小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

コロナ狂気がついに虐待を

2020年12月23日 20時15分30秒 | 社会評論


この頃なんだか世界がおかしくなってきたと感じているのは私だけでしょうか。

これまで、新型コロナの流行が疫病の流行ではなく恐怖の流行に過ぎない事実を、きちんと数字を挙げながら何回も証明してきました。おかげさまで、本ブログ記事「新型コロナ、10のウソ」を投稿した新経世済民新聞では、たくさんの方の「いいね!」をいただき、ツイッターでの拡散もけっこうな数に上ったようです。
https://38news.jp/column/17111

それでもこの集団強迫神経症の空気は衰えるどころか、最近はかえってますますコロナ全体主義の雰囲気が濃厚になってきました。
11月末に落語に行きました。1座席ずつ空けて指定されていましたが(それはまあいいのですが)、たまたまマスクを外していたら、休憩時間に隣のオバサンに「マスクをしてください!」とお叱りを被りました。
同じころ、マスクを下げたままスーパーのレジで品物を差し出したら、店員に「マスクを上げていただけますか」と注意されました。
ある友人が午後の新橋界隈を歩いていたら、長蛇の列があるので、ジャンボ宝くじの販売窓口でもあるのかと思ったそうです。でも違って、「新型PCR検査センター」とでかでかと書かれた看板の下にずらりと並んでいたとか。
もうひとつ、別の知人から聞いた話。歌の練習会があって、その会場では、次の段階を踏みます。
1.到着したらマスクを外して、会場にある新しいマスクをつける。
2.イソジンでうがいをする。
3.手の消毒。
4.検温。
5.歌う人が変わるごとに、マイクを消毒する。
6、そのたびに、歌った人の周りに消毒スプレーを噴霧する。

失礼じゃないかね、頭がおかしくなったんじゃないかね。

みなさん、これが日本中で起きている「非常事態」であります。

東京都の小池知事は、ここぞ私の出番とばかり、毎日のように嬉々として記者会見を開き、「暮れ正月休みはStay Homeで」とオウムのように繰り返しています。そればかりか、都内の小学生に、「お医者さんに感謝の手紙を書きましょう」などと要請し、ことさらコロナのたいへんさを印象付けようとしています。こういうのを文字通り「子供だまし」と言います。
こんなことしかやることがないのかね。聞けばGO TO キャンペーンに強い規制がかかったのは彼女の強い圧力があったからとか。

もう何度も書いたので、繰り返すのはうんざりなのですが、第2波、第3波と大騒ぎしているこの空気には何の根拠もありません。
以下の二つの資料によると、直近の12月20日時点で、PCR検査の陽性率(陽性者÷検査件数)は4.2%です。これはコロナの流行が騒がれ出した4月のピーク時に比べると、三分の一以下、またこれまでの累計死者数は、100万人当たり22人で、それも基礎疾患のある高齢者に集中しています。https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/?fbclid=IwAR2S54N_qvGv4pvErqYep9pud9caVBH44VsTj9dv0q5nXk8iq4ZnOyHd6xw
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death
毎年、肺炎で死ぬ人が10万人以上いて何の騒ぎにもならないのに、3000人程度の死者で大騒ぎをするのは異常としか言いようがありません。こんなのはパンデミックと言うべきではないのです。

