ホリスティックヒーリング宙『心の扉を叩いてみたらきっと何かが見えるはず聴こえるはず』

ホリスティックヒーリング宙(sora)のヒーラー&臨床心理カウンセラー株本のぶこが心・心と身体について綴っています

他人の不幸は蜜の味

2009-09-13 16:16:10 | 心・身体・癒し
新聞の「悩み相談」のコーナーにこんな記事をみつけた。

ある四十代の女性が相談を寄せていた。
すべてを記すことはできないので、大まかな内容だけを紹介する。

悩みというのは「他人の不幸を望んでしまう」というもの。
誰もがその程度の差はあれ、他人の幸せ(あくまでも表面上ではあるが)をうらやましい、妬ましいと思う気持ちを持っていると思う。
が、このひとはそれを通り越し人一倍、他人の不幸を望んでしまうのだという。

例えば、子どもさんが参加している、あるスポーツクラブで他の子どもが怪我や病気をするとホッとするという。
なぜなら、それによって自分の子どもが選手に選ばれるかもしれないし、仲間が怪我や病気をしたことで、自分はそうならないように気をつけるようになると思うからだそうだ。
さらに「もともと他の子どもたちは、スポーツも勉強もできるのだから、少しは痛い目に遭ったほうがいいのだ」と考えるという。


また、自分の体調が悪いときなど、長く病気の友人に会いたくなるとか。そういう大変な状況にあるひとを前にして、「自分はこのひとよりも幸せ」と納得したいのだという。

一方、幸せなひとたちを見ると落ち着かないといい、誰かが相談事を彼女に持ってくると嬉しくなる。が、その悩みがあっというまに解決してしまうとガッカリするという。

相談の女性の話では、小さな頃からのコンプレックスが影響していると自己分析して文章は終わっているが、なんとも哀しい内容の相談だった。

それに対して回答者の作家・車谷長吉さんは何と返事をしていたかというと、相談者に対して、相当痛烈な手厳しい内容を話していた。

車谷さんは、普通、ひとは二十歳くらいになると人間は出来上がってしまっている。だからあなた(相談者)は九割九分、変わることはできないだろうと話していた。
それが本当かどうかはわからないが、四十数年間もそうした気持ちで生きてきたひとの心を180度変えるのは、やはり相当難しいかもしれない。

それゆえに車谷さんは、相談者自らが大きな不幸に出会わない限り、変われる可能性は限りなく低いと話していた。
そうすることで、初めて不幸なひとの苦しみや悲しみがある程度理解できるようになるだろうというのである。

おそらくその女性はこれまで一度も人生の不幸を経験・体験していないのだろう。それが「ひとの不幸を望む」原因だとも。

人生の不幸とは、病気や貧困、思想的挫折がその代表的なものだが、そういうことを一切経験せずに四十代なかばまできたひとは、その不幸を乗り越える力もないのだと車谷さんは言ったのだった。

読んでいて、ちょっと車谷さんの回答にも極端なところはあるように思った。

私が、この女性に感じたのは、人間が持つ他人に対しての共感や、自分とは違う立場や主張を持つ他人への想像力の欠如であった。

誰もがみんな同じような人生を歩んでいくわけでも、同じような価値観や考え方を持って生きているわけではない。
それでもみんなこの世の中で一緒に生き、暮らしていけるのは、自分以外の人、存在に対して想像力を持って接し、認めているからである。

思うに想像力こそが人間だけが持っているひとつの能力ではないだろうか。
ゆえに、周りに病気の人がいれば大丈夫かと心配をしたり、自分にできることは何かと考える。
身近なひとを亡くしたひとには、その悲しみがどれほどのものであるかを想像し、慰め、ときに黙ってそっと傍に寄り添うことだけをするのだ。

それができない、この相談者の女性にはおそらくひとの不幸の悲しみ、辛さを想像するということができないのだろう。
そういう点では車谷さんが言うように、もしかしたら人生の不幸というものを体験したことが本当にないのかもしれない。


この記事を読みながら、ふと思い出したのは、麻生太郎さんのことだった。
16日には首相の座を明け渡すことになりそうだが、現職時代よく指摘されたのが、彼の想像力のなさだった。

その一番の発言が、仕事がない、あっても生活できない若者に対して「生活できないなら結婚しない方がいい」と言ったのである。

確かに生活できなければ結婚することは難しいし、見方によれば無謀ともとれる。
しかし、なぜ若者が今、結婚できない状況に置かれているのかを考えたとき、そういう発言はできないはずだ。
各方面から多くの批判が寄せられたことは言うまでもない。

麻生さんがどうしてこういう発言をしたのか。
よく言われるのが、庶民の生活を今まで経験したことがないということだった。
一般的な生活がどういうものか、貧しさというものがどういうものかをまったく知らない彼に、現在の派遣労働者やニート、若者たちの困窮など想像することなどできるはずがないのである。

だから、ときどきとんでもない発言をして周囲にひんしゅくを買った。

ひとは誰ひとりとして同じ人生を歩むことはない。
境遇が似ているひとがいても、決して同じではない。

ましてや自分とかけ離れた世界に生き、生活をしてきたひととは接点を見出すことも難しいかもしれない。
だからこそ想像力を持って接していくことが重要になる。

と、麻生さんの話はここまでにして。


相談者の女性についてだが、最後に「自分認めてくれず、すぐに激高する父に育てられたせいかなと思うときがあります」という文章と「心を入れ替えたい」というの文章が気になった。

車谷さんは、あえてそこに焦点を当てることはなかったが、やはりここは考えてみる必要がある。
もし、彼女の「ひとの不幸を望んでしまう」ことの原因が、生い立ちや環境からきているのであれば、変わっていける可能性はあるはずだ。

心を入れ替えるという発想ではなく、何故そうした考え方をもつのか、その原因のひとつが父親との関係にあると考えるのであれば、いったいふたりの間にどんな日常があったのか。

そのとき彼女はどんなことを感じ、思ったを詳しく丁寧に再体験していくことで、当時出せなかった感情が表出されることで未完了だったものが完了する。

そうした作業を済ませたとき、もしかしたら彼女のなかに新たな価値観が生まれるかもしれない。

心はときに自分では計り知れない傷を負い、それが何十年間も見えないところでさまざまな影響を及ぼすことがある。

自分の幸福を他人の不幸を喜ぶことで感じ取ろうとするひとのなかに、何のタネが眠っているかもしれないのだ。


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