《ブログ管理人能書き》今を去ること60余日、長年親しく交はりたる友の精神科医に、拙著『まだMMTを知らない貧困大国日本』送りしところ、コロナにつきてのすこぶる優れたる見解を付してお礼状を寄せ来たり。このお礼状、当人のお許しを得て本ブログに転載せり。以下のURLにて読むことあたふ。
https://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/1cc9430f7a4e8e6da76d7ae49b379a36
これより数度にわたり彼と我との間でメールを取り交はしたり。さるところ、こたび彼より落語ものせりとて、我に送りき。聞けば、コロナ感染を恐れし人多くして、彼の医院もほとんど電話診療にて、診察室は閑古鳥鳴きたるとぞ。ゆえに徒然なるままに筆染めにけりといふ。医者たる者、落語などにうつつを抜かしてよきか。これ異なる方面における「医療崩壊」にこそあらめ。
もつとも彼、若き頃より大の落語好きにて、高校生の折、落語台本の募集に応じ、佳作に入選せしことありといふ。こたびの品も、そのきゃりあを存分に活かしてさすがの感あり。管理人、これを我が楽しみに留め置くにしのびず、ここにお許しを得て再び転載に及ぶ。読者、よろしく鑑賞せられたし。
ウイルスの黄昏
賽子亭薮八(さいころていやぶはち)
昔からこの、「四百四病」ってぇことを申しまして、病いの数はずいぶん多うでございます。四百四病は順に数えて、六病目が肋膜炎、十病目が糖尿病、十二病目が十二指腸潰瘍、百病目が百日咳、いや、これはあてにはなりませんが・・・。四百四という数は仏教から出たとうかがいましたが、医学からはいかがでございましょうか。
実は去年、あたし、ちと身体の具合を悪くして病院へ行きました。そこで「先生、昔から四百四病といいますが、ほんとに病気は四百四つなんですか? 一体、誰が勘定したんで?」とお尋ねしてみました。すると先生、「わたしも数えたことはないが、四百四つというのはちがうな。四百三つだ」「一つ少ないんで?」「ああ、今は四百三病だ。もう天然痘が絶滅したから」。
ところが先だってまた病院に行きましたら、先生、「君、この前、四百三病と言ったが、失敬した、やっぱり四百四病だ」「それはまた?」「新型コロナが出てきた」
というわけで、コロナのお噺を一席―
隠居:おやおや、誰かと思えば珍しい。コロナの八五郎、コロ八さんじゃないか。いつこちらにおいでなすったんだえ。
コロ八:インフルのご隠居さん、ご無沙汰しておりやした。実はひょんなことから江戸へ来ちまったもんで、ご隠居さんにご挨拶に・・・
隠居:そうかえ。よくおいでなすった。まあ、お入りよ。ちょうど一杯始めたとこでな。さあさあコロ八さんも・・・。
コロ八:滅相もない。あっしらウイルスにはアルコールは御法度で。
隠居:なんの、80度も90度もありゃ御免被るが、こいつはたった12%じゃ。
コロ八:そうはいってもアルコールはアルコール、お体に触りゃしませんかい、ご隠居さん。
隠居:お前さん、いつのまに人間みたく健康至上主義者におなりだえ。わしら病源体が健康を気にしちゃ罰があたる。酒は百毒の長といってな、旨いんじゃ(キュッと呑む)。
コロ八:(ゴクリと喉を鳴らし)実を言えばさっきからあっしも・・・
隠居:そうじゃろう。さあ、遠慮なくお上がり(酌をする)。
コロ八:こいつは江戸の酒じゃありやせんね。色も赤くって。
隠居:毛唐の酒でワインちゅうのじゃよ。近頃はグローバルな世になって異国から色んな品が安く渡ってくる。
コロ八:野球が流行ってんですかい。
隠居:そいつはグローブ。わしがいうのはグローバリズム。
コロ八:なんですかい、ご隠居さん、そのグローバなんとかかんとかってえのは?
