内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

担当授業についてのきれぎれの感想と回想

2019-04-10 23:59:59 | 講義の余白から

 学部・修士で担当している授業は、それらを総合すると、古代から現代までを何らかの仕方でカヴァーするような内容になっている。分野としては、文学・芸術・歴史・思想・宗教が主だが、政治・経済・法学・科学にも説き及ばなくてはならないこともあり、それらについての新しい情報にいつもアンテナを張っていないといけない。
 扱う時代が古ければ古いほど、新情報の必要度が下がるかというと必ずしもそうではない。古代史など、新たな発見によってこれまでの通説が覆されることなど珍しくない。最近は、特に歴史の分野全般に渡って、通説がもはや通用しなくなるという傾向が顕著である。それらの新説を追いかけることは面白くもあるが、所詮専門ではないし、一知半解に終りがちだし、いつも追っかけているのはやはり疲れる。
 こういう「追っかけ」は一切やめて、自分が研究していることを中心に話したいが、そういうわけにもいかない。ただ、今年度、特に後期は、時系列に沿ってではなく、テーマ別アプローチを取り入れたので、その分自分の関心に引きつけやすかった。そのほうがこちらの話にも熱がこもるというか、やりがいもあるし、学生たちもより集中して聴いてくれる。
 この意味でこれまでで一番やりがいがあった講義は、ストラスブールに赴任する直前までの四年間イナルコで担当した「現代思想」であった。内容は、西田幾多郎から始めて大森荘蔵・井筒俊彦までをカヴァーするまさに近現代日本哲学史であった。学部三年の選択科目で何らか内容に興味がある学生たちだけが履修していたから、概してよく聴いてくれたし、毎回必ずいい質問がいくつか出て、それに答えることは私にとってもいい勉強であった。












私の電子書籍活用法

2019-04-09 19:20:44 | 読游摘録

 これまでも何回か電子書籍のことを拙ブログで話題にしてきた。使い始めて一年半ほどだが、購入書籍数は日英仏語あわせて800冊近くなる。しかし、読書のためというよりも、主に仕事の道具として使っている。
 例えば、昨日の記事で例に上げたようなある表現の使い方の実例検索するときなどに電子書籍はその威力を発揮してくれる。
 「すると」と「そこで」の用例を、数日前に購入した加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2015年)で検索してみた。それぞれ二箇所見つかった。それらの用例から、「すると」は、与えられた前件の結果として生じた事態を客観的に記述する場合に用いられ、「そこで」は、二例とも、著者というか、この本の基になっている中高生相手の講義の講師である加藤陽子自身が、与えられた条件下において自分がどのような選択を行ったかを伝えるときに用いられている。いずれの場合も、入れ替えできない明確な使い方がされていることがわかる。
 次に検索してみたのが、同時にまとめ買いした本の中の一冊、木村草太の『憲法という希望』(講談社現代新書、2016年)である。「すると」は用例なし。それに対して「そこで」は17例ヒットした。そのすべてが著者自身あるいはその文脈での主体の意思決定あるいは選択がある条件下に行われていることを記述する箇所で使われている。このことは、著者がある意思決定あるいは選択がどのような条件下で行われているかをその都度明確に示すことに注意を払っていることを意味している。
 このように、電子書籍は、単に用例検索に便利なだけでなく、著者の思考の提示法や文体の特徴を特定の表現の使用頻度から浮かび上がらせるためにも使える。
 と、ここまで褒めておいて上でのことだが、電子書籍にはまだまだ改善されるべき点があると言わなくてはならない。何が問題かと言うと、これは以前にも話題にしたことだが、検索機能の使い勝手の悪さである。この点、Kindleはかなりよくできているのだが、hontoリーダーの方は是非改善していただきたい。例えば、上記のように多数の例がヒットした場合、それらの箇所を連続的に検索できないのだ。一箇所本文を見たら、また検索を実行しないと次の箇所に移動できない。検索ヒット件数が多いとき、これが実にわずらわしい。
 そもそも検索というのは、ただ一箇所あるいはほんの数カ所を検索するためだけにあるのではなく、網羅的にある語あるいは表現を探すためのものではないのか。紙の本の巻末にある索引は、当該語が出てくる頁数を網羅的にまとめてあるからこそ便利なのだ。だた、紙の本の場合、索引は変更も追加もできない。もちろん、読み手が手書きで訂正したり追加したりはできるが、それは読んでいて気づいた副産物であり、わざわざ索引に遺漏がないかどうかを調べるためにすべての本を隅から隅まで通覧するほどの暇は誰にもないだろう。
 その点、電子書籍は、検索機能を使って「マイ・インデックス」を簡単に作ることができる。だから、そのための機能向上を是非望みたいのだが、こういう目的で電子書籍を使う人というのはやはり少数派なのだろうか。それで、改善の要望もあまりないのだろうか。あるいは、技術的に面倒なのだろうか。
 私などは、すでに紙版で持っている書籍の電子版をたくさん購入した。電子版のおかげで、ある著者のある特定の語の使用例がたちどころに網羅的に検索できて、そのデータが研究にも役立っている。研究以外のことで忙しい中、こういう調べ物にかける時間を大幅に短縮できて、とても助かってもいる。
 とはいえ、一冊の紙の本をその質感を手に感じながらゆっくりと読んだり、参考文献を机の上に何冊も広げ、あちこち飛び回るように頁をめくったり、あるいは机の左右の本棚に並ぶ書籍の背表紙を眺めたりしながら、何時間も思索に耽る愉悦は、やはり私には何ものにも替えがたい。












