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今日は、昨日お話しした 「峨嵋洞・碑石文化村」 のお話を少し…
私もよく存じ上げない場所でしたが、その後ご縁があって、
あちこちから、この土地にまつわるお話を聞くことになりました。
この旅行中、私たちが訪れたのは 「甘川文化村」 でしたが、甘川文化村の向かい側にある地域が
「碑石文化村」 だそうです。
なので、もちろん徒歩で移動可です。
その昔、植民地時代には、ここに日本人の共同墓地があったそうです。
しかし、戦争から逃れてきた人々が住む場所を探して山を登り、定着した場所が、
この 「碑石村」 であり、共同墓地のあった場所。
物資がない時代に、避難してきた人々が日本人の墓石を塀や礎石として活用し
家を建てたり、基礎を造ったり、階段として活用したり…
つまり日本人の碑石が韓国人の家を支える路地の材料となっているそうです。
今では、バラバラになってしまった碑石を集めて追悼公園を作るという話もあるそうです。
※ 「碑石文化村」 をテーマにした絵本 → こちら と こちら
私の知り合いの方が 絵本「おじいさんの家に幽霊が住んでいる」 の翻訳をされた記事 → こちら・ソウルフルなソウルライフ Soulful Seoul Life.
詳しく 「碑石文化村」 が紹介されているブログ → こちら・Busan nikki 2
再開発が進む前に、1度こちらを訪れてみたいと思っています。
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今日は、昨日お話しした 「峨嵋洞・碑石文化村」 のお話を少し…
私もよく存じ上げない場所でしたが、その後ご縁があって、
あちこちから、この土地にまつわるお話を聞くことになりました。
この旅行中、私たちが訪れたのは 「甘川文化村」 でしたが、甘川文化村の向かい側にある地域が
「碑石文化村」 だそうです。
なので、もちろん徒歩で移動可です。
その昔、植民地時代には、ここに日本人の共同墓地があったそうです。
しかし、戦争から逃れてきた人々が住む場所を探して山を登り、定着した場所が、
この 「碑石村」 であり、共同墓地のあった場所。
物資がない時代に、避難してきた人々が日本人の墓石を塀や礎石として活用し
家を建てたり、基礎を造ったり、階段として活用したり…
つまり日本人の碑石が韓国人の家を支える路地の材料となっているそうです。
今では、バラバラになってしまった碑石を集めて追悼公園を作るという話もあるそうです。
※ 「碑石文化村」 をテーマにした絵本 → こちら と こちら
私の知り合いの方が 絵本「おじいさんの家に幽霊が住んでいる」 の翻訳をされた記事 → こちら・ソウルフルなソウルライフ Soulful Seoul Life.
詳しく 「碑石文化村」 が紹介されているブログ → こちら・Busan nikki 2
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