小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(9)

2014年01月17日 03時37分54秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(9)

*友人が助けてくれて、動画をアップすることができました。どうぞゆっくりご覧(お聴き)ください。

 だいぶ間があいてしまいましたが、ジョン・コルトレーンについて書きます。
 間があいたのは、サボっていたわけではありません。選曲で悩んでいたのです。このジャズ界の巨人について書く場合、選曲で悩むのには理由があります。一つは、もちろん、たくさん名演があってあれも捨てがたい、これも捨てがたいということがあるからですが、コルトレーンに関しては、次のような理由もあります。

①彼の演奏には10分を超える長いものが多く、ライブ演奏では30分、1時間などというのもあるので、あまりたくさん紹介すると、聴いてもらえないのではないかと心配である。
②テナーサックスの演奏では、どちらかというと、主役になってからよりもマイルス・デイヴィスの楽団でのプレイのほうがいいものが多いように思う。するとコルトレーンを紹介するつもりが、マイルスの音楽を紹介する形になってしまう。マイルスの音楽の素晴らしさについては別途扱いたい気持ちがある。
③コルトレーンの名が世界的になったのは、彼がマイルスから離れてほどなく、ソプラノサックスを吹き始めてからである。こちらを重んじると、ソプラノの演奏ばかり紹介することになり、テナーへの視線がないがしろになるのではないかと恐れる。

 まあ、そんなわけでけっこう悩んでおりました。でも決めました。

 コルトレーンという人は、ひとことで言うと、ジャズの求道者という趣があります。きわめてまじめで努力家、どうしたら自分の音楽を表現できるかということをいつも必死になって考えていたようです。だから彼の演奏には、あまりユーモアとか、余裕とか、天才性とかが感じられません。この点、同じテナー奏者でもソニー・ロリンズとの違いがはっきりしています。ロリンズの場合は、才能に任せて即興で唄いまくるので、聴衆は思わず乗せられてしまうのですが、コルトレーンは、一歩一歩積み上げていくというタイプですから、聴く側にとってはけっこうハードで、きちんと付き合うためにはそれなりの覚悟が必要となります。
 などと余計な能書きを垂れると、当時のジャズシーンのなかで、彼がどんなに力強い、オリジナルな世界を創造したかという事実に水を差しかねませんので、まずは最も有名なアルバム、「マイ・フェイヴァリット・シングズ」から、タイトルテューンの「マイ・フェイヴァリット・シングズ」を聴いてください。パーソネルは、マッコイ・タイナー(p)、スティーヴ・デイヴィス(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)。

マイ・フェイバリット・シングス- ジョン・コルトレーン


 この曲でコルトレーンは、ソプラノサックスを吹き、そのユニークな演奏で一躍名を馳せました。原曲は映画「サウンド・オヴ・ミュージック」のなかでジュリー・アンドリュースが歌っている明るくて健康そのもののような曲ですが、コルトレーンが吹くと、まったく違った音楽のように聴こえます。ジャズの演奏で、よく知られたスタンダードナンバーをテーマに使うということ自体はありふれていますが、彼の演奏は、原曲との融合によってそれまでのジャズでは見られなかった新しい境地を開いたという感じが歴然としています。
 よく考えてみると、原曲の旋律には、もともと西洋音楽風ではない、たとえばアフリカ音楽やインド音楽など、妖しいエキゾチシズムを感じさせる要素が入っているようです。そのことにピンときたのがコルトレーンの発見だったのでしょう。ソプラノを握っている彼の姿、どこか蛇を誘い出す魔術師に似ていませんか。そうして、この「気づき」は、彼自身のその後の音楽の流れを大きく規定していくことになります。

 先に書いたように、コルトレーンは、マイルス・デイヴィスの楽団でいくつものレコーディングをした後、独立しましたが、その大きな一歩を踏み出すきっかけとなったのが、「ジャイアント・ステップス」というアルバムです。あたかもアルバムのタイトルが彼自身を象徴しているようですね。
 ここで彼はシングルトーンしか出せないテナーサックスという楽器から、いかにして複合的な音(和音)を出すかという積年の研究課題の成果を存分に発揮しています。それは要するに、指を目も留まらぬ速さで動かすことによってなのですが、その成果はともかく(というのは、この実験的な取り組みは、あまりきれいな和音を出すというところにまで至っていないように思われるからです)、このアルバムは、全編彼のオリジナル曲であり、むしろその点で彼らしさがとてもよくうかがえるアルバムです。いい曲がいくつもあります。ではその中から、唯一アップテンポの曲「ミスター・P.C.」。パーソネルは、トミー・フラナガン(p)、ポール・チェンバース(b)、アート・テイラー(ds)。

John Coltrane - Mr. P.C.