そもそもPCR検査は、新型コロナの診断にはほとんど役に立たない検査です。
コカ・コーラやパイナップルにつけただけで陽性反応が出たとかいった笑い話のような話もありますが、それはともかく、東京女子医大感染症科の平井由児医師の、PCR検査についての次のような見解は、たいへん説得力があります。URLを張っておきますので、皆さん、ぜひ見てください。
https://ameblo.jp/obasannneco/entry-12641199459.html?frm_src=favoritemail
平井氏は、わかりやすい動画を用いて次のような指摘をしています。
・私たちの体が膨大な数の細菌やウィルスに満たされていて、もしそれを取り除いてしまうと、たちまち体のバランスを失ってしまうこと
・PCR検査は感染したかどうかを調べるためにあるのではなくて、本来遺伝子の検出のためにあること
・その感度は極めて敏感で健康体の器官にちょっとウィルスが付着していても反応してしまうこと
・2019年までは、症状の軽重によって「健康」「風邪(旧コロ)」「インフル」の三つに分類される診断がなされて、それに応じた処置を受けていた人たちが、2020年からはPCRで陽性反応が出ると、すべてコロナと診断されてしまうようになったこと
・PCR法を開発してノーベル賞を受賞したキャリー・マリス博士が「診断に使ってはならない」と警告を発していたこと(惜しくも8月に博士は亡くなってしまいました)。

このように開発者当人が不適切と公言しているにもかかわらず、全世界でこの検査が伝家の宝刀のように使われるようになってしまったのです。
そうして、例の記事にも書きましたが、6月18日に厚労省が全国自治体に出した通達によって、別の疾患で死亡した人も、コロナ感染者と認定されていればコロナで死んだことにされてしまったのです。ですから、先に記載した死者数も本当はもっと少ないのです。

また、コロナの発生によって医療崩壊の危機に見舞われたという説が全国を駆け巡りましたが、医療崩壊の危機は、2000年代初頭からすでに起きていたのです。それは、ベッド数、医師、看護師、保健所の削減、病院の統廃合などの政策によるものです。
この政策が、財務省の緊縮脳に基づくものであることは見やすい道理でしょう。政府にとって、コロナの発生はこの長年の経済政策の大間違いを隠蔽するのにまことに都合がよかったことは言うまでもありません。

それにしても、いったいこのコロナ妄想の世界的流行という社会心理学的な異常事態は、どうして起きたのでしょうか。
それについて考える前に、先に挙げた例よりも実はもっともっと異常亊が起きていたことを示しておきましょう。
12月21日配信の西日本新聞に次のような記事が出ていました。

「コロナ禍で換気のために窓を開けて寒いのに、防寒着の着用が認められない」「一日中、窓の開放が必要なのか」――。日増しに寒くなる中、学校の換気や防寒着に関する調査依頼が本紙「あなたの特命取材班」に複数届いた。体が冷えて体調不良や集中力の低下につながると懸念する声も強い。声を寄せた一人、福岡市立中に娘が通う母親は、今冬の防寒具に関する学校のプリントにため息をつく。
男子は学生服、女子はセーラー服で、着用できる防寒着は規定のセーターやカーディガン。マフラーや手袋は昇降口で着脱し、規定外のジャンパーやハイネックは認められない――。例年通りの内容。教室の窓は常に全開で、生徒が閉めると叱る教員もいるため、娘は寒さに耐えながら授業を受けているという。母親は、ぜんそくがある娘を見かねて規定外の服を着るように提案したが、「誰も着ていないし怒られる」。母親は取材班に「先生たちは自由な服装のはず。コロナ禍の今は特に、子どもも暖かな服を着られるようにすべきではないか」と嘆いた。学校側の対応力の乏しさを感じている。


私はこの記事をハリー・ライムさんと名乗る人のブログで知りました。
https://ameblo.jp/yoshino0716/entry-12645312060.html?frm_src=favoritemail&fbclid=IwAR2FDHaGfxuPbw1JLfB7j5lIYSJSlt20BRsOo9H9s7fGh6s5NxtY8P0KTB4

これを読んだとき、激しい憤りがこみ上げてきました。これは教育界で公然と行なわれている「虐待」ではないか。執筆者のライムさんも、「キングオブアホ」と大書して、虐待と呼んでいます。
厳寒の季節に窓を開けっぱなしにして防寒服着用も許さずに、窓を閉めようとすると叱りつけるキ◌ガイ教師ども。いったいこいつらは、寒さでぜんそくや風邪が悪化して重症になった生徒が出たら、責任を取るのか。
前提が根底から間違っているコロナ騒動に日本人のほぼ全員が巻き込まれているのですから、おそらくこうした例は氷山の一角に過ぎないでしょう。