隠居:ふむ、つまり、その、何だな、その、世界中にグローがバリバリすることじゃ。
コロ八:さっぱりわかりやせん。
隠居:さよう、わけがわからんのがグローバリズムだ。だが、そのおかげで海の向こうの珍しい酒が飲める。
コロ八:するとこいつはメリケンかどっかの酒で?
隠居:いいや、スパニッシュワイン。スペインの産じゃよ。
コロ八:スペイン。なぜか懐かしい響きが・・・
隠居:そりゃそうじゃ。若いお前さんはよく知るまいが、わしらの大先輩がその呼び名でもって世界中に名を売ったものでなあ。おお、そういえば、お前さんたちこそ、いま世界を暴れ回っとるじゃないか。グローバルに大騒ぎになっとるな。
コロ八:暴れ回っているなんて・・・。ご隠居さん、そいつは「人間の見方」ってぇもんで、あっしらからすればどえらい災難なのはこっちでして。だちのコロ熊なんぞ「もう死にてえ!」って泣いてやすよ。
隠居:生物でもねえウイルスが死ぬかい。
コロ八:「不活性化してえ!」なんて。
隠居:そりゃ穏やかじゃない。不活性化して花実が咲くものか。そういや、コロ八さんもなんだか浮かぬ顔だな。どうしたんだい、まあ、話してごらん。
コロ八:酒が旨くなるような話じゃありやせんが、聴いておくんなさい。あっしは生まれも育ちも支那の武漢の山奥で・・・。それがなんで江戸弁だ? なんて混ぜっ返さないで下せいよ、ご隠居さん、これ落語なんすから。
隠居:混ぜっ返しゃしないよ。そもそもウイルスが喋って酒飲んでんだから。それにしても武漢奥地のお前さんがなんでまた江戸に?
コロ八:武漢の山奥のコウモリさんの体内があっしらの住みかで、あの頃はよかったなあ。コウモリさんはあっしらを追い出さず、あっしらもコウモリさんに迷惑かけず、穏やかな暮らしがそれは長く長く続いてやした。
隠居:それをなんでまた、わざわざ江戸になんぞにおいでなすったね?
コロ八:好きで来たとお思いで? とんでもありやせん。あっしらの身に、そのグロバなんちゃらのわけのわかんねえことが起きたみてぇでしてね。ご隠居さん、わしらを取り調べる奉行所が武漢にあるのをご存じで? コウモリさんの体内でのんびり昼寝しているところをいきなり取っ捕まって、奉行所にしょっ引かれましてね。
隠居:それは奉行所ではないな。ウイルス研究所だ。
コロ八:あっしには同じこって。窮屈なガラスん中に押し込められ、これはたまらんと逃げ出したんで。あっしは何も悪いことしてませんぜ。コウモリさんとは仲よくやってた。まして会ったこともねえ人間に悪さした覚えなんざありやせん。不当逮捕でさあ。
隠居:悪事で捕まえるが奉行所、興味で捕まえるのが研究所さね。それにしても、よく逃げて来られたもんだな。ま、支那の研究所は成果第一で安全管理は二の次という噂はわしも耳にしていたが、そのお陰でお前さん逃げ出せたのかもな。
コロ八:お陰さんで逃げ出しはしたが、どこにもコウモリがいないのに参ぇりやしたよ。あっしらは生きた体に潜り込まねえとすぐ死んで・・・もとい、不活性化しちまいますからね。
隠居:そこがわしらウイルスの宿命だな。生き物の細胞に寄生しないかぎり存在も増殖もできねえ。
コロ八:よしてくださいよ、ご隠居さん。あっしら、寄生虫ですかい、蛔虫みてえに。あんなナマッ白い、ノッペラボウの、くねくねした奴と一緒にされたんじゃ、あっしらウイルスの沽券にかかわりまさあ。
隠居:ウイルスは生き物じゃねえから寄生体。寄っかかって生きると書いて「寄生」だが、なあに、何にも寄っかからずに生きてけるものなんてこの世にいない。人間を見てみな、あんなに大勢寄り集まってるのは互えに寄生しあっているからさ。ま、相身互いを共生、お世話になりっ放しを寄生と呼び分けたりしとるがな。
コロ八:なるほど、わかりやした。そのご隠居さんの仰る「寄生体」の身として、やむなく手近にいた人間の体に入り込むほかなかったわけで・・・。それが運の尽きの始まりとなりやした。
隠居:とりあえず助かってよかったじゃないか。活性あっての物種さ
コロ八:そこが大違えで! そいつときたひにゃ、武漢の山に登ってくれればよかったのにあろうことかクルーズ船の船旅で辿り着いた先がヨコハマ、そこからあっしらの黄昏で。
隠居:コロ八さんはまだ若いじゃねえか、たそがれるにゃ、ちと早かないかい。
コロ八:たそがれもしますよ。ご隠居さんの前ですがね、人間ほど住みづらい生き物はありませんぜ。ご隠居さんもご苦労なすったんじゃ?
