『クロアチアへの序章Ⅰ』
私たちのような古い人間には学校で教わった時の国名はユーゴスラビア。この国は独自
色の強い多民族がカリスマ性の高いチトー大統領によって一つの国家として統制されて
いた。東西冷戦を経てそれまでどうにかモザイク国家を形成してきたユーゴは接着剤がと
れたタイルのように一つ一つと剥がれ落ちていった。
その剥がれ落ちたタイルの中でもセルビア、ボツニア・ヘルツェゴビナのように悲惨な戦
いが燻り続け、今なおそのしこりは残り続けている。私がアマチュア無線で外国と交信し
ていた時、ユーゴスラビアは一つの国で国内は10のエリアに分割され、国のコールサイン
YUに地域番号をつけた(例YU1AT)ものが使われていた。この方式は全世界共通の仕組
みになっている。0~9のエリアは分裂し新しい国家になったものと同じような地域だから、
昔からそこが1つの国家であってもおかしくないし、むしろ分裂して元に戻ったと言う方が
正しいかもしれない。分裂後、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビ
ア、モンテネグロ、マケドニアの7か国が誕生しEUへの加盟国も増えつつある。
もしユーゴスラビという国が前のまま残っていたとした場合、観光地として捉えることが出来
るか、答えはノーであろう。私自身の持つ観光情報ではドブロヴニクがクロアチアにありそ
れが元のユーゴ以外の情報は皆無に等しいから、自発的にこの地域に出かけるための検
討はあり得なかった。今年は春先、ドイツ、スイス、フランス、途中リヒテンシュタイン、オース
トリアを通る旅をし、初夏は2年前に発生した東日本大震災の被災地を自家用車で訪問と2
つの旅に行ったからこれで終わりにしようと思っていた。
いつも送られてくる旅行会社のDMを見ていたら地中海地方の旅がシーズンオフの冬場だ
からか割安で紹介されていた。次回に旅する場合の参考にするつもりで眺めていたら、クロ
アチアが詳しく紹介され当面のコースは11月末が最後で次回は来年3月以降に設定される
模様だった。恐らく3月以降のコースだと旅行シーズンとしていい時期になるから段々と高く
なるものと思われ、今年最後の踏ん張りをして出かけてみるかと旅行会社に連絡をしてみる。