内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「桜花散りのまがひに」― 『古今和歌集』ののびやかな春の歌

2019-04-17 23:59:59 | 詩歌逍遥

 今月14日の記事で大伴家持の「世間は数なきものか春花の散りのまがひに死ぬべき思へば」という一首を取り上げた。命の儚さと花の儚さとが二重写しになった歌だが、『古今和歌集』には、この「散りのまがひに」という表現が、春風駘蕩たる景色の描写に用いられている。

この里に旅寝しぬべし桜花散りのまがひに家路忘れて(巻第二・春歌下 よみ人知らず)

 「旅寝」とは、家を離れて外で泊まること。『万葉集』では、「旅」は「苦し」と表現されることが多く、古代における遠方への旅の困難さが思い合わされる。旅寝も、長い旅路の途中のつらい宿泊を指すことが多い。ところが、『古今集』では、逍遥などの折の気楽な外泊も指す。この歌の場合もそうだろう。小学館『日本古典文学全集』の脚注には、「平安貴族が都付近の荘園に、狩か野遊びに出た時の歌であろう」とある。
 家持歌の春愁と対比するとき、そののびのびとした詠いぶりが際立つ。『古今集』巻第二の次歌「うつせみの世にも似たるか花ざくら咲くと見しまにかつ散りにけり」がやはり人の世の儚さと桜花の儚さとを重ね合わせているのとも対照的である。