内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

パリ・ナンテール大学での日本哲学シンポジウム二日目

2018-11-20 18:50:25 | 哲学

 小雨が降り、落ち葉が舞い散る晩秋のパリの風景は美しい。
 主催者が予約してくれたホテルは、メトロ7番線の Les Gobelins 駅から徒歩5分ほどのところにあり、三人の発表者と宿泊した。朝、ホテルを出るのが少し遅くなった。Auber 駅からRER の A線 に乗ろうとホームに着くと、異様に人が多い。停車している電車の車両はすべて乗客で溢れており、乗り切れずにいる人たちがホームに溜まっていたのだ。どこかの駅で具合の悪い人がいて、その対応で全線が一時的にストップしているとのアナウンス。そういえば、こんなこともパリに住んでいるときはよくあった。通勤ラッシュ時で、みんなうんざりしている。でも待つしかない。
 幸い15分ほどで運行が再開された。しかし、すでにシンポジウム開始時間には間に合わない、ボルドーから来ていた友人が主催者にメールで遅刻を知らせる。結果、20分ほどの遅刻で到着。ところが、会場は人もまばら。一つには、私たちと同じように電車の遅延の影響だろう。一つには、昨日は学部三年生が多かったが、今日はほとんど来ていないからということらしい。来てくれた人たちは、哲学科の教員たちが5、6名、それと他大学からの院生が数人、それに学部生が数人、発表者たちと司会者を含めて、二十人ほどのこじんまりとした会になったが、昨日とは違って、教員が多かったこともあり、質問は多数出て、その意味では活発な会になった。
 最初の発表が、ボルドーの友人の中江兆民についての発表。続いて、金沢大学で教えている西田のスペシャリストであるフランス人の発表。どちらも多年研究してきた対象を扱う自分の「ホームグランド」での発表だから、大変よく練れた発表であった。
 そして、私の発表。田辺の「絶対媒介の弁証法」について。西田哲学については、翻訳と研究書も複数出版され、フランス語圏ですでにかなりよく知られ、関心を持つ若手研究者も少なくないが、田辺哲学については、まだ翻訳がほとんどなく、研究論文もごくわずかしかない。そのことを踏まえて、入門的な内容になったが、田辺哲学の全過程に見通しを与える一つの視座を提供することを主たる目的とした。発表40分、質疑応答20分というのが原則だが、5分オーバーしてしまった。それでも用意した原稿の半分も読めず、途中からは原稿なしで話し、せっかく用意した結論も読み上げることはせず、普段の講義のようにその場で話をまとめた。
 結果としては、そうしてよかったと思う。発表後の質問も時間切れになるほど出て、それにもあらかた答えることができ、まずは « Mission accomplie » と言っていいのではないかと思う。
 午後の部(井筒俊彦と大森荘蔵について)が終わり、主催者と最後まで残っていた参加者たちに挨拶をして、少し肩の荷が下りた気分でナンテールから東駅に移動する。東駅に到着した時点で、主催者が予約してくれたTGVの最終列車の出発までまだ3時間以上あった。窓口でそれより前のTGVを探してもらったら、10分後に出るTGVに空席があるという。すぐにそれに替えてもらって(差額20€払ったが)、飛び乗る。この記事はそのTGVの中で書き、即投稿した。
 明日からまたストラスブール大学での日常業務に戻る。












