食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『クロアチア旅行』

2013年12月13日 17時41分51秒 | 旅行

『クロアチアへの序章Ⅰ』

私たちのような古い人間には学校で教わった時の国名はユーゴスラビア。この国は独自

色の強い多民族がカリスマ性の高いチトー大統領によって一つの国家として統制され

いた。東西冷戦を経てそれまでどうにかモザイク国家を形成してきたユーゴは接着剤がと

れたタイルのように一つ一つと剥がれ落ちていった。

その剥がれ落ちたタイルの中でもセルビア、ボツニア・ヘルツェゴビナのように悲惨な

が燻り続け、今なおそのしこりは残り続けている。私がアマチュア無線で外国と交信し

た時、ユーゴスラビアは一つの国で国内は10のエリアに分割され、国のコールサイン

YU地域番号をつけた(例YU1AT)ものが使われていた。この方式は全世界共通の仕組

みにっている。0~9のエリアは分裂し新しい国家になったものと同じような地域だから、

昔かそこが1つの国家であってもおかしくないし、むしろ分裂して元に戻ったと言う方が

正しいもしれない。分裂後、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビ

ア、モンネグロ、マケドニアの7か国が誕生しEUへの加盟国も増えつつある。

もしユーゴスラビという国が前のまま残っていたとした場合、観光地として捉えることが出来

るか、答えはノーであろう。私自身の持つ観光情報ではドブロヴニクがクロアチアにありそ

が元のユーゴ以外の情報は皆無に等しいから、自発的にこの地域に出かけるための検

はあり得なかった。今年は春先、ドイツ、スイス、フランス、途中リヒテンシュタイン、オース

リアを通る旅をし、初夏は2年前に発生した東日本大震災の被災地を自家用車で訪問と2

旅に行ったからこれで終わりにしようと思っていた。

いつも送られてくる旅行会社のDMを見ていたら地中海地方の旅がシーズンオフの冬場だ

らか割安で紹介されていた。次回に旅する場合の参考にするつもりで眺めていたら、クロ

アが詳しく紹介され当面のコースは11月末が最後で次回は来年3月以降に設定される

模様だった。恐らく3月以降のコースだと旅行シーズンとしていい時期になるから段々と高く

なるものと思われ、今年最後の踏ん張りをして出かけてみるかと旅行会社に連絡をしてみる。


『旅行写真、ビデオ整理』

2013年12月13日 17時40分48秒 | 日記

旅行から帰り少し休養のつもりで写真やビデオを整理し始めた。外は荒れ模様だから

畑に行くことは出来ないし、山小屋に行くのもちょっと億劫な気分になり、炬燵にはまり

PCと睨めっこの5日目になる。

写真はカメラ3台で撮ったものを時系列に並べ直すことから始めたため、これが面倒臭

いこと。ファイル名を変更して時間合わせをさせ場所別に分類。

ビデオは早送りをしながら必要分の取り出しと、分割ファイルの結合の繰り返し、これは

時間と根気の勝負になった。こうした記録は記憶が残っている時にやっておかないと、

折角のものも脈略のない記録になってしまいそうな気がして、面倒と思う気持ちを萎えさ

せてくれる。この作業のお蔭で普段は起こらない肩こりが出てきそう。

旅行の纏めはで来ていないがブログに直書きの形でも掲載したいと考えている。


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