これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(15)
チック・コリア
少し私自身の昔の生活の話をさせてください。
私は1972年、25歳で結婚し、翌年とその次の年、続けて子どもが生まれました。小さな塾経営で暮らしを立てていたのですが、あまり儲ける才覚がないのと、物書きになる夢が捨てきれないのとで、経営に全力を注ぐこともせず、収入はおっつかっつ、生活に追われて精一杯の何年かを過ごしました。
それにしても年子というのはたいへんですね。下の子が夜泣きが激しいので、夫婦でキャッチボールみたいにかわるがわるあやすのですが、一向に泣き止まず、疲れ果ててしまうこともたびたびでした。
寝室で妻と子ども二人が寝入ったらしいのを幸い、束の間を見てヘッドホンでジャズをちょっと聴いていたら、突然、「なに、自分だけ勝手なことをしてるのよ!」と怒鳴られたこともありました。寝入ったと思いきや、じつはまた夜泣きを始めたらしく、ヘッドホンのせいでそのことに気づかなかったのです。
塾の仕事は夕方から夜ですから、昼間は家にいます。子どもが3、4歳になると、とても可愛くて、毎日、遊び相手として接することができました。公園で鬼ごっこをしたり、レコードをかけて童謡を歌ったり、紙粘土でいろんなものを作ったり、日曜大工で子ども用の本箱を作ったり、夜は絵本を読んであげたり、と。普通のサラリーマンとは違って、よい意味でも悪い意味でもかなり濃密な父子関係だったと思います。
なぜこんなことを書くのかと言いますと、この時期からしばらく、大部分の人生時間が仕事と家庭生活(と、合間を縫っての勉強)で占められていたので、ひとりジャズを楽しむという時間帯をほとんどキープできなかったのです。幼い子どもがいるところで、まさか大音量でジャズをかけるわけにもいきません(クラシックはかけていましたし、子どもにはピアノを早くから習わせたりもしましたが)。私はジャズを楽しむのにふさわしい「孤独な青年」を早く卒業してしまったわけですが、それはそれで、充実した日々でした。
そんなわけで、ある時期以降のジャズの発展の仕方をあまり知らないのです。チック・コリアやキース・ジャレットがもてはやされているころ、むしろクラシックのレコードやCDを買いあさっていました。
ただ、手前味噌な言い方になりますが、私がジャズ鑑賞からリタイアしていたころ、ポップスの世界の表舞台はほとんどロックに乗っ取られており、古典的なモダンジャズの生命はもう衰えていたようです。そのロックもじきに分化と複雑化の過程をたどり、世界のさまざまな音楽が混淆し、何が主流なのかがはっきりつかめないようになりました。世はフュージョン花盛りを迎えたということでしょうか。
ジャズメンもサンバやロックのリズムを取り入れたり、エレクトリックピアノやシンセサイザーを使ったり、インド音楽に近寄ったり、ストリングスと共演したり、というわけで、私自身が青春時代につかんだ音楽的感受性のふるさとと思える世界が、どんどん遠くなっていくような気がしたのも事実です。ですから、自分のリタイアは、正解だったのかもしれません。私はたまたまモダンジャズの最盛期の数年後に鑑賞者となりましたが、これは日本にいれば、ちょうどよいタイムラグであり、そのことはとても運が良かったのではないか、と今では思っています。
たとえば、60年代末以降のマイルス・デイヴィスの変貌にはがっかりしましたし、ジョン・コルトレーンをはじめとするフリージャズの行きづまりも当然だという気がしました。また、このシリーズの初めに紹介したチック・コリアの「ナウ・ヒ―・シングズ・ナウ・ヒ―・ソブズ」は、初期の傑作ですが、その後、エレクトリックピアノやヴォーカルを取り入れた「リターン・トゥ・フォーエバー」などは、多少オシャレなBGMの域を出ていず、ちっともいいと思えません。これは、彼の名前をポピュラーにしたようですが、もうジャズとは言えないでしょう。
もしよろしければ、もう一度、「ナウ・ヒ―・シングズ……」から、「ステップス――ホワット・ワズ」を聴いてみてください。リズム感覚といい、斬新なリリシズムといい、内面性の深さといい、文句ない出来栄えです。パーソネルは、ミロスラフ・ヴィトス(b)、ロイ・ヘインズ(ds)。なおベースのミロスラフ・ヴィトスは、チェコ出身の異才で、ヨーロッパ出身者にふさわしい美しい音を響かせています。
ついでに、同じアルバムから、タイトルテューンの「ナウ・ヒ―・シングズ・ナウ・ヒ―・ソブズ」。ここでチック・コリアは、コルトレーンと共演していたマッコイ・タイナーによく似た、格調が高くありながらしかもスウィンギーなソロを聴かせてくれます。