パリ・ナンテール大学での日本哲学シンポジウム初日

2018-11-19 23:00:08 | 哲学

 今日は、パリ・ナンテール大学でのシンポジウムの初日。朝一番のTGVでパリに向かう。東駅からメトロ7番線でオペラまで移動し、RERのAuber 駅からA線で大学に向かう。
 ちょうど朝のラッシュ時間で、最初に来た RER には乗れなかった。そういえば、パリに住んでいたころは、勤務校に通うときにそんなこともあったなと思い出した。ストラスブールに移って、そんな経験はまったくなくなったから、すっかり忘れていた。ちょっと懐かしい気持ちになったけれど、今さら戻りたいとはさらさら思わない。
 10時過ぎから、日本仏教の大家でコレージュ・ド・フランスの教授のジャン・ノエル・ロベール先生による開会講演。道元における哲学的な言説について。
 休憩を挟んで、時代は近代に飛び、法政大学教授の安孫子信先生の西周についての発表と明治大学教授合田正人先生による戸坂潤についての発表。これで午前のプログラム終了。
 昼食後、午後の部は、まず、数年前に道元についての博士論文で哲学博士号をとり、現在高校とパリ第一大学で哲学を教えているルーマニア出身の若手研究者による道元における知の継承についての発表。つづいて、昨年、九鬼周造についての大変優れた博士論文を書いた若き俊秀による荻生徂徠についての発表。これは主催者からの要望に応えるための選択だっと後から聞いた。そして、締めは、Ecole pratique des Hautes Etudes のアラン・ロシェ教授による本居宣長の『直毘霊』を主とした発表。
 これで今日のプログラムは終了。午前中の聴衆は、パリ・ナンテール大学哲学部の学生たちを主として、三十数人。午後は少し増えて、多少の出入りはあったが、多いときは五十人くらいいたと思う。
 初日終了、主催者の教授と今日と明日の発表者たちでパリに移動し、オペラ界隈の日本レストランで会食。さきほどホテルに着く。
 これから明日の発表の仕上げに取り組む。といっても、実は、行きのTGVの中であらかた結論は書き上げ、日中も発表を聴きながら、思いついたことを iPad で打ち込んでいたので、あとはそれを最終原稿に取り込み、全体を読み直せば、一応完成である。あとは発表の場でのアドリブでいいかなと思う。初日である今日、聴衆の様子を最後列の席から観察することもでき、その分明日はやりやすいかなと思う。












明後日の発表原稿とパワーポイントは、ほぼ完成。でも、結論はあえて書かなかった ― なぜ?

2018-11-18 21:01:05 | 哲学

 明後日火曜日のパリ・ナンテール大学での発表原稿は、今日の午後、一応形になった。パワーポイントもほぼ仕上げた。
 その時点で、午後三時半。まだ時間に余裕があった(パリに向かうのは、明朝一番のTGV)。でも、原稿は敢えて仕上げなかった。結論を空白のままにした。結論のあらましは、もちろん頭の中にある。それでも、書かないことにした。
 そして、夕方、久しぶりに湯船にゆっくりと浸かり、夕食時には、いつものようにワインを一本空け、今、いい気分である。
 なぜ結論を書かなかったか。今晩、寝ている間の「熟成」を待つことにしたからである。なに呑気なこと言ってるの、ワインじゃあるまいし、って思われたかも知れない。しかし、思考にも「寝かせる」時間が必要だ、と私は考える。
 結論だけの話ではない。今回、原稿書き始めたのは、昨日土曜日朝である。それまで、何週間と、「ああ、早く書かなきゃ」と焦る気持ちにずっと追い立てられてきたのだが、なんと言えばいいのか、「臨界点」に到達しないと、思考が展開してくれないのである。
 その間、ボーっとしていたわけではない。それどころか、何か月間と、いつも頭と心のどこかに今回の発表のことが引っかかっていた。だったら、さっさと書いてしまえばいいじゃんって普通思うだろう。確かに、この期間に、ぐずぐずしないで、さっさと手際よく原稿を書いてしまえば、それはそれで精神衛生上いいことだし、きちんとしたものが書けるかもしれない。
 でも、それでは何かもの足りない気がする。「コク」がないというか(あれっ、まだ酒の話しているの?)、そう割り切れたものじゃないでしょ、という蟠りというか……。
 この愚図愚図とした「引っかかり期間」がとても大事だと私は思うのである。これは、苦し紛れの屁理屈ではない。
 とはいえ、ぎりぎりになって書いたら必ずいいものができるかといえば、もちろん、そうは問屋が卸さない。今回だってわからない。
 でも、その場で湧出して来るものにこそ、思考の醍醐味がある、そう私は思う。幻想だろうか。













中世の絵師たちが描かなかったもの ― 不在の理由を問う歴史学的アプローチの魅力

2018-11-17 13:05:46 | 読游摘録

 網野善彦が一般読書界における人気という点で日本中世史のいわゆる大スターであったことには誰も異論はないであろう。その代表作としてよく紹介されるのは、『無縁・公界・縁』であり、実際同書は「学術書としては抜群のベストセラーになった」(平凡社ライブラリー増補版(初版1996年)の笠松宏至の「解説」、378頁)。手元にある同書2013年版でさえ第20刷である。実に息の長いベストセラーである。
 ところが、呉座勇一氏によると、中世史学界の専門家たちの網野史学の評価は、一般読書界のそれと大きく異なっていたらしい。三日前の記事で紹介した『日本の中世に何が起きたか』の解説の終りの方にはこう記されている。