 いかがですか。この演奏にも彼の生真面目さがよく出ていると思います。このころの彼の演奏には、ほとんど「間」というものがなく、音で敷き詰められているのですね。調子よく唄う、という感じではありません。
 もう一つ、彼のテナーは、ロリンズ、デクスター・ゴードンウェイン・ショーターなどと比べて音域がやや高く(あるいは高音域←→低音域の移動が激しく)、アルトサックスとあまり違わないように聴こえます(スローバラードではそんなことはありませんが)。それで、マイルス・デイヴィスの楽団で、名アルトサックス奏者キャノンボール・アダレイと共演したアルバムでは、不注意に聴いていると、区別がつかないように感じられます。もちろん、キャノンボールのプレイには彼なりの個性があって、それは、当時のコルトレーンよりも前衛的といってもよいくらいのユニークなものです。
 そんなことも味わいながら、マイルス、キャノンボールとの共演を一曲。前にもご紹介した「カインド・オヴ・ブルー」から、「オール・ブルース」。「マイ・フェイヴァリット・シングズ」と同じく、ワルツテンポの名曲です。パーソネルはほかに、ビル・エヴァンス(p)、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)。ソロの順は、マイルス、キャノンボール、コルトレーン、エヴァンスです。エヴァンスの短いハーモニアスなソロも聴きものです。

Miles Davis - All Blues


 ちょっと付け加えますと、この曲でマイルスは、テーマ部分をミュート・トランペットで吹き、ソロパートをオープン・トランペットで吹いています。ミュート・トランペットとは、ラッパの口に音を抑制するための弱音器をかぶせる方法で、ビッグバンドではよく使われます。じつはこれを使ったマイルスの演奏こそ、彼の音楽を最高の芸術にまで高めた秘密なのです。ですから、テーマ部分は何とも言えないよい雰囲気を出していますが、マイルスのソロパートは、いまいち精彩を欠くという感じがしないでしょうか。
 この点については、また語るとして、話をコルトレーンに戻しましょう。
 さて、ソプラノを手にしたコルトレーンの演奏には、数々の名演がありますが、私が一押しとしてお勧めするのは、ライヴ版「バードランドのコルトレーン」における「アフロ・ブルー」です。あまり問題にされないようですが、この演奏における彼のソロは、文字通り、情熱を出し切っているという感じ。そうして、メロディーの美しさと完結性も他の演奏に比べて抜群の出来です。パーソネルは、マッコイ・タイナー(p)、ジミー・ギャリスン(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)。なお、このYOU TUBE版では、テナーでの一曲、「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」も聴けます。これは例の指を素早く動かす奏法の見本です。余裕のある方はどうぞ。

JOHN COLTRANE Org 1963 Live at Birdland Impress A 50 Mono ~ Side 1


 いかがでしたか。
 マッコイ・タイナーについて一言。「マイ・フェイヴァリット・シングズ」でも言えることですが、コルトレーンとの共演におけるマッコイ・タイナーは、比較的単調な演奏に徹していて、一見、個性がなくマンネリのように感じられるかもしれません。かつてそういう悪口を言った人もいました。しかしそれは間違いで、半分くらい黒子役を演じてコルトレーン・ジャズの雰囲気づくりに大きく貢献しているのが、このマッコイの演奏なのです。彼のピアノは、とても音がきれいで格調が高く、テクニックもフレーズも優れています。現にピアノトリオのアルバムでは、そういう個性を十分に楽しめます。
 もう一つ。じつは、前にちょっと書いたのですが、この演奏に対して私は一つだけ不満があります。それは、エルヴィン・ジョーンズのドラムがうるさすぎることです。エルヴィンは、コルトレーンとの共演を通してものすごく自由になり、黒子役をすっかり捨ててしまっています。両手両足を思うざま使い、ホーンやピアノが主役になっているのもお構いなしに叩きまくる。これはこれで複合リズムというドラミングの新しい奏法の開発を意味するので画期的なことではあります。また、こうした奏法のもとでこそ、コルトレーンもインスパイアされて名演が可能になったのでしょう。それは認めますが、もう少し控え目にした方が、さらに芸術性が高まったのではないか。これは、同時期のこのカルテットの多くの演奏、特にライヴ版に共通していえることです。
 あまり長くなるのでここには掲載しませんが、同じころ吹き込まれたアルバム「インプレッションズ」のなかの「ディア・オールド・ストックホルム」では、以前紹介した名手ロイ・ヘインズがドラムを担当しています。彼はリーダーが考えている音楽への適応力がすごく、ここでもコルトレーンのジャズをよく理解しながら、しかも適度につつましやかです。これとエルヴィンとを聞き比べるとその違いがよくわかります。インパルス版CDのボーナストラックですので、You TUBEではちょっとつかまえにくいですが、興味のある方はどうぞ。

 さて、最後に、以前問題にした「至上の愛」。パーソネルは、同じ四人です。このアルバムは、①受け入れ ②決意 ③追い求め ④賛歌という四つの部分で構成された組曲です。おわかりのように、宗教的コンセプトを前面に押し出したアルバムです。ここでは、はじめの一曲だけご紹介しましょう。

John Coltrane - A Love Supreme Pt. 1 Acknowledgement


 このアルバムは有名ではありますが、私の感想を一言で言うと、モチーフもソロパートも単純で、繰り返しが多く、音楽的な意味でとても評価できません。しかも一曲目の終わり近くで、よせばいいのに、演奏者たちがヘンな声で「ア・ラヴ・スュープリーム」と肉声で唱えます。下手な念仏を音楽に持ち込まないでほしいものです。音楽は自己満足のためにあるのではなく、人に聴いてもらうためにあるのですから。
 コルトレーン、どうしてこんな神がかりになっちゃったの、とこれを初めて聞いた当時から思ったものですが、その気持ちは今はもっと強くなっています。洒脱さの持ち合わせがないからこういうことになるのではないでしょうか。
 これ以降、彼は当時起こりつつあったフリー・ジャズの流れの中に身を投じていきますが、私の独断によれば、評価できる作品はありません。やがて2年半あまり後、肝臓癌のため、40歳の若さでこの世を去ります。あたかも「至上の愛」が、自ら神に召される時を予感したことによる祈りの曲であったかのように。