なおつまらない話ですが、チック・コリアについては、おやじジャズファンとして、ひとこと言いたいことがあります。「スペイン」という有名な曲がありますね。これはいま、彼の「作曲」ということになっています。YouTubeにもそう書かれています。しかし、暖簾にこだわるようですが、この曲の最初に出てくるテーマは、スペインの作曲家ロドリーゴのギター曲「アランフェス協奏曲」であって、チック・コリアの作曲ではありません。チック・コリアは、はじめのテーマをロドリーゴの曲のとおりに弾いており、突然、テンポを変えて自分の作曲部分へと進んでいきます。これはいかにも唐突であり、ロドリーゴの曲との連続性が感じられません。
なぜこんなうるさいことを言うのか、その理由は2つあります。
一つは、アランフェス協奏曲が早くからジャズメンたちの敬愛の的となっており、マイルスの「スケッチズ・オブ・スペイン」や、MJQの演奏ですでにとっくに取り入れられているからです。
もう一つは、この曲は、マドリード近郊の静かで落ち着いた古城の町アランフェスに材料を採ったもので、原曲にはその哀愁に満ちた雰囲気がとてもよく出ています(私もこの町を訪れたことがあります)。マイルスやMJQは、いずれもそれを尊重していますが、チック・コリアはその雰囲気をまったく変えています。フラメンコ調の激しい乗りになってしまっているのですね。両者は、「スペイン」という言い括りではつながらない。
もちろん、ジャズに限らず、音楽の世界ではそういうことをやるのは当たり前で、だからこそチック・コリアのオリジナリティが出ているとも言えます。それ自体はいいのですが、ロドリーゴの曲を導入に用いていながら、「チック・コリア作曲『スペイン』」という言い方がまかり通るのが気に入らない。せめて「ロドリーゴの主題から」といった断り書きくらいはつけるべきでしょう。ちなみに私自身は、原曲のほうがずっと好きです。
たとえば、グノーの「アヴェマリア」が、バッハの平均律クラヴィーアの前奏曲1番をベースにしていることはよく知られていますが、これには見事な調和が感じられます。また、マイルスやビル・エヴァンスの「枯葉」は、これぞジャズともいうべきとても魅力的で新鮮なイメージを生み出すことに成功しています。しかし、チック・コリアの「スペイン」は、曲自体はそんなに悪くありませんが、ロドリーゴを導入部に用いる必然性が感じられないのです。それかあらぬか、後のライブなどでは、「スペイン」を演奏するとき、彼はこの導入部を削除しているようです。
みなさんはどうお感じでしょうか。ひとつ、名ギタリスト、ナルシソ・イエペスの演奏する「アランフェス協奏曲」と、チック・コリアの「スペイン」とを聴き比べてみてください。
フュージョンが当たり前になってしまった現在の音楽シーンでは、誰もが知らず知らずのうちに、さまざまな民族性を持つ音楽の影響を多面的に受けざるを得ず、シンプルな独創性を示すのがかえって難しくなったと思います。今回、以上のような小うるさいことを書いてきたのも、あのすでに古典と化したモダンジャズ最盛期の精神をきちんと引き継ぎながら、しかも高度で斬新なな感動を与えてくれるような可能性の展開はもう望めないのかもしれない、と考えたからです。じつはそれは(これは私の貧しい鑑賞体験から言えるに過ぎませんが)、かろうじてヨーロッパ人の手になる、クラシックとジャズを融合させた音楽のなかに見出すことができます。次回はそれについて書きましょう。
チック・コリア
少し私自身の昔の生活の話をさせてください。
私は1972年、25歳で結婚し、翌年とその次の年、続けて子どもが生まれました。小さな塾経営で暮らしを立てていたのですが、あまり儲ける才覚がないのと、物書きになる夢が捨てきれないのとで、経営に全力を注ぐこともせず、収入はおっつかっつ、生活に追われて精一杯の何年かを過ごしました。
それにしても年子というのはたいへんですね。下の子が夜泣きが激しいので、夫婦でキャッチボールみたいにかわるがわるあやすのですが、一向に泣き止まず、疲れ果ててしまうこともたびたびでした。
寝室で妻と子ども二人が寝入ったらしいのを幸い、束の間を見てヘッドホンでジャズをちょっと聴いていたら、突然、「なに、自分だけ勝手なことをしてるのよ!」と怒鳴られたこともありました。寝入ったと思いきや、じつはまた夜泣きを始めたらしく、ヘッドホンのせいでそのことに気づかなかったのです。
塾の仕事は夕方から夜ですから、昼間は家にいます。子どもが3、4歳になると、とても可愛くて、毎日、遊び相手として接することができました。公園で鬼ごっこをしたり、レコードをかけて童謡を歌ったり、紙粘土でいろんなものを作ったり、日曜大工で子ども用の本箱を作ったり、夜は絵本を読んであげたり、と。普通のサラリーマンとは違って、よい意味でも悪い意味でもかなり濃密な父子関係だったと思います。