 実は、中世史学界において高く評価されている網野の業績は、『蒙古襲来』(一九七四年)、「中世都市論」(一九七六年)、『中世東寺と東寺領荘園』(一九七八年)であり、ベストセラーとなった『無縁』は論理の飛躍が著しいとして激しく批判された。一九八八年から九七年にかけて網野が熱中した中世「資本主義」論に対しては、突飛すぎる議論として『無縁』以上に冷ややかかな視線が浴びせられた。一方、他分野の研究者、文化人は、中世「資本主義」論をはじめとする後期網野史学の絢爛さに魅了され、網野は彼らと数々の対談本を出した。(268-269頁)

 笠松氏も『無縁』の「解説」で、同書に対して「学会の主流の反応はむしろ批判的であり、ある研究者のごときは、この本の絶版をさえ迫ったと聞いた」と記している(同頁)。『無縁』が前期網野史学の代表作とすれば、『日本の中世に何が起きたか』は、後期網野史学の代表作である。上掲の学界内の評価はともかく、最初の文章「序にかえて」を読んだだけで、私はハッとされられた。
 網野は、子どものころ、昆虫採集が好きで、よく山野をかけまわったそうだ。そのせいか、中世絵巻物に虫がほとんど姿を見せないことが大変気になった。とくに蝶。絵師たちはなぜその美しさに目をとめなかったのか。『法然上人絵伝』で一ヵ所見た覚えはあるが、紋様にはしばしば用いられるにもかかわらず、絵巻物には蝶がほとんど現れないのはなぜかと網野は問う。
 絵巻物における蝶の不在というこの問題に対して、網野自身は、「おそらくこれは、蝶がそのころ人の魂と考えられ、むしろ不吉とされていたからではないか。人々はその美しさに、かえって人ならぬもののおそろしさを感じていたのではあるまいか。事実、東国では黄蝶の群舞するのは、「兵革の兆」とされていたのである」として、注に『吾妻鏡』の三条を根拠として挙げている。
 黒田日出男は、『[増補] 絵画史料で歴史を読む』(ちくま学芸文庫)でその三章を割いて『一遍聖絵』の歴史的解読を展開している。その末尾に、「『一遍聖絵』は、どの場面を読んでいても、謎がうまれてくる希有な絵巻物です。ここに示した聖なる動物も、その一つにすぎません。私の『一遍聖絵』の読解は、はてしない旅となるように思われてなりません」(104頁)と記している。
 もちろん、描かれているものをめぐる謎を解く作業にも興味が尽きないが、描かれなかったものについてその理由を追求するというのも、実に示唆的な問題意識・アプローチではないかと、また一つ、網野史学から自分の研究のためのヒントをいただいたことをありがたく思っている。











日本学についての、まったく根拠がないわけではない、しかし言わずもがなの暴言を吐く

2018-11-16 23:59:59 | 雑感

 今日何か腹の立つことがあったからとか、最近何か具体的なきっかけがあったからとか、誰かに恨みがあるとか、そういう直接の理由からではなく、日ごろから思っていることを一言だけ書きつけておきます。他意は一切ございません。

 日本学という学問はない。日本の文化・芸術・歴史・言語・社会・民俗などなどを対象とした様々な分野での学問的研究があるだけである。だから、今日では、「日本研究」という言葉のほうが好まれる。意地悪な言い方をすれば、さまざまな分野で日本について研究している外国人たちが日本人の研究者たちと一緒に集まってするシンポジウムというお祭り騒ぎには、「日本学」という言葉を全体をひっくるめる方便としてまだ使えるかも知れない。もっとひねくれた言い方をすると、日本学という発想は、植民地主義の「落とし子」である。日本というエキゾティシズムを刺激してやまない不思議な国を、好奇心で覆い隠した上から目線で見下ろしたときに一つの対象として現れてくる「日本」を研究するガクモンあるいは疑似学問、それが日本学である。したがって、日本学者あるいは日本学の専門家は存在しえない。百歩譲ってその存在を認めるとしても、それらの自称日本学者たちには、いかなる学問分野においても市民権がない。













