小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(8)

2013年12月14日 02時14分12秒 | ジャズ
これからジャズを聴く人のためのジャズ・ツアー・ガイド(8)


 ピアノトリオ特集を続けます。あと二人。
 前回、ジャズピアニストとして、個人的にはレッド・ガーランドが一番好きだと書きましたが、これからご紹介するウィントン・ケリーも、私の大好きなピアニストです。じつはどちらかを選べと言われると迷います。



 先日、音楽通の知人と飲んで話題がジャズに及んだ時、彼はピアニストではウィントン・ケリーが一番好きだと言っていました。その気持ち、とてもよくわかります。この人は私より10年ほど若いのですが、早くから音楽にいかれてきたようで、なんとCD4000枚のコレクションがあるそうです。むろん、知識も私などよりはるかに豊富、その彼とジャズ談義をしてみたら、さまざまな演奏についての好みや評価が自分と一致しているのに驚きました。そうして、これまで身の回りにあまりジャズについて語り合える知人友人がいなかったので、私はとてもうれしくなりました。何しろこの人はすごい鑑賞キャリアなので、その行き着いた先でウィントン・ケリーを称えるというのにはとても説得力があります。
 ちなみに評価が一致した一例を挙げると、ジョン・コルトレーンの活躍期のアルバムで、「至上の愛」以後のものはダメだという説。これについては、モダンジャズ史全体にとって大きな意味をもつ話題なので、またのちに話しましょう。
 そう言えば、前々回、ビル・エヴァンスの後期について、異説を唱えてきた人がいたと書きました。この人とは旧知の間柄なのですが、このシリーズを始めるまで、彼がジャズを深く聴きこんできた人だった(おそらくはクラシックについても)ということを私はまったく知りませんでした。
 じつはみんな遠慮して黙っているだけで、隠れファンて、けっこう多いんでしょうね。何でも一応は話してみるものです。しかし、宗教や政治の話は気心が知れるまで慎まなくてはならないように、趣味の話も、それとは違った意味で、やたら無防備に話さないほうが賢明かもしれません。関心のない人に薀蓄を垂れても、相手を白けさせるだけです。また、趣味ほど人によって多種多様である領域はないので、たとえ同じジャンルの趣味を持っていても、やたら「これはいい、これはダメだ」などと勝手に決めつけると、ケンカになってしまうかもしれません。自分の好きなものを「あれはよくない」と言われると、人はけっこう傷つくものです。好きな女性のことを悪く言われたのと同じように。
 ですから、言い方に気をつける必要があるのですね。ただ決めつけるのではなく、なぜそう感じるのかを静かに説いていく。相手の評価もきちんと聞く。そういうやりとりをねばり強くしているうちに、まともな批評が成立してくるのだと思います。以上は、すぐ評価を下したがる私自身への自戒の弁。

 さて本題。
 レッド・ガーランドのピアノが趣味(洒脱なセンス)の良さを極めたものだとすれば、ウィントン・ケリーのそれは、明るく晴れやかに歌い上げると言ったらいいでしょうか。テクニック的には、古参兵のアート・テイタムなどから大きな影響を受けているようですが、もちろん、ケリーにはケリー固有のスタイルがあります。
 この人のピアノタッチの特徴は、まず一音一音がとても弾みをもっていて、しかもそれぞれが孤立していず次の音との連続性が感じられる点です。おそらく、一つのキーに指を置いている時間が普通よりもかすかに長いのだと思います。ピアノは、一種の打楽器ですから、下手に弾くととぎれとぎれになりやすいですね。その危険を見事に克服しているので、そこに独特の抒情性が生まれるとともに、演奏全体が淀みのない流れとして聞こえてきます。
 次にソロの時のフレーズですが、これはとても溌剌としていて、特にアップテンポの曲ではいつも楽しい「唄」になっています。乗ってくると、高音部でキラキラと輝くような得意のトレモロを響かせます。まるで喜びにあふれた人が踊り続けているようですよ。それでいて、クラシック音楽の名曲にそのまま通ずるようなとても上品で典雅な雰囲気に貫かれているのですね。たぶんこの秘密の一端も、キータッチの息の長さにあるのだと思います。
 テクニックについてもっと専門的なことが言えるのかもしれませんが、これ以上は私の手に余りますので、とにかく一曲。名盤「ウィントン・ケリー」のなかから、「風と共に去りぬ」。
 パーソネルは、ポール・チェンバース(b)、ジミー・コブ(ds)。ただし、ベースについては、たぶんポールだろうとの推定の限りを出ません。というのは、このアルバムでは、もう一人、サム・ジョーンズがベーシストとして参加しているのですが、どの曲がポールでどの曲がサムなのか書いてないのです。諸説あるそうですが、この曲では、弾き方の特徴からして(伴奏の時は脇役に徹して音が低く慎ましい)、ポールに間違いないでしょう。