隠居:そりゃあ、苦労した。わしらのインフルエンザで日本人は去年も一昨年もそれぞれ一冬に3000人ずつ以上死んじまったものなあ。
コロ八:3000人ずつ! いま世間はあっしらに大騒ぎですけど、死んだ人間はまだ800人そこそこでしょ。その数でこの騒ぎですから、そのときはさぞかし途轍もない大騒動だったでしょう。しかも二年続きで。
隠居:それがそうでもなくてな。いまみてえな騒ぎにはならなんだ。不思議と言や不思議だが、まあ、人間のことはわしらにはよう分からんて。人間は騒がなくても、わしらのほうは大変じゃったなあ。わしらウイルスが一番困るのは寄生してた生き物が死んじまうことだからな。住みかを失い、ひいては活性もなくしちまう。ワクチンやらタミフルとかいうわしらには迷惑千万な薬までありながら、それでいて人間ら、あんなに死んじまうとはなぁ。今も信じられん。おかげで数え切れないほどのインフル仲間が、逝って、逝ってしまった。もう帰らない。わしこそ人生黄昏、いやウイルス生の黄昏を感じてなあ。実は、コロ八さん、わしが隠居したのはそれもあってのことさ。もう増殖するのも虚しくてなぁ・・・
コロ八:諸行無常ってことですかい・・・(二人、しんみり酒を汲む)
隠居:ところでコロ八さん、免疫ってご存じかな?
コロ八:知らなくってさ。生き物の体に入ると必ず出てくるあの岡っ引きでしょ。いや、あっしの黄昏のもとは、その岡っ引きでしてね。
隠居:そんなこったろうと思ったよ。まあ、話してごらん。
コロ八:てなわけで、あっしはやむなく人間の体内に逃げ込んだわけでさ。するとメンエキの岡っ引きがでてきて、そいつが横柄で居丈高な野郎でね。十手を振り回して言いやがんの、『やいやい、ここをどこと心得る。人間さまの体内だぞ。テメエらウイルス風情が来るところではない。とっとと出ていきやがれ!』とね。こちとらも江戸っ子、いや、武漢っ子だ。来たくて来たわけでもねえのにそんな口利かれては引き下がれねえ。引き下がれねえが、そこはぐっと呑み込んで、『これはこれはメンエキの親分さん。お控えなすって。手前、生国は支那、支那と言っても広うござんす、支那は武漢、武漢はコウモリの在に発しまするコロナの八五郎と申すしがねえ若輩者にござんす。よんどころない難儀の旅の道すがら、御当家の軒を一夜なりとお貸し下さるよう、よろしうお頼み申しあげまする』と頭を下げやした。
隠居:そんな言い回し、お前さんよく知ってたねえ。で、どうなった?