「すると」と「そこで」の用法の違いを学生に説明する

2019-04-08 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の授業で、「すると」と「そこで」という二つの接続詞の用法の違いについて説明した。
 前者について、「夜遅くに玄関の呼び鈴が鳴った。すると、隣家の犬が鳴き出した」、後者について、「夜遅くに玄関の呼び鈴が鳴った。そこで、玄関まで様子を見に行った」という例文をそれぞれ挙げる。そして、前者については、前件として提示された「夜遅くに呼び鈴が鳴る」という事態に引き続いて、何らか別の事態が引き起こされたことを後件として記述する場合に使う、両者の間に因果関係があるかどうかは問題ではない、と説明する。後者については、同じ事態が、「玄関まで様子を見に行く」という話者自身あるいは誰かの意志的行為を誘発したことを記述する場合に使う、と説明する。この説明から導かれる帰結の一つは、この二つの例文においては、「すると」と「そこで」とは入れ替え不可能である、ということである。
 ここまでの説明は一応間違ってはいない。が、説明のために都合よく作った例文ばかりでは不十分、あるいは誤解を招く場合がある。「いくら待っても彼女は来ない。そこで私はしかたなしに家に帰った」という「好都合な」例文については、「そこで」の代わりに「すると」は使えないことは上記の説明から学生たちにもすぐに納得がいく。しかし、次のような例文についてはどうであろうか。
 「列車は規定のスピードをオーバーした。そこで運転士はブレーキを掛けて列車のスピードを落とした。」この例文ついて、後件は運転士の意志的行為だから、「そこで」の代わりに「すると」は使えない、と簡単に言えるだろうか。森田良行『思考をあらわすための基礎日本語辞典』(角川ソフィア文庫、2018年)では、そう決めつけられている。しかし、実は、この二文だけでは決定できない。なぜなら、完全に第三者の立場から目撃した事態の継起を記述することを目的とする文脈では、「すると」も可能、というよりも、「すると」の方が適切だからである。
 このことは、「運転士」の代わりに、運転手である「私」を入れてみるとよくわかる。この「私」の場合、「すると」は使えない。「私」自身の意志による行為の選択が記述されているからである。もし「すると」か「そこで」かどちらか適切な方を選べという問題が出たら、「私」の場合は、確定的な解答が可能だが、上掲の例文のように「運転士」の場合は、文脈抜きに二者択一的な解答はできない。だから、そのような出題は不適切だということになる。
 とまあ、こんなふうに二年生相手にフランス語で説明したのだが、さて何人が理解してくれただろうか。これは五月の期末試験の必出事項の一つだぜ、学生諸君。