なぜこんなことを書くのかと言いますと、この時期からしばらく、大部分の人生時間が仕事と家庭生活(と、合間を縫っての勉強)で占められていたので、ひとりジャズを楽しむという時間帯をほとんどキープできなかったのです。幼い子どもがいるところで、まさか大音量でジャズをかけるわけにもいきません(クラシックはかけていましたし、子どもにはピアノを早くから習わせたりもしましたが)。私はジャズを楽しむのにふさわしい「孤独な青年」を早く卒業してしまったわけですが、それはそれで、充実した日々でした。
そんなわけで、ある時期以降のジャズの発展の仕方をあまり知らないのです。チック・コリアやキース・ジャレットがもてはやされているころ、むしろクラシックのレコードやCDを買いあさっていました。
ただ、手前味噌な言い方になりますが、私がジャズ鑑賞からリタイアしていたころ、ポップスの世界の表舞台はほとんどロックに乗っ取られており、古典的なモダンジャズの生命はもう衰えていたようです。そのロックもじきに分化と複雑化の過程をたどり、世界のさまざまな音楽が混淆し、何が主流なのかがはっきりつかめないようになりました。世はフュージョン花盛りを迎えたということでしょうか。
ジャズメンもサンバやロックのリズムを取り入れたり、エレクトリックピアノやシンセサイザーを使ったり、インド音楽に近寄ったり、ストリングスと共演したり、というわけで、私自身が青春時代につかんだ音楽的感受性のふるさとと思える世界が、どんどん遠くなっていくような気がしたのも事実です。ですから、自分のリタイアは、正解だったのかもしれません。私はたまたまモダンジャズの最盛期の数年後に鑑賞者となりましたが、これは日本にいれば、ちょうどよいタイムラグであり、そのことはとても運が良かったのではないか、と今では思っています。
たとえば、60年代末以降のマイルス・デイヴィスの変貌にはがっかりしましたし、ジョン・コルトレーンをはじめとするフリージャズの行きづまりも当然だという気がしました。また、このシリーズの初めに紹介したチック・コリアの「ナウ・ヒ―・シングズ・ナウ・ヒ―・ソブズ」は、初期の傑作ですが、その後、エレクトリックピアノやヴォーカルを取り入れた「リターン・トゥ・フォーエバー」などは、多少オシャレなBGMの域を出ていず、ちっともいいと思えません。これは、彼の名前をポピュラーにしたようですが、もうジャズとは言えないでしょう。
もしよろしければ、もう一度、「ナウ・ヒ―・シングズ……」から、「ステップス――ホワット・ワズ」を聴いてみてください。リズム感覚といい、斬新なリリシズムといい、内面性の深さといい、文句ない出来栄えです。パーソネルは、ミロスラフ・ヴィトス(b)、ロイ・ヘインズ(ds)。なおベースのミロスラフ・ヴィトスは、チェコ出身の異才で、ヨーロッパ出身者にふさわしい美しい音を響かせています。
ついでに、同じアルバムから、タイトルテューンの「ナウ・ヒ―・シングズ・ナウ・ヒ―・ソブズ」。ここでチック・コリアは、コルトレーンと共演していたマッコイ・タイナーによく似た、格調が高くありながらしかもスウィンギーなソロを聴かせてくれます。
なおつまらない話ですが、チック・コリアについては、おやじジャズファンとして、ひとこと言いたいことがあります。「スペイン」という有名な曲がありますね。これはいま、彼の「作曲」ということになっています。YouTubeにもそう書かれています。しかし、暖簾にこだわるようですが、この曲の最初に出てくるテーマは、スペインの作曲家ロドリーゴのギター曲「アランフェス協奏曲」であって、チック・コリアの作曲ではありません。チック・コリアは、はじめのテーマをロドリーゴの曲のとおりに弾いており、突然、テンポを変えて自分の作曲部分へと進んでいきます。これはいかにも唐突であり、ロドリーゴの曲との連続性が感じられません。
なぜこんなうるさいことを言うのか、その理由は2つあります。
一つは、アランフェス協奏曲が早くからジャズメンたちの敬愛の的となっており、マイルスの「スケッチズ・オブ・スペイン」や、MJQの演奏ですでにとっくに取り入れられているからです。
もう一つは、この曲は、マドリード近郊の静かで落ち着いた古城の町アランフェスに材料を採ったもので、原曲にはその哀愁に満ちた雰囲気がとてもよく出ています(私もこの町を訪れたことがあります)。マイルスやMJQは、いずれもそれを尊重していますが、チック・コリアはその雰囲気をまったく変えています。フラメンコ調の激しい乗りになってしまっているのですね。両者は、「スペイン」という言い括りではつながらない。