これはすでに何人かの人が指摘していますが、そもそも2級感染症指定は致死率の高い鳥インフルやSARSのような感染症にしか適用されないのに、インフルエンザ(5級指定)よりも死者がはるかに少ないコロナにこの指定がなされているのはまったくおかしいことです。それなのに解除の動きは一向に盛り上がりません。

しかし、いくらこうしたことを指摘しても、当分の間、人々はコロナ恐怖症から解放されないでしょう。
なぜこんなメンタルな疫病に「上下心ヲ一ニシテ、官武一途庶民ニ至ルマデ」、国民全員が取りつかれてしまったのか。しかもそれが経済と文化の自殺行為であるとわかっているのに。
この問いに明快な答えを見つけることはとても難しく思えます。
仮説①:日本人はもともと同調圧力に屈しやすい。
仮説②:日本人はもともと過度に用心深い。
仮説③:日本人はもともと理性的にものを考える力が弱い。
仮説④:日本人は欧米の流行を見て例のごとくサルマネをしている(ちなみに欧米の流行も実は大したことはないのです。ウソだと思う人は、先にご紹介したhttps://38news.jp/column/17111を参照してください)。
仮説⑤:長く続くデフレから脱却できず貧困化が深まる中で社会不安が増大している。
しかし、コロナ恐怖症は何も日本に限ったことではありません。海外渡航や国境を超えることやロックダウンなど、日々の生活行動に厳しい制限が設けられていることは世界中で起きているので、上記の仮説は全部合わせても、いまいち説得力に欠けるでしょう。
私自身の現時点での仮説は、次のようなものです。
人々は、見かけの平和と大国間の緊張外交によって保たれてきた世界秩序に倦んでいて、世界大戦、大災害、疫病の大流行のような「ハルマゲドン」的狂気の出現を心のどこかで望むようになっている。
言ってみれば、宗教に特有の非合理な破壊願望のようなものです。逆説的ですが、それが常識を否定して、過剰な生命第一、健康第一イデオロギーへのヒステリックな縋りつきとして現われている。恐れている対象は自分たち自身の中に住む仮象の魔物であり、これと理性的に立ち向かう術がわからないために、「ただ生きる」ことに固執して、「よく生きる」方途をすっかり見失っている。つまりはニヒリズムの支配です。
こんな解釈がどこまで当たっているかわかりませんので、諸家のご意見を拝聴したく思います。


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7 コメント

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Unknown (紳士ハム太郎)
2020-12-24 01:33:45
そもそも、公立の中学の教師にまともな人少ないですよ。行かない方がいいです。暴力事件・性的搾取等が多発しているし、しかもそれを隠ぺいしています。発覚してもいじめ・やんちゃ・指導などという言葉でごまかしています。監視カメラが必要です。近年、若年層に自殺者が多いのは学校が破綻しているからです。日本名の異民族だらけなのにそれをみてみないふりをし、犯罪も黙殺しています。名前は忘れましたが、多くの教師がハラスメント行為をしていると暴露している書籍もありました。憲法では教育を受ける権利が保障されていますが、日本の公立中学では無理です。

デフレというのはどうでしょうか?製品の価格が上がっていなくても(所得が低下しているので買えない)、実際には量を減らしたり品質を落としているのでデフレではないと思います。
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Unknown (MIKI)
2020-12-26 00:40:52
いつも真実を教えて下さり、誠に有り難うございます。テレビや新聞、ネットのニュースなどでは情報操作が行われているので、このようなブログはとても感謝しながら読ませて頂いております。

コロナ狂気は私もとても感じており、娘の学校では昼食時の私語禁止(大人社会でもそこまではされていないのに)、アルコール消毒の徹底がなされていて、手が荒れてしまい、痛いながらも怒られたくないとアルコール消毒をする娘が可哀想に思っております。

