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まち歩き  果ての二十日 市中引き回し 六角牢跡 

2019年12月20日 22時46分42秒 | まち歩き

いろいろなことが言われていますが

京都の〈一条戻橋〉は,橋占で名高い。この橋は,死刑を執行する〈果ての二十日〉(12月20日)に罪人が立ち寄り,餅と花を供えて,次にこの世に戻ってくるときは真人間になれと申し渡されたところでもある。

粟田口(あわたぐち、左京区)は、江戸時代には刑場が設けられていた。罪人は都の中を引き回された後、この粟田刑場で果ての二十日に首を斬られていたという。その命を忌み慎むという意味から、この日の過ごし方が守られてきた。罪人は首を斬られる前に一つだけ最後の願いが聞き入れられた。町衆はそれを恐れ、家族が目を付けられないように、特に女の子の外出は控えられていたという話もある。現在の粟田口周辺は、いくつかの地名としてその名残りをとどめている程度で、実際の面影はなにもない。

近畿地方では「罪人の処刑」をこの日に行っていたからだと言われています。

京都の六角牢から市中引き回しの道筋

西土手 や 粟田口へ処刑のための道筋は次のとおり

① 西土手

  六角牢⇒ 三条通 ⇒ 油小路 ⇒ 一条通・一条戻り橋に立ち寄ったかも ⇒ 室町通 ⇒ 三条通 ⇒ 新町通

     ⇒  松原通を西へ ⇒ 油小路 ⇒ 三条通 ⇒ 春日通 ⇒ 西土手

② 粟田口

  六角牢 ⇒ 三条通 ⇒ 油小路 ⇒ 一条通・一条戻り橋に立ち寄ったかも ⇒ 室町通 ⇒ 三条通 ⇒ 新町通

     ⇒  松原通を東へ ⇒ 寺町通 ⇒ 三条通 ⇒ 粟田口


六角獄舎 跡 ⇒ 石碑中0019-12 日本近代医学発祥の地 かつ 平野國臣外数十名終焉の地(六角獄舎跡)






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