札幌遠征の話をしたので、当時敵だったFW、エメルソンの思い出です。エメルソンは18歳の若さで当時J2の札幌に加入し、こんなレベルの選手がJ2にいるとはと驚く存在になります。もっとも、Jリーグに来る外国人は皆それなりの理由があって、エメルソンの場合は所属のサンパウロFCで、視察に来た当時札幌の岡田監督に「あまりにもわがままで手に負えないからお前のところで面倒を見て欲しい」と言われたという逸話もあります。
後に18歳という年齢はごまかしていたことが判明し、実際は21歳だったという話ですが、圧倒的なドリブルのスピードと高い決定力で、J2では断トツの得点王になります。そのまま札幌に残っていれば翌年はJ1でプレーできたのですが、本人が当時J2の川崎Fへの移籍を選択して、もう一年J2でプレーすることになります。
一度だけ川崎F時代のエメルソンも見たことがありますが、あまりにも前線にボールが入らないのに苛立ってオフサイドポジションから戻らないなど緊張感を欠いたプレーもあり、川崎Fではあまりいい心理状態でプレーしていなかったと推測しています。そんなときに、トゥットと組めるFWを探していたJ1に復帰していた浦和からオファーが来ます。
その後の活躍は浦和の古株サポならだいたい記憶に残っており、キャンプの合流に遅刻したり天皇杯には出る気なしで帰国したりで、レッズフェスタと天皇杯には出たことがないという困った選手ではありましたが、腕の骨折を押して試合に出てくれたり、ハットトリックも決めたりと伝説に残る活躍を見せたFWでした。
最後の別れが、カタールのアルサードへの移籍で、サポーターに挨拶する機会がなかったことは残念でした。当時は「またエメルソン遅刻か」とサポーターも慣れた様子で、移籍交渉を進めているとは思っていなかったので驚きましたが、カタールに行ったのは出場機会の多そうな、お金を持っているチームとなると中東しかないなと思っていました。
その後はブラジルのフラメンゴやフランスリーグでもプレーしたという情報が断片的に入ってきますが、33歳の今も現役かどうかはわかりません。それでも、その速さはJリーグ史上にも残るものだったと、浦和サポとしては誇れる一人でもあります。
後に18歳という年齢はごまかしていたことが判明し、実際は21歳だったという話ですが、圧倒的なドリブルのスピードと高い決定力で、J2では断トツの得点王になります。そのまま札幌に残っていれば翌年はJ1でプレーできたのですが、本人が当時J2の川崎Fへの移籍を選択して、もう一年J2でプレーすることになります。
一度だけ川崎F時代のエメルソンも見たことがありますが、あまりにも前線にボールが入らないのに苛立ってオフサイドポジションから戻らないなど緊張感を欠いたプレーもあり、川崎Fではあまりいい心理状態でプレーしていなかったと推測しています。そんなときに、トゥットと組めるFWを探していたJ1に復帰していた浦和からオファーが来ます。
その後の活躍は浦和の古株サポならだいたい記憶に残っており、キャンプの合流に遅刻したり天皇杯には出る気なしで帰国したりで、レッズフェスタと天皇杯には出たことがないという困った選手ではありましたが、腕の骨折を押して試合に出てくれたり、ハットトリックも決めたりと伝説に残る活躍を見せたFWでした。
最後の別れが、カタールのアルサードへの移籍で、サポーターに挨拶する機会がなかったことは残念でした。当時は「またエメルソン遅刻か」とサポーターも慣れた様子で、移籍交渉を進めているとは思っていなかったので驚きましたが、カタールに行ったのは出場機会の多そうな、お金を持っているチームとなると中東しかないなと思っていました。
その後はブラジルのフラメンゴやフランスリーグでもプレーしたという情報が断片的に入ってきますが、33歳の今も現役かどうかはわかりません。それでも、その速さはJリーグ史上にも残るものだったと、浦和サポとしては誇れる一人でもあります。