小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

大相撲モンゴル場所を提案する(半分冗談、半分本気)

2015年03月23日 23時47分17秒 | エッセイ
大相撲モンゴル場所を提案する(半分冗談、半分本気)




 大相撲春場所が終わりました。今年は鶴竜をはじめ休場力士が多く、三大関の成績も前半からふるわず、また白鵬の独走に終わるのか、すごいけどつまらないなあと思っていましたが、関脇・照ノ富士が何と白鵬を破って千秋楽まで優勝圏内に残り、大いに観客を沸かせました。しかも新関脇で13勝2敗という素晴らしい成績。先場所関脇に躍進してさすがに負け越した新鋭・逸ノ城も、今場所は、西前頭筆頭で9勝6敗の好成績を残しましたから、来場所は三役復帰が確実でしょう。
 ところで今場所も例によって白鵬をはじめとしてモンゴル出身力士が席巻し、対して日本人上位力士のふがいなさといったらありません。若乃花引退以来15年間日本人横綱が誕生していないことを嘆く関係者の声がしきりです。しかし私は、以前にもこのブログで取り上げましたが(http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/3b4a77e2426361a58000939ff4bc3559)、そのことをまったく気にしていません。むしろモンゴル力士の活躍を大いに応援したい気分です。その理由は、国際スポーツ大会などと違って、あの遊牧の小国からはるばる出てきた彼らがほとんど日本人になりきって、国技である相撲に命をかけているさまが、何とも気持ち良いからです。ことに、3年前の夏場所、モンゴル関取第1号の旭天鵬が、苦節20年を経たのち、なんと37歳で平幕優勝を遂げた時には、思わず涙ぐんでしまいました。豊かな大国になってしまった日本からは、もうこうしたハングリー精神の発露は望めないのではないでしょうか。
 現に今場所も日本人三大関の成績は振るわず、稀勢の里9勝6敗、琴奨菊と豪栄道はいずれも8勝7敗という情けなさです。この三人が横綱になることは、その相撲内容から見てもまず考えられず、やがては照ノ富士や逸ノ城に先を越されることは確実に思われます。
 いま、全幕内力士42名のうち、外国出身力士は17名、そのうちなんと10名がモンゴルです。また蒼国来は中国出身となっていますが、モンゴル自治区(内モンゴル)出身ですから、実質的にはモンゴル人です。ちなみに幕内現役モンゴル力士11人の四股名と番付をすべて書き出しておきましょう。

 東正横綱・白鵬  西正横綱・日馬富士  東張出横綱・鶴竜  東関脇・照ノ富士  東小結・玉鷲  西前頭筆頭・逸ノ城  同8枚目・時天空  東前頭10枚目・旭秀鵬  西前頭11枚目・旭天鵬  同13枚目・蒼国来  同14枚目・荒鷲      