コロ八:東映任侠映画で覚えましたんで。ところがメンエキの岡っ引き野郎、仁義もわきまえねえ野郎で、『つべこべ抜かすな、このウイルス野郎! テメエ新参者だな。いつぞやはインフルのAとかBとか抜かす野郎がのこのこやってきたが、叩っ挫いてやった。テメエも同じ目に遭いたいか!』とね。
隠居:ふむふむ
コロ八:腹も立ったが、正直、それより面食らいやした。コウモリさんとこにもメンエキの岡っ引きはおりやしたよ。あっしらの取り締まりもしましたが、それはお役目だから仕方ありませんや。でも、コウモリのメンエキの親分は粋でしたね、『おや、コロ八さんじゃねえか、まだおいでなすったのかい?』『へい、申し訳ありやせん、親分さん。もうしばらくおいておくんなさいまし』『ふむ。コウモリの旦那は気のいいお方だ。うるさいことは仰らねえだろ。ま、野暮な説教になるが、悪さだけはしてくれるなよ。旦那に迷惑がかかったら、おいらの顔が立たねえ』『それはもう重々。居候に嫌な顔一つなさらない、店賃よこせとも仰らない、そんな心の広い旦那にご迷惑をかけるなんてとんでもねえこって』『それさえ聞けば安心だ。いつか非番のとき、一杯どうでえ、コロ八さん』ってね。そりゃ人情の、いやコロナ情の、いやメンエキ情の厚いおかたで、テレビで『銭形平次』観るたびに思い出すんで・・・・とうとう一杯やらないままの別れになったのが心残り(涙ぐむ)。それにしても、ご隠居さん、同じ岡っ引きでコウモリと人間とでは何でこうも違うんですかい。
隠居:それはな、コロ八さん。コウモリとお前さんらは人里離れた山奥でお前さんの代だけじゃねえ、祖父さん、曾祖父さん・・・遠い昔からの長ーいつきあい。気心知れた間柄になっとるんじゃ。そうなれば互いの落としどころ、折り合いどころができてくるんだ。
コロ八:成程。確かにメンエキの親分はあっしらを叩き出そうとしなかったし、あっしらのほうも無闇に増殖してこうもりの旦那を困らせたりしなかったすね。でもメンエキの親分と談合してそんな手打ちをした覚えはありやせんぜ。いつか知らん間にそうなってたんで・・・。
隠居:それが自然の摂理じゃよ。メンエキの親分もよし、お前さんがたウイルスもよし、コウモリの旦那もよしで「三方一両得」というわけじゃ。
コロ八:なんですか、その三方なんたらって?
隠居:お前さん、江戸に来たんなら寄席に行かなくっちゃだめだよ。落語ほど面白くてためになるものはない。この噺、いまは亡き志ん朝がよかったなあ。
コロ八:人間とも、その三方なんたらで丸く収まるわけにゃいかねえんですかい? そうなりゃ助かるのに。
隠居:丸く収まるはずなんだがね。でも、お前さん、人間に会ったのは初めてなんだろう。
コロ八:武漢の山奥まで来る物好きはいなかったすからねえ。奉行所だか研究所だかで出会ったのが初めてでさ。
隠居:ということは、人間もお前さんがたに出会ったのは初めてってことさ。まだ付き合いの浅いお前さんには分かるまいが、人間てぇのは変な生き物でな。知らないものを、やたら警戒したり怖がったりする癖(へき)がある。頼まれもしないのにお前さんがたを山奥から勝手に引っ張り出しておいて、そのお前さんがたを勝手に怖がるんだな。「正体知れない謎のウイルス」って。さっき一冬に3000人も死にながら格段の騒ぎにはならんかったと言ったろう。あれはな、たぶん、人間はわしら「インフルエンザウイルス」を既に知っておった、少なくとも知っとるつもりでおったせいかもしれん。知ったつもりのもんなら平気なのさ。わしらのせいで申し訳ないが、ほれ、グローバルにゃ、毎年30万から60万人が亡くなっておる。じゃが誰も顔こわばらせて「ロックダウンを!」と怯えたりしねえ。ところが未知のお前さんらは、やたらに怖い。怖がるのは勝手だが、恐がりが裏返って居丈高、攻撃的になるのが人間で、はた迷惑な話さね。「新型コロナとの戦争だ!」とか口走っとるじゃろ。
コロ八:あの岡っ引き野郎みたいじゃないですか。でも、あいつは人間じゃねえですよね。
隠居:それがな、そいつみてえに人間の中にずっと住んどると人間が染(うつ)っちまうんだ。人間の癖が染る。お前さんも人間の中にいるんだからお気をおつけ。人間が染るよ。
コロ八:そいつばかりは御免被りてえ。ウイルスに人間が染っちゃ洒落にならない。隠居さん、一体あっしはどうすりゃいいんで?
