昨日の広島との練習試合は埼玉スタジアムで、エジミウソンと永田のゴールで2-2の引き分けでした。非公開ではあったもののマスコミは見ていて、埼玉新聞にも載っているので記事を楽しみにしています。
先日のACLで、鹿島がシドニーFC(豪州)に3-0で勝ちました。2007年のACLで浦和がシドニーFCと対戦したときは、最初は「これが世界の壁か」と思うほどのインパクトがあったので、今やホームで0-3で負けるのかと、時の流れは感じます。
今回はその浦和戦の思い出ですが、もちろんアウェイ戦だったのでテレビ観戦でしたが、普通印象が薄くなりがちなテレビ観戦でもこの試合はよく覚えています。この試合、シドニーFCは体力で浦和を圧倒しようと最初から激しいプレスを掛けてきました。
その圧力に耐えられなかった浦和は坪井がPKを献上して早くもリードされると、2点目も早い時間に入れられて前半で0-2とされたときは絶望的な気分でした。このプレスが90分は続かないとはしても、シドニーFCにうまく時間を使われたら逃げ切られてしまいます。
そんな浦和不利の試合展開をひっくり返したのはポンテでした。このACLでのポンテの活躍は素晴らしかったですが、この負け試合になりそうだったシドニーFC戦でバイタルエリアが空く相手の守備の弱点を突いて1-2としたゴールには大いに勇気付けられました。
後半運動量が落ちたシドニーFCを逆に攻め、永井のゴールで同点に追い付いて引き分けに持ち込み、敵地で貴重な勝ち点1を持って帰ります。あきらめなければ道は開くんだと、ポンテが身をもって示した勇気でした。
ポンテはドイツのレバークーゼン時代に欧州CLの経験がありますが、当時はバラックの控えでした。浦和の当時のキャプテンは山田暢久でしたが、淡々とプレーするタイプなのでポンテは自分が引っ張るという気持ちがあったと思います。
決勝戦のアウェイ戦のセパハン戦も動きが鈍く負けのゲームをポンテのミドルシュートで追い付いて引き分けに持ち込んでいますし、プレーでチームを鼓舞したポンテは陰のリーダーでした。今、ポンテが抜けて、それができる選手がいるか少し気になっています。
先日のACLで、鹿島がシドニーFC(豪州)に3-0で勝ちました。2007年のACLで浦和がシドニーFCと対戦したときは、最初は「これが世界の壁か」と思うほどのインパクトがあったので、今やホームで0-3で負けるのかと、時の流れは感じます。
今回はその浦和戦の思い出ですが、もちろんアウェイ戦だったのでテレビ観戦でしたが、普通印象が薄くなりがちなテレビ観戦でもこの試合はよく覚えています。この試合、シドニーFCは体力で浦和を圧倒しようと最初から激しいプレスを掛けてきました。
その圧力に耐えられなかった浦和は坪井がPKを献上して早くもリードされると、2点目も早い時間に入れられて前半で0-2とされたときは絶望的な気分でした。このプレスが90分は続かないとはしても、シドニーFCにうまく時間を使われたら逃げ切られてしまいます。
そんな浦和不利の試合展開をひっくり返したのはポンテでした。このACLでのポンテの活躍は素晴らしかったですが、この負け試合になりそうだったシドニーFC戦でバイタルエリアが空く相手の守備の弱点を突いて1-2としたゴールには大いに勇気付けられました。
後半運動量が落ちたシドニーFCを逆に攻め、永井のゴールで同点に追い付いて引き分けに持ち込み、敵地で貴重な勝ち点1を持って帰ります。あきらめなければ道は開くんだと、ポンテが身をもって示した勇気でした。
ポンテはドイツのレバークーゼン時代に欧州CLの経験がありますが、当時はバラックの控えでした。浦和の当時のキャプテンは山田暢久でしたが、淡々とプレーするタイプなのでポンテは自分が引っ張るという気持ちがあったと思います。
決勝戦のアウェイ戦のセパハン戦も動きが鈍く負けのゲームをポンテのミドルシュートで追い付いて引き分けに持ち込んでいますし、プレーでチームを鼓舞したポンテは陰のリーダーでした。今、ポンテが抜けて、それができる選手がいるか少し気になっています。