 これだけ揃っているのですから、いっそ6つの本場所のうち一回くらいは、モンゴルのウランバートルで開いたらどうでしょうか。もちろん費用はこっち持ちです。もしこれが実現したら、人口わずか240万人、GDPでは日本の約450分の1しかないモンゴルは、国を挙げて湧きかえるでしょう。経済効果もあるかもしれません。モンゴル人の対日感情はすこぶる良く、2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、「最も親しくすべき国」として第1位になったそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%9B%BD#.E5.AF.BE.E6.97.A5.E9.96.A2.E4.BF.82
 この親日感情の由来は、第一には、隣国中国の進出野心に対する根深い悪感情の裏返しが考えられます。また、日本がODAで多額の支援をしてきたこと、それからもちろん、まさに相撲を通して国内にヒーローを何人も作り出したことが関係しているでしょう。いま政治的・歴史的なことは詳しく述べませんが、ソ連と中国という大国の思惑にたえず翻弄されてきたこの国は、近年ようやく自主独立の気概を持ったナショナリズムが育ちつつあるようです。資料を見ると、こうした勢力を「極右」と書いているけれど、自由主義諸国圏のメディア情報は、その国のもつ複雑な内情をよく想像せずに、すぐ「極右」などと決めつけるんですよね。それは、ヨーロッパの反EU政党の勃興を「極右」と呼び続けているのと同じです。
 わが国は、韓国などを過剰に気にするより、周囲との微妙な関係に置かれたこういう親日的な小国との親善関係を大切にするほうが、これからの外交に役立つかもしれません。
 とはいえ、万一モンゴル場所が実現するとなると、どこか一場所は休止しなくてはなりませんね。これ以上お相撲さんに苛酷な労働を強いるのは無理だからです。さてどの場所がいいでしょうか。私は7月の名古屋場所をモンゴル場所に当てたらよいのではないかと思います。名古屋圏のみなさん、怒らないでね。といっても怒るよね。「勝手に決めるな、この野郎!」……。
 東京を一回削ればいいというアイデアもあるでしょうが、やっぱり本場国技館で、年3回はやってほしい。
 昔タモリが「名古屋人差別」なるギャグをやったことがありますが、私は別にそれを踏襲しようというのではありません。名古屋は京・大坂に近く、行こうと思えば大して時間がかからないでしょう。新幹線でなら1時間ちょっと。それと7月の東海地方は暑くてお相撲さんがたいへんです。調子を崩す力士が多い。涼しいモンゴル(7月平均気温20℃以下)のほうがずっといいと思うんだけどなあ……。大多数の国民はテレビで観戦できるんだし。

 ところで、ここからはあまり愉快でない話題を取り上げなくてはなりません。先に述べた旭天鵬優勝の折、パレードの車に白鵬が同乗して旗手を務めたのを覚えておいでですか。美談として称えられましたが、当時のある週刊誌(週刊ポスト)によると、あれには舞台裏があったのだそうです。旭天鵬の属する大島部屋の親方が定年退職するので、同じ立浪一門のどこかの部屋との合併が必要になり、それを機会に白鵬が同じ一門に属する宮城野部屋(自分の部屋)との合併を画策していたというんですね。将来、旭天鵬が引退したら親方になってもらってモンゴル力士を集めて”モンゴル部屋”を作ることを計画していたとか。相撲協会はそれを許さず、結果的に旭天鵬は他の立浪一門である友綱部屋に属することになったそうです。これは相撲協会の一幹部が漏らした話として書かれています。
http://www.news-postseven.com/archives/20120528_111157.html
 それ以来、白鵬と協会との間には確執がある――そういうことになります。最近でも白鵬が稀勢の里との一番で勝負審判の判定(取直し)に公然と不服を漏らしたことがあって、問題になりましたね。私はこの一番を見ましたが、不服を漏らすことの是非はともかくとして、勝負は明らかに白鵬の言うとおり、彼の勝ちです。
 でもこの週刊誌の「陰謀」話、私は額面通りには受け取れません。個人的には、力士としての白鵬をあまり好きではありませんが、外国人であった彼のこれまでの角界での超人的な努力と業績の数々を考えれば、そこには想像を絶する日本への同化の意志が感じ取れます。震災の折、東北の海を前にして数度にわたり神様への祈念を込めて鎮撫の土俵入りを試みたこと、前人未到の優勝回数達成を果たしたとき、優勝インタビューで、明治時代の相撲廃止の動きを大久保利通(伊藤博文という説もあり)と明治天皇とが尽力して止めさせたという、私たち日本人も知らなかった話を披露し、天皇陛下に感謝すると語ったこと、などを素直に受け取るなら、彼がモンゴル部屋を作ろうと画策していたなどという話のほうがよほどマユツバものです。
 しかし、それにもかかわらず、白鵬のなかに、現在の協会のあり方に対するある不満がくすぶっているのはどうも確からしい。最近の荒っぽい相撲のとり方にも、そのイライラがやや表れているように思います。その元にあるのは何かといえば、これだけやっても協会は、「外国人力士」という半ば無意識のレッテル貼りによって自分たちを差別しようとするのかという悔しさではないでしょうか。
 私は彼の悔しさの感情を支持したいと思います。そうして、この協会側の無意識のレッテル貼りの底にあるのは、偏狭な排外主義と、外国人実力者に土俵を乗っ取られたことに対する嫉妬です。
 くだんの週刊誌記事の記者も、協会幹部が抱いている陰湿な排斥感情に加担している様子がありありです。いくらこれほど偉大な業績を残しつつある白鵬でも、厳しい身分秩序を残しながら(それ自体は悪いことではありませんが)大相撲の興行を差配している協会幹部にひとりで戦いを挑むわけにはいかないでしょう。
 記者は立浪一門のある親方が吐いたセリフとしてこう書いています。