もちろん、ジャズに限らず、音楽の世界ではそういうことをやるのは当たり前で、だからこそチック・コリアのオリジナリティが出ているとも言えます。それ自体はいいのですが、ロドリーゴの曲を導入に用いていながら、「チック・コリア作曲『スペイン』」という言い方がまかり通るのが気に入らない。せめて「ロドリーゴの主題から」といった断り書きくらいはつけるべきでしょう。ちなみに私自身は、原曲のほうがずっと好きです。
たとえば、グノーの「アヴェマリア」が、バッハの平均律クラヴィーアの前奏曲1番をベースにしていることはよく知られていますが、これには見事な調和が感じられます。また、マイルスやビル・エヴァンスの「枯葉」は、これぞジャズともいうべきとても魅力的で新鮮なイメージを生み出すことに成功しています。しかし、チック・コリアの「スペイン」は、曲自体はそんなに悪くありませんが、ロドリーゴを導入部に用いる必然性が感じられないのです。それかあらぬか、後のライブなどでは、「スペイン」を演奏するとき、彼はこの導入部を削除しているようです。
みなさんはどうお感じでしょうか。ひとつ、名ギタリスト、ナルシソ・イエペスの演奏する「アランフェス協奏曲」と、チック・コリアの「スペイン」とを聴き比べてみてください。
フュージョンが当たり前になってしまった現在の音楽シーンでは、誰もが知らず知らずのうちに、さまざまな民族性を持つ音楽の影響を多面的に受けざるを得ず、シンプルな独創性を示すのがかえって難しくなったと思います。今回、以上のような小うるさいことを書いてきたのも、あのすでに古典と化したモダンジャズ最盛期の精神をきちんと引き継ぎながら、しかも高度で斬新なな感動を与えてくれるような可能性の展開はもう望めないのかもしれない、と考えたからです。じつはそれは(これは私の貧しい鑑賞体験から言えるに過ぎませんが)、かろうじてヨーロッパ人の手になる、クラシックとジャズを融合させた音楽のなかに見出すことができます。次回はそれについて書きましょう。
モダンジャズの衰退とスペインについての小生の感想について共感していただき、とてもうれしく思います。
「60年代の芸術シーンは、今考えても信じられないような驚きの連続でした。これを自分自身の青年心理特有なものか、時代のなす業なのか、ずっと疑問でしたが」と書いておられますが、やっぱり、いろいろな意味ですごい時代だったのだと思います。
ビートルズ、ブラジル音楽、フォークブーム、演劇ではベケット、イオネスコ、日本でも赤テントなど。美術では、アンディ・ウォーホールらのポップ・アート、エトセトラ。
たしかに「ジャズは終わった」のですが、私たちが「ジャズは終わった」という形で記憶している限り、「終わった」ことによってこそまさにいま、その栄光を輝かせているのだと思います。クラシックと同じように、「古典」として永遠に生きることを通して。
これから、もう少しこの点について書こうと思っていますので、よろしく。
私の場合、5年ぐらいあとを追っかけて、横浜のちぐさやダウンビート、新宿のディグなどに入り浸って、英単語を覚えるような浪人生活を送り、憧れのW大学に入ったらもっとジャズが聴けるなと思っておりましたが、めでたく入学し最初の「コンパ」で、ジャズは67年、コルトレーンの死ともに終わったなどと気が利いたことを言ったら、佐渡島出身の同級生に反論された思い出があります。
60年代の芸術シーンは、今考えても信じられないような驚きの連続でした。これを自分自身の青年心理特有なものか、時代のなす業なのか、ずっと疑問でしたが、一歩思考を先に進められそうです。
ちなみに、アランフェス協奏曲ですが、ジャズ・ヴァージョンとしては、マイルス・デヴィス、ギル・エヴァンスのSketches of Spain (1960)が面白いです(たぶんご承知でしょうが)。チック・コリアは二番煎じのような気がしてあまり面白いとは思いませんでした。
このアルバムは、マイルスというより、ギルの手柄だと思います。スペインというより、スペイン音階とリズムへの関心からこのアルバムを作ったのでしょう。スイングのリズムは全く使われていないので、ジャズ喫茶でリクエストするのははばかれました。入り口でこれが聞こえたら、入店をためらう人がいるでしょう。トランペットとスペイン音楽の結びつきというのもはふつう考えられませんが、今となっては自然に感じられます。原曲のクラシックと並ぶ、違う世界を作り出しています。こういう音楽上の冒険が60年代には目白押しでした。
http://www.youtube.com/watch?v=O4Xd9k_QPlw
(全曲)