわが国における都市計画の歴史・・重要な遺跡として国の史跡に指定された。なお、その後・・の境内の1ケ所が追加指定され、現在では9ケ所の御土居が国の史跡となっている。
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