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マンツーマンディフェンス

2011-11-01 18:43:52 | 浦和レッズ
浦和の基礎を築いたと評価されているオフト元監督(2002-2003)の戦術は極端なマンツーマンディフェンスでした。日本代表の当時は普通の4バックラインディフェンスで、少なくとも代表監督のときにはこんな戦術は見たことがありませんが、オフトは「監督はカメレオン」と代表時代と全然違うサッカーをすることに全くためらいはありませんでした。

このサッカーで必要とされたのは、足が速く相手FWをどこまでも追い回せるDFでした。当時福岡大から入団したばかりだった坪井には追い風となる戦術で、1年目は相手の俊足FWをどこまでも追い回し、1枚もイエローカードをもらわずフェアプレー個人賞に輝きます。

内舘秀樹もオフトの抜擢で輝いた選手です。それ以前は左右のSBが本来のポジションでしたが、内舘のボールを失ったときの帰陣の速さが評価されたらしく、内舘も試合に出るためならどこでもやると、意欲的にCBをこなしました。

オフトの1年目は順位こそふるいませんでしたが、浦和のマンツーマンディフェンスを嫌がって相手が1トップにしたり、普段と違うサッカーをやらざるを得なかったことは快感ではありました。

2年目になると、福田の引退したボランチに内舘を回し、当時Jリーグにたくさんいた外国人のポストプレイヤー対策要員に室井が指名されます。この年の室井は過去最高の活躍で、エムボマ(東京V)、オゼアス(神戸)という体格では上回る相手に巧みなディフェンスを見せて完封することもありました。

この2003年は浦和にとって初タイトルになるナビスコ杯を獲得した年ですが、攻撃陣はエメルソンが引っ張りました。エメルソンの活躍に刺激を受けた田中達也も急成長して、雨の中、鹿島相手に4-0というサッカーができたのはサポにとって快感でした。

しかし、オフトはこのナビスコ杯決勝の記者会見で自ら辞任を口にします。犬飼社長の就任で早く結果を出す方針に変更になったからです。

この極端なマンツーマンが本当にベストの戦術だったかはわかりませんが、後を引き継いだギドはオフト時代のいいところを採用して2ndステージ優勝に導きます。間違いなく、オフトは浦和というチームを成長させた監督だと思います。
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