夢見るにはあまりにも醒めすぎていた紫式部の孤独

2019-04-07 17:18:58 | 講義の余白から

 『蜻蛉日記』の中の夢の記述については、先月末の三日間の記事で、西郷信綱の『古代人と夢』に依拠しながら若干の考察を行った。そこで、今週の古典文学の授業で『紫式部日記』を取り上げることもあり、そこでは夢がどのように扱われているか調べてみた。
 『蜻蛉日記』と違って、『紫式部日記』には夢そのものの記述はまったくない。
 「夢のやうに」という表現が三回出てくる。最初に出てくるのは、神器の勾玉を運ぶ弁の内侍の立ち姿の美しさを褒めるところである。

夢のやうにもこよひのたつほど、よそほひ、昔降りけむをとめごの姿も、かくやありけむとまでおぼゆ。

 この「夢のやうに」は、今日私たちがこの世のものとも思えぬ美しい立ち居振る舞いを見て「夢のよう」というのと同じで、ごく普通の用法だ。ところが、次の箇所では、「夢のやうに」は、それとは違った意味で使われている。

舞姫どもの、いかにくるしからむと見ゆるに、尾張の守のぞ、心地あしがりていぬる、夢のやうに見ゆるものかな。

 五節の舞姫たちの一人、尾張守の舞姫が気分を悪くして退場してしまったのを目の当たりにして、それが「現実の出来事ではないように」と言っている。もちろん肯定的な意味ではなく、少なくとも中立的な、あるいはむしろ「悪夢のように」という否定的な意味さえ帯びていると解釈することもできる。
 三番目は、帝の「童女御覧」の日の童女たちの姿を批評した後、我が身を振り返って、紫式部が女房勤めに慣れて次第に厚顔無恥になっていくであろう自分を想像して自己嫌悪に陥る箇所である。

身のありさまの夢のやうに思ひ続けられて、あるまじきことにさへ思ひかかりて、ゆゆしくおぼゆれば、目にとまることも例のなかりけり。

 「自分自身の将来が次から次への嫌な夢のように浮かんで」(山本淳子訳)、さらにはあってはならぬことまで思いつき、ぞっとしてしまい、いつものことながら、目の前の華やかな儀式も目に入らないといった精神状態が綴られている。
 「夢路」という語が一回だけ使われている。しばらく自宅に帰っていた後、師走の二十九日に出勤して、初めて中宮様のもとに出仕したのも同じ師走の二十九日の夜だったと想い出す箇所である。

いみじくも夢路にまどはれしかなと思ひ出づれば、こよなくたち馴れにけるも、うとましの身のほどやとおぼゆ。

 まるで夢の中でのように覚束なかったと初出仕のときのことを想起している。
 上掲四例、いずれも夢を現実のあるべき姿とは異なるものと捉えている。しかも、最初の一例を除けば、夢は、まことに儚く頼りなく、ときには忌まわしいものでさえあり、現実さえその夢のように思われるときがあるとする無常観を表現している。
 人間の実存についての紫式部の洞察力は、自己に対しても容赦なく、夢に一定の現実性を認めるにはあまりにも独り醒めていた。