また今までは手首で体温を計っていたところも、おでこで計られることが多くなりました。脳に近い部分でもあり、体温計が果たして安全なものなのか気になっているのですが、、もし何かご存じな点がございましたら、教えて頂けると有り難いです。どのように検温やアルコール消毒を回避するべきか、案がありましたら合わせてご教示頂きたく思います。
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MIKIさんへ (小浜逸郎)
2020-12-27 14:06:06
好意的なコメント、ありがとうございます。
このおかしな風潮から脱却するのはいつになるのでしょうね。

おでこで検温することが何らかの害を及ぼすかどうかについては、私は知りません。
しかし、食事中の私語禁止はひどいですね。またアルコール消毒の強制もバカげています。この流行病の基礎認識を、世界中の人々がマスメディアの虚報や政府の強硬方針によって、誤って信じ込まされてしまいました。
こういうファシズム的な状況下では、個人的な抵抗は極めて難しいと思います。お嬢さんのようなケースでは、たとえご両親が学校に抗議しても、お嬢さんがいじめに遭うような逆効果を生みかねません。
私はそういう薬剤があるかどうか知らないのですが、たとえば、アルコールをかけられても皮膚に浸透しないようなクリームのようなものがあれば、それをあらかじめ塗っておくというのはいかがでしょうか。あるいは、アルコールに対するアレルギーがあると報告すれば(たとえなくても)、話のわかる教師なら免除してくれるかもしれません。
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Unknown (Miki)
2020-12-29 10:56:45
ご丁寧なお返事、誠に有難うございます。娘は先生の言うことを信じ、真面目に守っていたので、運動の最中でもマスクをつける方が良い、手洗いと除菌は徹底しなくてはいけないと完全に刷り込まれていました。息苦しい時はマスクをはずして良いよ、石鹸で洗いすぎてアルコール消毒したら本当は体に良い常在菌や皮膚を守る脂までなくなってしまうから程々にねと私が言っても、お友達にまで汚いって言われるのが嫌で言われた通りにしていました。でも今回は手の肌荒れを通して学んだように思います。
マスメディア、政治家、医者、先生などの学識ある人が言っていたとしても、真実は自分の頭でよく考えて判断しなくてはならないこと、そして自分と考えが異なる人と出会っても、決して自分の考えを曲げる必要はなく、共存共栄していく方法を見つけられる力を育んであげたいと親として感じています。
今後もこちらのブログを通して自分なりの判断力を鍛えていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願い致します。
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小浜先生へ (がそ)
2021-01-02 22:21:28
時事問題に対する論考、いつも興味深く読ませてもらっております。

ただ最近、私は時事問題を扱う際の小浜先生の「手付き」に、少し違和感を感じております。

今回の記事で紹介されている「コロナ全体主義」の様相、PCR検査の信頼度の低さと不適切さなどは、なるほどそうなのかと思いました。

ただ、私たちが「コロナ恐怖症」に陥る心理の分析は、掘り下げがやや足りないように感じます。

私たちがコロナに対し感じている「怖さ」は、単純ではありません。

その「怖さ」を細かく見ていくと、「罹患するのが怖い」「発症するのが怖い」「後遺症が怖い」「人にうつすのが怖い」「職場や周囲に迷惑をかけるのが怖い」「罹患して村八分にされるのが怖い」「死ぬのが怖い」「ウイルスの存在自体が怖い」などがあります。

私たちの抱く「怖さ」はこれらの混合物で、どれが一番怖いのか、そのバランスやグラデーションは人それぞれです。

また、地域によっても違います。私は東北人ですが、東北では、先生が書かれた都会の「コロナ全体主義」の空気を、比較的冷静に観察しており、都会の傾向に合わせているようなところがあります。

概して、都会での社会現象は、マスコミの影響で全国各地一律の社会現象であるかのように錯覚させられがちですが、決してそうではありません。東北人から見ると、先生の書く「全体主義」は、単に「都会中心主義」のようにも見えます。

