浦和がJ2に降格した1999年の最終戦、私は翌日に河口湖マラソンを予定していました。残留が決まっていたら駒場には行かなかったかもしれませんが、こういう状況になった以上、自分の目で見ておかなければ悔いが残ると思って、陸上仲間には無理を言って別行動にしてもらいました。
試合の話はメモを取っていないので、先日書いた札幌戦のようには書けませんが、試合後、河口湖へ向かうまでの電車の中ではいろんなことを考えました。当時降格制度が始まったばかりの日本では何が起こるか予想できず、海外の例だとスポンサーが撤退したり主力選手が流出したりするのかなと、不安を抱えながら2時間半の時間を過ごしていました。
ただ、この2時間半は自分の頭の冷却時間としてはちょうど良かったようです。1992年に2部に降格したフィオレンティーナに残り、チームを1年でセリエAに戻したアルゼンチン代表FWバティストゥータの例も頭に浮かびました。
夜、ビデオで降格の瞬間を知った弟から電話がかかってきましたが、「こうなったら1年でJ1に戻ることを考えるしかない。フィオレンティーナだって2部に落ちたんだ」と激励していました。
それでも、チームの動向などは時間が経たないとわかりません。岡野が「自分たちのせいでJ2に落ちたんだから、自分たちでJ1に上げるしかない」といち早く残留を明言してくれたことは嬉しかったですが、来年どういうチームになるかは正直不安でした。
しかし、入ってくるニュースはだいたい嬉しいものでした。サポは年間チケットのキャンセル待ちに千人単位で登録していて、駒場の大サポーターが消えることはないという話でした。岡野が残留を迷っている選手に電話をかけて説得したという話ですが、移籍を考えていた山田暢久や永井も残りました。
さらに、鹿島から室井や阿部敏之も加入して、半ばあきらめていた小野伸二も残留しました。新しいシーズンはちゃんとあるし、勝てばJ1に戻れると、当時はJ2がどういうところか知らなかったので強気に考えていました。
そのJ2がどれだけ苦しいところだったかは以前書いた通りです。今度落ちたら、私にとっては一番怖いサポーターの流出が起きないとも限りません。落ちてはいけないのです。
試合の話はメモを取っていないので、先日書いた札幌戦のようには書けませんが、試合後、河口湖へ向かうまでの電車の中ではいろんなことを考えました。当時降格制度が始まったばかりの日本では何が起こるか予想できず、海外の例だとスポンサーが撤退したり主力選手が流出したりするのかなと、不安を抱えながら2時間半の時間を過ごしていました。
ただ、この2時間半は自分の頭の冷却時間としてはちょうど良かったようです。1992年に2部に降格したフィオレンティーナに残り、チームを1年でセリエAに戻したアルゼンチン代表FWバティストゥータの例も頭に浮かびました。
夜、ビデオで降格の瞬間を知った弟から電話がかかってきましたが、「こうなったら1年でJ1に戻ることを考えるしかない。フィオレンティーナだって2部に落ちたんだ」と激励していました。
それでも、チームの動向などは時間が経たないとわかりません。岡野が「自分たちのせいでJ2に落ちたんだから、自分たちでJ1に上げるしかない」といち早く残留を明言してくれたことは嬉しかったですが、来年どういうチームになるかは正直不安でした。
しかし、入ってくるニュースはだいたい嬉しいものでした。サポは年間チケットのキャンセル待ちに千人単位で登録していて、駒場の大サポーターが消えることはないという話でした。岡野が残留を迷っている選手に電話をかけて説得したという話ですが、移籍を考えていた山田暢久や永井も残りました。
さらに、鹿島から室井や阿部敏之も加入して、半ばあきらめていた小野伸二も残留しました。新しいシーズンはちゃんとあるし、勝てばJ1に戻れると、当時はJ2がどういうところか知らなかったので強気に考えていました。
そのJ2がどれだけ苦しいところだったかは以前書いた通りです。今度落ちたら、私にとっては一番怖いサポーターの流出が起きないとも限りません。落ちてはいけないのです。