夢そのもの、そして夢への反省的関与もまた生の一部をなしている

2019-04-06 23:59:59 | 雑感

 私たちはもう古代人のように夢を現実の一部として信じることはできなくなっている。
 それにしても、夢というのは不思議なものだ。現代人の多くにとって、夢は、現実とははっきり区別され、現実に影響を及ぼすような重要な意味を持っているとは考えないのが普通だろう。覚醒時の生活の中の出来事や心配事や気になる人のことが夢の内容に何らかの仕方で反映されるということは多かれ少なかれ皆心あたりのあることだろうが、だからといって、その夢が現実の一部を成すとは考えないだろう。
 私たちが見ることができるのは自分の夢だけだ。他人の夢はのぞき見することさえできない。脳波を見て、その人が今夢を見ている状態だということはわかっても、夢の内容はわからない。自分の夢でさえ、その夢をビデオ撮影できないし、「実況中継」も不可能だ。目覚めた後、書き留めるか録音するかしなければ、大抵は忘れてしまう。それに夢を見たということは覚えていても、その内容は目覚めた途端に曖昧になってしまうことが多い。
 私の場合もそうだ。よほど強烈なイメージでもないかぎり、思い出そうとしても、うまく思い出せない。夢見ていたときの気分だけが覚醒後も余韻のように残っているだけのことが多い。そして、その余韻は大抵不快なものであり、そんな仕方で夢が現実に侵食してくることにうんざりするのが落ちだ。
 もっとも、中には、驚くほど克明に細部まで夢の内容を覚えていて、しかも「天然カラー映像」だという人もいる。それにしても、そのように「再話された」あるいは映像として再現された夢と「現に」見られた夢とは異なる。見られた夢には反省的にしか関与できない。
 しかし、睡眠は、私たちが生きるために不可欠であり、その睡眠中に多くの場合夢を見ているとすれば、睡眠は、意識の休息であると言うよりも、覚醒時とは異なった意識活動だと言ったほうがいいだろうし、夢の内容がその活動そのものを成している、あるいはそれと密接不可分な関係にあるとすれば、夢はやはり私たちの生にとって重要な意味を持っていることになる。夢の中である数学の問題が解けたという場合のように、夢の内容が現実にも有意な結果を生む場合もある。ただ、そのような現実世界における実効性ということは今措くとして、また精神分析学的な解釈だけを特権化するわけでもなく、もっと単純に、かつ一般的に、自分自身の夢への反省的関与もまた生の一部をなしていると思う。












鬱々たる日々をゆっくりと丁寧に生きようと心がける

2019-04-05 23:59:59 | 雑感

 昨日の記事で述べたような精神状態にあるとき、無理に自分を奮い立たせようとはせず、むしろ沈んでゆく自分をしばらくそのままにしておきます。どうせ深さは知れたものだからです。それはちょうど水の中で足掻かず体の力を抜けば、自ずとまたすっと体が水面へと浮かんでくるようなものです。
 とはいえ、まったく何もしないでいると碌でもないことを考えがちではあるので、そういう体に悪い考えによって心を侵食されないように、一人で簡単にできる「対処療法」を実践するよう心がけています。療法というのも実践というのも大げさな話で、すっかり習慣化していて普段は特に注意することもなく日常的に繰り返していることをただゆっくりと丁寧にやるだけのことです。例えば、洗濯物をたたむとか、食器洗い、部屋の片付け、靴磨き、字を書く、なんでもよいのです。そうすることで、それらのものと自分との関係をあらためて確かめるというか、そういう一つ一つの細部から自分の日常が成り立っていることを確認するというか、まあそんな感じです。
 人それぞれですから、一般化するつもりはないのですが、私の場合は、こんなふうに日常の時間にゆっくりと丁寧に身を浸すことで少し気持ちが落ち着きます。それで何か問題が解決したわけではもちろんありません。それはそのままです。不安が雲散霧消したわけでもありません。それは心の奥に巣食っています。ただ、考えなくてもいいようなこと、考えても仕方のないことをいくらか抑制することはできます。
 本の読み方についても同様です。仕事柄、本は毎日読んでいるわけですが、普段は必要なところだけを走り読みするだけで済ませがちですが、特に好きな作品の二三頁を一言一言噛み締めながら読む。繰り返し読んでみる。それも声に出して読んでみる。あるいは、辞書を読みます。引くのではなく、一項目一項目隅から隅までゆっくり読むのです。最近は、大野晋[編]『古典基礎語辞典』を「服用する」ことが多いですね。今回は少し服用量が多くする必要があるようです。