Wynton Kelly - Gone With The Wind


 もう一曲。あまり話題にならないアルバムですが、「フル・ヴュー」というのがあります。全体に非常に完成度の高いアルバムで、ケリーの絶頂期ではないかと思うのですが。
 この中から、スロー・バラード「ホワット・ア・ディファレンス・ア・デイ・メイド」。パーソネルは、ロン・マックルー(b)、ジミー・コブ(ds)。
 何とも言えないしっとり感に浸ること、請け合いです。

Wynton Kelly Trio - What A Difference A Day Made


 じつは、本当はこのアルバムからは、「アイ・ソート」という曲を紹介したかったのですが、残念ながらうまくつかまりません。
 若かりし頃、この「アイ・ソート」」を聴いた時、私は親しみやすい旋律とケリーの「舞踏への招待」にいっぺんで誘惑されてしまいました。躍動するソロが、ケリーらしさを見事に表しています。
 この曲はワルツ(三拍子)です。ジャズはフォービート(四拍子で二拍目と四拍目にアクセントがある)が基本だと前に書きましたが、早い時期からいろいろな人がワルツを好んで演奏しています。前に取り上げたビル・エヴァンスの「いつか王子様が」もワルツですし、ソニー・ロリンズマックス・ローチのコンビもワルツだけでアルバムを作っています。かの有名なコルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングズ」も三拍子ですね。ちょっと先走って言うと、「いつか王子様が」は、マイルス・デイヴィス・クインテットの演奏が絶品で、ここで控え目ではありますがピアノを担当しているのがウィントン・ケリーなのです。
 ジャズとワルツとは、もともと相性がいいのだと思います。何というか、三拍子って、アレグロ(快速調)くらいのテンポの時のスー・ハー・ハーという人間の呼吸のあり方にマッチしているのではないでしょうか。つまり、ワルツとはそのまま「舞踏」なのですね。

 さてもうひとり。ソニー・ロリンズをご紹介した時に名前を挙げておいたトミー・フラナガンです。



 彼の演奏は、ラテン系の味わいを持ちながら、たいへんオーソドックスで、それだけに、だれもが安心して楽しく聴けるというメリットを持っています。
 アルバム「エクリプソ」から、ソニー・ロリンズ作曲のスリリングな名曲「オレオ」。パーソネルは、ジョージ・ムラーツ(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds)。

Tommy Flanagan Trio - Oleo
  

 ジョージ・ムラーツの比較的高い音域でのスウィンギーなサポートも聴きものですが、ここで注目すべきは、何といってもエルヴィン・ジョーンズの巧みなブラッシュワークです。エルヴィン・ジョーンズといえば、コルトレーンのバンドでその名を馳せた趣がありますが、じつをいうとコルトレーンとの演奏では、私は少々文句を言いたいことがあります。



 それはともかく、この曲でのエルヴィンは、トミーを思い切りインスパイアしつつ、自分も力強いソロを演じています。彼のブラッシュワークは、他の追随を許さない迫力満点の演奏で、もともとおとなしい楽器であるブラッシュでこれだけの個性が打ち出せるというのは、まさに驚異です。
 同じトミー・フラナガンとの共演で、かつて幻の名盤と言われた「オーヴァーシーズ」というアルバムがあります。ここでも「ヴェルダンディ」という曲でエルヴィンのスリリングなブラッシュが聴けますが、あいにくうまく転載できません。URLを記しておきますので、興味を持たれた方はどうぞ。

http://www.youtube.com/watch?v=dWtV6JyKK3w&list=PLkl9EfuWu4wFE2fEayNIzyZajiP1QYvYm
 私は彼の生演奏を聴いたことがあります。今は懐かしき新宿紀伊国屋裏の「ピットイン」という生演奏のジャズ喫茶で、たまたま今日エルヴィンが来るという看板を目にして、特別料金もいとわず、あわてて入り込んだのです。看板には「世界一ドラマー、エルヴィン・ジョーンズ来る!」と書かれてありました。世界一かはともかく、当時、コルトレーンのバンドでの大活躍の後で、彼の名声はジャズファンの間で轟いていました。その出演前に、日本人の前座的な(といってはまことに失礼ですが)演奏があって、それがずいぶん長く続き、私はいまかいまかと待ち焦がれて、何度も彼が登場するはずの後ろを振り返った覚えがあります。
 そのとき、あの力強いブラッシュワークを目の前で見る(聴く)ことができて、それはそれで大いに興奮したのですが、いかんせん、彼の演奏時間はあまりに短く、どうにも未練を残しました。悔しい!
 というわけで、エルヴィンの名前を出しましたので、そこからの連想で次はいよいよコルトレーンについて語ることにします。