過去に回想闘病記、記事として癌発覚当時のことを記載してきた。取り分け、誕生日前に最初の自覚症状があった
から誕生日を迎えると当時の事を鮮明に思い出す。昨日は私の誕生日で68才と相成った。自分の人生の中に『死
神』と恐れられている癌が襲い掛かってくるシナリオは想像にも出てくるものではなかった。我が家の家系に癌は
ないとの先入観からそう信じていたが、祖父の家系は癌であることを近年になって知る。また、兄は私の半年前に
舌癌、従妹は乳がんになるなど世間に溢れるのと同じように親族の中でも癌が珍しくなくなってきた。若い時は妻
の家系は癌があったので万が一のことを考えて、私というより妻の為にがん保険に加入した。まるでアフラックの
宣伝に出てくるブラックスワンのようなものだ。
20代半ばで1口加入、その後は会社が斡旋する保険の中から選別して口数を増やしたり、新しいものに乗り換えた
りしていた。当時はまさか、そんなお守りのようながん保険のお世話になるなんて思うはずはない。50歳で退職し
て自由気ままに暮らしていた矢先に招かれざる客の癌はやって来た。
それが青天の霹靂、焼肉の席で肉が詰まっただけの小さな出来事は大きな運命の岐路、右に行くのか左に行くのか
私に選択権など無い。治療をしてそれが済めば癌を患っている時のような嫌な思いをしなくても良くなることが当
然だと思っていた。個人差は大きく治療前よりも悪くなった人も少なくない。私も手術によるQOLの低下はある
が、それは最少のものであり日常生活に於いて許容できるものだから、治療の有難味を十分に感じている。
しかし、癌が怖いのは治癒した確証がとれないことにある。その目安を5年生存率としているが他の似たようなが
ん患者から導き出した数字に過ぎない。先程、個人差が大きいと言ったがここにも大きな個人差はあるはずだから、
その%で右往左往することは何もない。極端な事、死亡率が99.9%でも自分が0.1%の所にいれば生存率は100%にな
る。今、癌かどうかとか、癌だと宣告されて悩んでいる人は他人の励ましなど余り耳に入らないかも知れないが、
悩むことによって得られるものは何もなく、ネガティブは更にネガティブな方向に向かっていくことになる。
無理してプラス思考にすればいいものでもない。
こんな風に考えてきたが、これにも個人差があるだろうから取る道は千差万別か。