 外国人力士が増えたことが人気低迷の原因として、協会は外国人の入門規制を敷いている。それに不満を持っていた白鵬は、頻繁に会合を開いてモンゴル人の結束を高めていた。合併話が拒否されたことにも怒り心頭だった。

 ある親方が本当にこう言ったのだとすれば、ふざけた話です。外国人力士が増えたことが人気低迷の原因とはよくも言ったり。一時期の人気低迷は、八百長疑惑やしごきによる不祥事など、要するに協会自身の監督不行き届きが原因であることは、ファンの誰もが知っています。その何よりの証拠に、モンゴル力士を中心とした外国人の活躍によってここ1、2年の相撲人気は見事に復活し、先場所(平成27年初場所)などは、15日間すべて満員御礼だったではないですか。ファンのほうがよっぽど正直です。不人気の原因を外国人になすりつけ、それにもとづいて入門規制を敷いているなんて、相撲協会とはなんとアンフェアでけち臭い体質を温存しているところなのでしょう。たかが相撲と思うなかれ、こういう差別感覚はどこの社会にもあることです。
 もうひとつ例を挙げておきましょう。今場所の白鵬の優勝インタビューと、場所での取り口について論評した産経新聞記者の隠微な調子の文章です。

 土俵下で行われたテレビの優勝インタビュー。これまで多くを語らなかった白鵬が口を開いた。『初場所に(優勝回数の)新記録を達成して、それにふさわしい優勝。1つ、2つ上にいったような相撲内容だった」。大鵬に並ぶ2度目の6連覇で34度目の優勝をつかみ、自賛した。(中略)貪欲に勝利を追い求めた結果でもある。以前、33度優勝を達成後は立ち合いの極意『後の先(ごのせん)』に取り組みたい考えを明かしていたが、今場所は一度も披露せず、先場所の審判部批判につながった因縁の稀勢の里戦では、右変化の注文相撲、受けて立つどころか、格調の低い取り口で目先の白星を求めた。(以下略・3月22日付)

 相撲の世界では、格上の者ほど、下に対して堂々と胸を貸す態度を示すことが人格的に良しとされることは知っていますが、何も大記録をさらに伸ばして見事に優勝したその日 ( この日の対日馬富士戦では堂々と戦っています )の論評で、わざわざこんな意地の悪い書き方をしなくてもいいでしょう。素直に栄誉を称えればよいではありませんか。記者自身の格調を疑います。
 外国出身の力士がいかに活躍したからといって、国技としての様式が崩されたわけでも何でもなく、ことにモンゴルの人たちは相撲を通して日本という国を知り、そうして多くのモンゴル国民は今なお(おそらく)憧れの目をもって豊かな大国・日本を見つめているのでしょうから、そのせっかくの気持ちを温かく受け入れる寛容で余裕のある心を、相撲協会自身が率先して持ち続けなくてはならないと思うのです。
 好きな相撲について軽いノリで書くつもりが、調べながら書いているうちに、いろいろなことに気づいてきて、つい真面目くさった批評文になってしまいました。申し訳ありません。






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