隠居:感染予防だな。ついちゃあ、ちゃんと御触書が出ていらあ。よく手を洗え。石鹸で30秒以上は洗わなくちゃいけねえ。不要不急の外出、とりわけ夜の外出は自粛。三密は避けよ。国境、町境を越えちゃなんねい。ステイホーム。ソーシャル・ディスタンス。パチンコには行くまいぞ。そして、何と言ってもマスクだな。
コロ八:マスク? そんなもんどこにあります。
隠居:お上が下々にマスクを配っとるそうな。お上のなさるこった、下々にいきわたるのは巷に溢れてもう要らなくなった頃に決まっとるから、だぶついた「オカミマスク」がお前さんがたにも回ってこようさ。小さくて使えんと世間じゃ評判悪いが、お前さんがたに小さ過ぎってこたぁあるまい。
コロ八:じゃ、あっしもマスクで人間感染の予防に努めやす。それに世間じゃマスクなしで街を歩くと白い目で見られるってじゃないですか。それにしてもご隠居さん、あの岡っ引き野郎、どうにかなりやせんか。顔を見れば『テメエ、まだいやがったか! 図々しいウイルス野郎め、いつまで居座る気でえ。叩っ殺してやるぞ!』と真っ赤な顔で怒鳴ってきやがる。こっちも頭にきて『うるせえ、メンエキ野郎。殺せるもんなら殺してみやがれ』と大喧嘩さ。その毎日で、ほとほと参っているんで。
隠居:お前さんも若いねえ。軽くいなすってことができないのかえ。その岡っ引き、口はデカイが腕っ節はそれほどじゃないとわしは見たな。
コロ八:ちげえねえ。ご隠居さん、どうしてそれがおわかりで?
隠居:うむ、奴さんにとってお前さんがたコロナは初めてだ。だから、お前さんらへの免疫力が獲得されてないんだな。うむ、平たくいえば、まだお前さんらを叩き出せる腕っ節がついてないのさ。なので、ほれ、人間によくある「弱い犬ほどよく吠える」ってやつだな。
コロ八:強くもねえくせして十手を笠に着やがって。こちとら居たくて居るわけじゃねえや。人間なんかにだれが住みてえ。出て行きてえのはこっちでえ。なのに居座りを決め込んでいるみたいに言い立てやがるんで、カッとなっちまうわけで。
隠居:あんまりカッカせんよう気をつけなよ、コロ八さん。人間に迷惑だ。
コロ八:「このウイルス野郎!」「このメンエキ野郎!」って体内であっしらが熱くなれば、それが人間を発熱させちまうからですね。そりゃわかっとりやすし、なんのかんの言っても一宿の恩義を忘れるあっしじゃありやせん。人間の旦那の迷惑にならんよう静かにしていてえ。静かにしていてえが、なにせあの岡っ引き野郎、始終しつこく絡んできやがるので、そういかねえわけでさ。そうこうするうちに旦那は熱が続いて弱ってきちまって、とうとう入院。呼吸困難で人工呼吸器、このままじゃ亡くならないとも限らねえ。そうなればあっしだって・・・。ね、黄昏でしょう。
隠居:そいつはいけないねえ。なんだな、お前さんたちのその程度の喧嘩で、そこまで弱りなさるとは、その人間、お年寄りだね。
コロ八:さようで。いいお歳の爺さんでして。
隠居:いいかえ。年寄りと病い持ちは避けなきゃいけないよ。簡単に弱って亡くなっちまいかねないからな。一冬3000人のインフル死者も大部分はご老人だったんだ。高齢者の体の中に居さえしなかったら、わしのインフル仲間もあんなに逝かずに済んだものを・・・悔やんでも悔やみきれねえ。よいね、年寄りに住んじゃいけねえ。住むんなら若い元気な人間におし。これが教訓じゃよ。
