以下に紹介する記事はウイグル独立派にとってはあまりいい記事でもないかも知れない。この4月5日にアメリカの経済紙ウォールストリードジャーナルに掲載されたものである。先の王震生誕百年のときにも紹介したが、新疆のもう1つの政府、兵団こと新疆生産建設兵団についてのレポートである。今の「新疆」の姿。悪しくも良くも中国の一部として中国経済に組み込まれ「発展」している新疆、漢族vsウイグル族の問題だけに収斂されるとも限らないことも示唆している。
中国の民族問題の緊張はチベットに限られているわけではない。
トルコ系ウイグル人と漢族移住者の新疆での緊張
GOESON FAIRCLOUGH The Wallstreet Journal
2008年4月5日
新疆生産建設兵団 農業第8師団 150団
場所はこの辺です(図をクリック)
新疆生産建設兵団のこの前哨基地は中国の東部中心地からこの乾燥した国境地域、多数居住するトルコ系イスラム教徒の母国、に植民してきた20,000人の漢族中国人の本拠である、
このような移住は大規模なインフラ投資そして時には異論派を沈黙させるための苛酷な手段を伴なってきたが、新疆の政府当局を強固にするものと思われていた。しかしトルコ系のウイグル人の新しい抵抗運動と止まないチベット地域の動乱が北京の少数民族についての扱い方の限界を示している。
230万人の漢族中国人、中国の多数派民族が、1949年に新疆を占領した人民解放軍の派生物たる、この新疆生産建設兵団によって立ち上げられた移住地に今住んでいる。兵団は高速道路、鉄道、発電所、そして大学を建設している。
兵団にはこの経済発展の為の推進力にともに、第二の役割がある、安全保障。兵団は分離主義者を「取り締まる」「かけがえのない、特別な役割」を演じていると語っている。兵団員は軍と警察権力に伴って武装民兵として機能できるのである。
超広勇氏
「民族分裂主義と侵略との戦闘は終わってはいない。」新疆生産建設兵団副秘書長の、超広勇氏(Zhao Guanyong)はインタビューで語った。兵団は「国家統一を振興することに重要な役割を」演じている。
(注、副秘書長といっても、兵団のナンバー2ではないらしい。新疆建設兵団公式サイトの領導介紹のページには超広勇氏は載っていない。ナンバー1はあくまでも王楽泉新疆党委員会書記兼兵団第一政治委員)
兵団の二つの任務は中央政府の少数民族集団への総体的な扱い方を反映している。経済発展において少数民族に勝つ、一方で北京への反抗を撲滅する。新疆において、それは信仰の自由と公民権の制限を意味してきた。
「爆発寸前の状況です」ニューヨークに本拠を置く支援グループヒューマンライツウォッチの研究者、ニコラス・ベクリンは言う。
「人々は文化的独立意識が危機にさらされていると感じています。」
中国が先週に3月14日のラサでの暴動に続くチベット地域の動乱を封じ込めようとしていた時、はじめて抗議活動が新疆でも起こっていたと判ったのである。
3月23日の南新疆の都市ホータンでのデモ参加者は、ウイグル人同胞に独立運動を進める横断幕を広げたり、ビラを渡したりしたと、地方政府は語っている。公安がすぐさま動き、「小集団」の「ウイグル人を騙して蜂起させようとした」と当局が発表した動きを沈黙させた。
ホータン地方行政の職員Fu Chaoはウイグル人抗議活動者はチベットでの出来事に触発され彼らがよぶところの新疆においての独立イスラム国家の創出を求めていたと語った。
新疆においてのセキュリティの段階は上がっている。ウイグル活動家たちはチベットで抗議活動が始まったすぐ後に、中国がチベットと境界を共にする新疆にまで動揺が広がるのを防ごうとしてウイグル人の反体制運動家の疑いのある人物を拘束し始めた、と語る。
緊張関係はすでに始まっている。中国政府は先月失敗した中国のジェット旅客機をハイジャックしようとしたムスリム分離主義の企みの一員だったウイグル女性を逮捕したと発表した。2月には新疆の区都ウルムチで、中国公安がイスラムテロリストの会合と彼らが言うものを急襲し、2名を殺害して他の15名を逮捕した。
中国の国営新華社通信は金曜に木曜日の夜、四川省のチベット地域で新しい抗議活動が起こったと報道した。新華社は1人の政府職員が動乱で負傷したと語った。
チベットのための国際キャンペーンは金曜日にその事件の独自記事で8人が木曜日に四川省西部で武装警察が何百人もの僧侶と地域住民に発砲した後死亡した、と報じた。その抗議活動は甘孜県(Ganzi)から60キロ離れたトンゴルゴンパ(Tongkor)僧院の外部で起こった。とそのチベット支持組織は声明で語った。
その声明では僧院を検査していた中国官員がダライラマの写真を投げ、僧侶にその1959年からインドに亡命している精神的リーダー達を侮辱するように命じた、と語っている。僧侶たちは拒絶し小競り合いが起こった、とも語った。
取材された、地方政府官員や住民は騒乱の詳細を確認することを否定するかあるいは出来なかった。(つづきはこちらから)
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