http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/03/31/AR2008033102156.html
自由の聖火ではない
ラビア・カーディル 4月1日 ワシントンポスト
先般、世界は平和的デモに係わったチベットの僧や尼僧、そして一般の信徒が中国の人民武装警察の残虐行為に遭遇したことを恐怖のうちに目撃しました。チベットが混乱と暴力の中に陥っていることは心が痛みます。
その半生を平和的にチベットの人々の正当な文化的な自治と生存の願望を推進するために捧げておられるダライラマ法王によって明らかにされたように、非暴力的な方法を通じて永続的な平和と意味ある変革が成し遂げられなければなりません。
最近のチベットのデモンストレーションとその血にまみれた結果を見るにつけ、私は私の人生の転回点を思い出しています、私が中国の文化的破壊と人権蹂躙に反対して声をあげていくより他の選択肢はないのだと決意した瞬間です。
その決意は中国の監獄での6年間とアメリカ合衆国への亡命に導くこととなりました。
私の2人の息子は私の人権運動の報復として東トルキスタンで長期の懲役刑を受けています。
1997年2月、数千人のウイグル人が平等、宗教の自由、そして政府による抑圧の終結を要求して東トルキスタン(中国政府による命名:新疆ウイグル自治区)のグルジャ地域で平和的に抗議活動を行いました。
武装した、準軍事的な警察が非武装のデモ参加者と傍観者に対峙して、即座に数十人を射殺しました、女性と子供を含めてです。
この抗議活動の結果として何千人ものウイグル人がデモに参加したという疑いで拘束されました。
悲惨なことに、何百人ものウイグル人が処刑されました。
私はグルジャ大虐殺で殺されたウイグル人の家族の為に嘆き悲しんだように、中国の警察に殺されたか拘束されて、おそらく二度とまみえることはないであろう平和的なチベットのデモ参加者の家族の為に悲しんでいます。
私は直接にその息子、娘たちを処刑人の弾丸に、暗い監獄房により失った両親と面会した経験があるのです。
中国の体制下における体験を共有していることで、ウイグル人はチベットの人々と連帯する立場に立ち、チベットの人たちの正当な完全自治の願望を支援します。
中国政府の宗教的表現への激しい抑圧、どのような不満足の表現への非寛容、差別的な経済政策と移入者の動向への支援はチベットと東トルキスタンを連結させて両地域の大きな社会的緊張に導いてきました。
北京にとっては中国の厳しい支配に不満足であるどのようなチベット人もウイグル人も「分離主義者」なのです。
ウイグル人はまた「テロリスト」であるとレッテル貼りされます。
チベットにおける軍事弾圧に報道の焦点が集まっていますが、中国政府が東トルキスタン南部で夜間外出禁止令を課していることにはほとんどが気がついていません。
公安(警察)は街をジャーマンシェパードと共に巡回し、どんな小さなウイグル人の集団も解散させました。
チベットの人々と同様に、ウイグル人は何十年も、北京の被害妄想的な指導者たちを懐柔するためにその独特の文化を根絶させようと試みる体制のもとで苦しんできました。
私たちの宗教、スンニーイスラムの穏健主義はウイグルの民族独自性に不可欠なものでありますが、厳しく抑圧されています。
ウイグル語は東トルキスタンの学校から消えつつあります。
何十万もの政府に資金援助された漢族中国人移住者が東トルキスタンにもたらされていますが、地域住民は失業と貧困に苦しんでいます。
然るに、中国政府の計画では若いウイグル女性を東トルキスタンから東中国の地域に移住させています。
オリンピック聖火が北京に昨日到来しました、6月末にチベットを、エベレスト頂上とラサ市街地を通るでしょう。その地からその炎は伝統的ウイグル文化の中心地であるカシュガル、地域の都ウルムチを含む東トルキスタンの都市に運び込まれるでしょう。
中国はこの聖火リレーをオリンピック精神を統合することを希望する「調和の旅」と呼びますがそれは中国の残酷な支配の現実を偽装するものでありましょう。
しかし、真の調和は中国共産党がチベットと東トルキスタンにおける文化的同化政策と政治的迫害を強化する限り絶対に達成されるはずはありません。
もしも中国が国際社会の責任ある一員となることを望むなら、その政府はチベットと東トルキスタンの不満足の源に取り組む意味ある対話に関与しなくてはなりません。
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