雨降る春の憂鬱なる心模様

2019-04-04 23:59:59 | 雑感

 今日は朝からずっと雨がそぼ降る一日だった。
 ここのところ、家でも大学でもどういうわけかミスが続き、それぞれはそれほど大したことでなくても、気分が沈みがちである。四月に入ったのに春らしからぬ雨模様の寒い日が続いていることも気持ちをさらに暗くする要因になっていると思う。これから先に待っている仕事のことが重く心にのしかかってくる。それに、毎春決まってとまではいかないが、いわゆる季節の変わり目というのだろうか、この時期、精神的に不安定になりがちである。表向きは、人から気取られるほどの変化はないと思うが、そうであるからこそ、本人としてはその状態を独りでかかえこむことになり、かえって苦しい。何か特定の原因があるというよりも、もっと深いところから、空虚感でも呼べそうな何かによって絶えず心が侵食されているような感じである。これがいわゆる鬱状態ということなのだろうが、日常生活に支障をきたすほどでもなく、一過性であることもわかってはいる。
 まあ仕方ありませんね。そういうどうしようもない自分ともうしばらく付き合っていくほかはありませんから。












普段使っているノート型パソコンが使えなくなってしまった

2019-04-03 20:47:30 | 雑感

 今日の記事でこんなことを書くつもりは朝のうちはなかったのだが、実はおとといあたりから普段使っているノート型パソコン HP Spectre x360 が正常に充電されなくなり、ずっと気になっていたのだが、今日の午前中の授業を終えたところで、バッテリーレベルが20%を切ったにもかかわらず、アダプターを接続してもまったく充電されなくなり、午後から会議があるにもかかわらず、慌てて家に持ち帰ってアダプターを取り替えてみたのだが、まったく反応はなく、とうとうバッテリーが切れ、起動できなくなってしまった。
 どこに問題があるのかわからない。バッテリーそのものか、アダプター接続用のポートにあるのか、あるいは別の問題か。裏を開けて、バッテリーを取り出そうにも、裏に使われているねじに合うねじ回しがない。もはや修理に出すしかないのかと、ちょっとがっくりきている。
 こうなると、今更ながら、普段いかにパソコンに依存しているかが改めて実によくわかる(でも嬉しくない)。重要データはすべて五つの異なるクラウドに保管されているので、その点は問題ないのだが、若干このPCだけに保存してあるテキストデータもあるから、やはり修理しない訳にはいかない。思わぬ出費になるが、これも仕方のないことである。
 今この記事を書いているのは、以前使っていた古い Vaio である。呆れるほど遅いし、冷却ファンがうるさいので、もう何ヶ月もまったく起動したことがなかった。それもあって、久しぶりに起動すると、冬眠から目覚めるのにしばらく時間がかかる熊のように、アカウントを開くのにさえ数分かかる始末。それに、あれこれの更新データがいくつものアプリに溜まっており、それを更新するだけで、小一時間かかってしまった。そして、とにかく遅い、ファンがうるさい。まあ、急場しのぎに使えるだけも感謝すべきか。
 というわけで、今日の記事で話題にしようと思っていた『紫式部日記』のことは後日にまわすことにする。Spectre が簡単には直らないようであれば、この際新しいノート型パソコンの購入も視野に入れなくてはならないだろう。
 今日はこんなつまらん記事で失礼させていただきます。












