最近、西武ライオンズは元気がなく、今日もロッテ戦を6-7で落としました。それでも、先発松本が2回までに7失点した最悪の立ち上がりを、中継ぎ投手陣で粘って、1点差まで追い上げられたことは次につながると思います。その追撃の3ラン本塁打を放った、今日4番に入っていたホームラン打者の中村剛也選手を取り上げます。
中村は現役選手では最多となる、6回の本塁打王の実績を誇ります。通算本塁打数も400を超えており、既に歴史に残る打者です。今日こそDHでの出場でしたが、可能な限り三塁手として出場してきた実績があります。中村の愛称「おかわり君」は、二軍時代の寮でご飯を大量におかわりしたことからついた愛称で、同じようにメタボ体型の山川は「おかわり君二世」とも呼ばれます。
中村は大阪桐蔭高校からドラフト2位でライオンズに入団してきました。当時の大阪桐蔭は、現在ほど全国レベルの強豪ではなかったですが、大学を卒業するよりも早く一軍に定着します。入団2年目の2003年から一軍出場はありましたが、彼のブレイクは2005年の交流戦で、当時三塁手のレギュラーだったフェルナンデスを押しのけて三塁手で起用され、交流戦期間だけで12本塁打を放って大きくアピールします。
当時の中村は、メタボ体型の割には足が速く、守備がこなせるというのが売りでした。のちに監督として中村を指導した渡辺久信氏は、中村を可能な限り三塁手で起用することにこだわっており、指名打者に定着すると打てなくなれば外国人選手を補強されて選手寿命が短くなると、彼が37歳になる現在までプレーできることにつながる気遣いをしていました。
彼の本塁打王6回の中には、2008年に46本、2009年に48本、2011年に48本と高いレベルで達成しています。ホームランを打つことに関しては天才的と言われており、外野に飛球が飛ばせれば半分は本塁打になります。全身をバランス良く使って、ボールに力を伝えるのが上手いので、傍目からは何がすごいかわかりにくく、軽く打っているように見える打者でもあります。
もっとも、本塁打を打てるのは三振数の多さにもつながっており、安打数はようやく1500本と名球会は厳しいです。それでも、既に偉大な選手であり、ライオンズにいる限りは悪い扱いはしないでしょう。ここまで来たら、本人が納得いくまでプレーして欲しいと、彼の今後の活躍を願うばかりです。
中村は現役選手では最多となる、6回の本塁打王の実績を誇ります。通算本塁打数も400を超えており、既に歴史に残る打者です。今日こそDHでの出場でしたが、可能な限り三塁手として出場してきた実績があります。中村の愛称「おかわり君」は、二軍時代の寮でご飯を大量におかわりしたことからついた愛称で、同じようにメタボ体型の山川は「おかわり君二世」とも呼ばれます。
中村は大阪桐蔭高校からドラフト2位でライオンズに入団してきました。当時の大阪桐蔭は、現在ほど全国レベルの強豪ではなかったですが、大学を卒業するよりも早く一軍に定着します。入団2年目の2003年から一軍出場はありましたが、彼のブレイクは2005年の交流戦で、当時三塁手のレギュラーだったフェルナンデスを押しのけて三塁手で起用され、交流戦期間だけで12本塁打を放って大きくアピールします。
当時の中村は、メタボ体型の割には足が速く、守備がこなせるというのが売りでした。のちに監督として中村を指導した渡辺久信氏は、中村を可能な限り三塁手で起用することにこだわっており、指名打者に定着すると打てなくなれば外国人選手を補強されて選手寿命が短くなると、彼が37歳になる現在までプレーできることにつながる気遣いをしていました。
彼の本塁打王6回の中には、2008年に46本、2009年に48本、2011年に48本と高いレベルで達成しています。ホームランを打つことに関しては天才的と言われており、外野に飛球が飛ばせれば半分は本塁打になります。全身をバランス良く使って、ボールに力を伝えるのが上手いので、傍目からは何がすごいかわかりにくく、軽く打っているように見える打者でもあります。
もっとも、本塁打を打てるのは三振数の多さにもつながっており、安打数はようやく1500本と名球会は厳しいです。それでも、既に偉大な選手であり、ライオンズにいる限りは悪い扱いはしないでしょう。ここまで来たら、本人が納得いくまでプレーして欲しいと、彼の今後の活躍を願うばかりです。