コロ八;選べるもんでしたらねえ・・・。そりゃ、あっしだって若いぴちぴちの別嬪さんのほうがいいに決まってら。『ああら、コロナの兄さん、いついらしたの?』『姐さん、ちょっとばかし居らせておくんなさい。いや、お邪魔なら・・』『まあ、お邪魔だなんて、水臭いこと言いっこなしよ。ゆっくりしてらして、あたしが帰さないわよ』なんてね、「お熱」な関係に。けどね、ご隠居さん、落語のあっしらはこの通り酒酌み交わしてますが、リアルなウイルスとなれば、手もなければ足もねえ翼もねえ。何にたどりつくかは風まかせ波まかせ。はかないさすらいの身で。高齢化社会となりゃ、まわりはご老人だらけ、どうしたってお年寄りにぶつかりまさあ。これは、あっしらにゃどうしようもない。そうじゃありやせんか、ご隠居さん。
隠居:理屈はそうだがの。わしの心の中では、あのとき逝ってしまった何十億、何百億という仲間へのいたみが消えぬのじゃよ。ウイルスはコピーで増殖するからみんな我が身同然なんじゃ。もし住んだ先がお年寄りでさえなかったら、という悔いを、わしはどうしようもない・・・
コロ八:あっしらコロナで死ぬ人間も8割がたは70歳過ぎですからねえ・・・(しばし考えて)うーん、3000人も死んだ、800人も死んだっていっても、高齢化社会、人間がやたら長生きして70歳以上がざらの世の中になったせいと考えちゃいけませんか? あっしらのせいばっかしじゃねえ、と・・・。人生五十年の時代だったら死ぬ人間は僅かで、ご隠居さんもあっしらもこれほど悪名を馳せずに済んだかもしれやせん。今は、すっかり「凶状もち」にされちまっとりやすがね。
隠居:時代が悪かったかのう・・・。
コロ八:時代もいやだし、江戸もいやでしょうがありやせん。
隠居:まあ、好きで来なすったわけじゃないからなあ。でも、住めば都ってわけにゃいかないかえ。そんなに江戸の水はあわねえのかい?
コロ八:あわねえ! 江戸は空がありやせん。
隠居:どっかで聞いたせりふだな。
コロ八:ああ、武漢に帰りてぇ、こうもりさんのところへ。昼間、こうもりは深い山の大樹や洞穴の奥にぶら下がって眠っとりやす。それが夕暮れになると目を覚まし、茜に染まる黄昏の空を一斉に舞い始める。同じ黄昏でも、この黄昏は素晴らしい。こうもりは、武漢の天空をどこまでも高く高く飛翔したり、すーっとなめらかに滑空したり、乗ってるあっしも胸がすきやす。眼下には大きな湖が黄金に輝き、森の木々は炎のようで。そして地平線に沈む夕陽! ご隠居さんにもお見せしたい。あんなにでかい、あんなに真っ赤な、あんなに燃える、あんなに透きとおった、あんなに綺麗な夕陽はどこにもありやせん。ああ、もう一度でいい、武漢の夕陽が見てえ。見てえなあ(泣く)。
隠居:泣かなくっていい。ま、もう一杯おやり。大丈夫、お前さん、いつか必ず武漢に帰れるよ。
コロ八:ほ、ほんとですか。帰れやすか。
隠居:帰れるとも。お前さんはウイルスだ。きっと帰省(寄生)できる。
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