こうした人や地域の個別の違いを無視して、日本人から世界の人々まで大雑把にくくってニヒリズムが支配していると結論づけてしまうのも、少し乱暴に思われました。

その解釈自体は大まかには当たっているのかも知れませんが、対象をまず先にトータルで捉えてしまって、対象の個別の様相や実存を無視してしまうのは、逆説的に、小浜先生が再三批判してきたイデア主義・全体主義と同じ構図に陥っているように見えます。

批評家としての小浜先生の戦い方は、私たちがごく普通に抱く生活感覚や違和感から出発して、決めつけ・極端論・イデオロギーを鋭く深く批判し、その批判的思考を経て新たな道を拓くというものでした。

しかし最近は、特定の学者・研究者やメディアから得た情報を、先生はどのような批判的な思考を経て「正確な情報」として選び取ったのか、その過程が少し分かりにくい気がしております。

長々と書いてしまいました。もしもトンチンカンな書き方になっていたら申し訳ありません。
これからのご活躍、まだまだ楽しみにしております。
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Unknown (のらネコ)
2021-01-02 22:58:36
いつも興味深く読ませて頂いております。

私も、この件に限らず、あれこれに悪意を感じておりましたが、ビガノ大司教が10月にトランプ大統領に宛てた公開書簡を読み、謎が解けた気がしました。
また、Cの常套手段である分断工作等が浸透しているのも要因では?と思いました。



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小生の反省と全体主義 (髙木四郎)
2021-01-12 17:15:16
先生、こんにちは。
以前、確か小生は、「コロナ禍における全体主義が我が国で始る」との先生のご趣旨ご主張に対し、「最早戦後弱体化した我が国では、そんな意気も興らず、代りに猟奇的な殺人劇や自殺劇などが起るのでは」と反論的に申上げたと思います。

併し、時日が経ち、現実の事態を見ますと、誠に小浜先生の申されますように、「コロナ全体主義」が我が国を覆ってしまいました。小生は、かの私論を述べた際は、何の衒いもなく、率直に心に映じたことを述べた訳ではありますが、実際には、先生の仰る通りとなり、小生の見通しの悪さ、学の無さを反省しております。

小生は、目的と手段が転倒した「管理教育」なるものを中学校で濃厚に浴びて懲りており、爾来、生理的な「自由主義者(オールドリベラリストの意)」の気風を有するに至った経緯があり、全体主義(的風潮)を嫌っております。

藤井聡先生は、コロナ・インフォデミック、コロナ衆愚主義にブチ切れ、小林よしのり氏は、『コロナ論』を著して、世に警鐘を乱打しました。

驚いたのは、中野剛志氏や、佐藤健志氏など、小生が尊敬してきた方々が、いとも容易く、これまで恩義や友誼を育まれてきたであろう藤井聡先生に叛旗を翻して、批判に回り、残念ながらその後の反省も見受けられない(小生の目に映ってないだけかもしれませんが)ことでした。(尤も、適菜収氏は、元々そういう「哲学者」でしたので、首尾一貫、特に驚きはありませんでしたが)

そして、知事から総理に至るまで、愚政、暴政、失政のオンパレードとなり、溜息が出ます。(減税も、給付金も、補償金も一切ない、額面だけ立派な補正予算に我が目を疑いました)

正にオルテガの言う「大衆」って、こういうことかと。ゲッベルスの「宣伝」とはこういうことかと、或いはハンナ・アーレントの言ってたこと、山本七平の言ってたこととはこういうことかと、納得しました。

小生自身は、家族の助けもあるので、柳に風と裏道を行き、実害より寧ろ、期せずして訪れた静寂を満喫して(指差されぬようしっかりマスクをして)街に出たり、移動をしたりしておりますが、風圧をまともに被って辛い思いをし、心や命を脅かされる方々も大勢いらっしゃることでしょう。

今、小生に出来ることは、祈り、学び、自分の努力を重ねることだけですが、万機公論の動きにも注意しつつ、研鑽を重ねてゆきたいと思います。

これからも、よろしくお願い致します。
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