『蜻蛉日記』を読み解く鍵としてのミッシェル・アンリの「受苦」の現象学

2019-04-02 19:11:34 | 哲学

 なぜ私は『蜻蛉日記』の中の連綿たる苦悩の記述に抗い難く心惹かれるのだろうか。それが道綱母の「身の上」への同情によるものでも共感によるものでもないことは確かだ。我が「身の上」とはどうにも引き比べようもない。複雑微妙な心理描写の肌理に引き寄せられるのでもない。
 この問いへの答えを見出すための手がかりが、3月30日の記事で取り上げた西郷信綱の『古代人と夢』の中の次の一文の中にある。「時代通念を括弧にいれ、あるがままを記すというこうした判断中止に到達せざるをえないところまでおそらく図らずもやって来たのである」(178頁)。西郷信綱自身『古事記の世界』(1967年)の「あとがき」に書いているように、西郷はメルロ=ポンティの『知覚の現象学』に深い衝撃を受けている。そのことと上掲引用文の中で「括弧にいれる」「判断中止」(「判断停止」という語も使われている)などの表現が使われていることは無関係ではない。
 自ずと疼くように自己触発的に己の裡において自己生成し続ける感情に対して、それをそれとして己のこととして苦しみつつ、「ありのままに」記述しようとする態度は、もちろん直ちに「現象学的」などとは形容できない。だが、私はここで受苦(souffrance)に生命の本質を見るミッシェル・アンリの生命の現象学を思い起こさずにはいられない。
 この受苦に関わる問題については、博士論文で詳細に検討したことがある(2014年7月16日の記事を参照されたし)。受苦は、諸々の苦痛(douleur)とは、その存在論的次元において区別されなければならない(この点については、2018年6月27日7月9日の記事で話題にしたが、以来私の哲学的研究の懸案事項の一つである。6月末のイナルコでの発表でも、西田とアンリとの対質を通じてこの問題を考察する)。
 この受苦の実存的経験のありのままの記述たりえているからこそ、『蜻蛉日記』を読むことは、そこに顕現している〈生命〉の本質に触れることを私たちに可能にし、だからこそ、千年以上の時を超えて、私たちに、今、ここで、感動を与えるのではないだろうか。少なくともこの私においてはそうである。












新元号「令和」から『万葉集』「梅花の歌三十二首」へ、梅花から桜花へ、上代・中古から現代へ、そしてまた古代へ

2019-04-01 18:47:24 | 講義の余白から

 昨日日曜日にこちらは夏時間に切り替わり、日本との時差は七時間に縮まった。日本時間で午前十一時半の新元号の発表は、午前四時半の起床とほぼ同時に知った。
 新元号の「令和」については、まだピンと来ないというのが正直なところ。ただ、万葉集が典拠だと知って興味を惹かれた。さっそく起き出して、手元の参考文献で元号の歴史と新元号の典拠について簡単に情報を収集・整理し、それらをパワーポイントにまとめて、午前中の二年生対象の授業で使った。「ホットな」情報ということで、学生たちも関心を示した。
 「令和」は、巻五の著名な「梅花の歌三十二首」の序文の中のはじめのほうの「初春令月気淑風和」(「初春の令月にして、気淑く、風和ぐ」)という一文から取られた。序文全体は三十二首が詠まれた背景や事情を明かす文章である。ただし、「構成や語句には、王羲之の「蘭亭集序」や王勃・駱賓王などの初頭の詩序などに学ぶところが多い。だから、全体にかなりの幻想を思うべきである」(伊藤博『萬葉集釋注』)。
 三年生の授業では、「梅花の歌」を緒に、万葉集の時代、梅花が特に大陸からの輸入種として賞翫されたこと、本土在来種の桜に対してはそれと同じ程の関心は万葉集には見られないこと(その桜は、今日広く分布している染井吉野とは違い、日本で最古の品種とされるのは、聖武天皇が三笠山から移し植えたと伝えられる奈良の八重桜。古くは八重咲き品種が多く、花の色も今日の染井吉野よりは濃い淡紅色であったと考えられる)、万葉集に見える梅の歌約百二十首はそのほとんどすべてが白梅を詠み、中古でも紅梅は別扱いで、紅梅と断るのが通例であること、桜が春の花を代表するものとして愛好されるようになったのは平安時代以降であること、その華の美の「儚さ」と散り際の「潔さ」などによって日本文化を象徴する花であるかのように喧伝されるようになるのはずっと時代が下ってからのことなどを十五分程でさらっと説明した。
 その上で、現代の映画作品などに見られる桜花に託された象徴的意味を、いくつかの映画やドラマの何シーンかを見せながら、読み解く試みを行った。〈儚さ〉や〈潔さ〉より、すべての命が繋がる〈生命〉、生きとし生けるもの〈再生・転生〉、咲き散ることの〈永遠回帰〉など、それらの現代作品の中の桜のイメージは、これはあくまで私見であると断ったうえでのことだが、むしろ初期万葉集における〈花〉のイメージに近いことなどを話す。
 この三年生の授業は、文法的・構文的な説明を除いて、すべて日本語で行うのだが、さて、私の言わんとしたことはどこまで学生たちに伝わっただろうか。