黒田日出男『洛中洛外図・舟木本を読む』― 絵画史料で歴史を読むスリリングな愉悦

2018-11-15 19:29:21 | 講義の余白から

 授業の準備も兼ねてのことなのだが、日本中世史の大家で絵画史料研究の第一人者である黒田日出男氏の著作を読み漁ろうとしている。「読み漁っている」と書きたいところなのだが、大学の仕事や来週のシンポジウムの発表の準備などで思うように時間が取れず、もどかしく思っている。
 明日の午前中は、学部三年生の授業で近世の始まりについて話す。一応型通りに教科書的な説明をした後、ルイス・フロイスの『日本史』の一節を読み、西洋人の眼に映った当時の日本人の姿を瞥見する。
 そして、洛中洛外図屏風(舟木本)を、当時の時代の空気を知るための絵画史料として「読む」ことを、黒田日出男著『洛中洛外図・舟木本を読む』(角川選書、2015年)を道案内として学生たちとともに試みる。徳川家と豊臣家とが、それぞれ二条城と大仏殿に姿をかりて互いの威容を誇示し合い、時期も大坂の陣を間近かにひかえた、風雲急を告げるころである時期を描いたこの屏風絵は、その躍動性と細密性とにおいて、百点を超える洛中洛外図屏風の中でも飛び抜けている。黒田氏は、それらの洛中洛外図屏風は、「絵画史料読解の最高の対象である。そのなかでも舟木屏風は最も魅力的な作品であり、真に読みがいのある洛中洛外図である」と本書の中で仰っている。
 それに、本書でも言及されていることだが、東京国立博物館のウェッブ・サイトの「e国宝」というコレクションがほんとうに凄い。同コレクションでは、国が所有する国宝・重要文化財の美術品の高精細デジタル画像を公開している。舟木屏風を最大限に拡大すると、まるで屏風間近に迫って、しかも拡大鏡で見ているような精細な画像を見ることができる。世界中どこからでもアクセスできる。これを使わない手はないではないか。
 ただ解像度がとても高いからネットへの接続速度が十分でないと画像をすばやく拡大したり、移動させたりできない。そこで、主な場面をスクリーン・キャプチャーで取り込み、それらを使ってパワーポイントで解説付きのスライドを先程作成した。これで明日の授業の準備をほぼ終えることができた。今晩は「深夜大学」の営業をしなくてもよさそうである。












網野善彦『日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」』、あるいは解説を読む愉しみ

2018-11-14 13:50:43 | 読游摘録

 本書の解説を書いているのは、『一揆の原理』『戦争の日本中世史』『応仁の乱』『陰謀の日本中世史』の著者、日本中世史が専門の歴史家呉座勇一氏である。氏自身の著作も大変面白い(あるいは面白すぎる)けれど、氏はまた解説の名手でもあると思う。後期網野史学の代表作である本書の各章の内容を手際よく紹介しつつ、網野の学説がその研究人生を通じて大きく変化していること、最大の変化は「無縁」論から「資本主義」論への移行であること、その移行によって前者と後者とが両立不可能になってしまった理由などを簡潔・的確に指摘している。
 呉座氏は、現在朝日新聞に「呉座勇一の歴史家雑記」を連載中だが、その中にも興味深い論点がいろいろとわかりやすくユーモアを交えて紹介されている。
 同じく朝日新聞の「呉座勇一の交流の歴史学 ブックガイド篇」も私には大変参考になった。五味文彦、黒田日出男、石井進、笠松宏至、勝俣鎮夫といった錚々たる歴史家たちの業績の勘所をこれまた簡潔明瞭に説明し、ブックガイドとしても行き届いている。
 石井進を紹介している今年の2月3日の記事では、その出だしに、「私は新聞などでは「注目の若手研究者」のように紹介されるが、現実にはアラフォーだし、学界での評価がさほど高いわけではない」とさらっと書いてある。問題の本質を鮮やかに洞察する慧眼とこういう自己に対する軽やかな距離感とが絶妙にミックスされた文体が彼の著作を魅力あるものにしている理由の一つであろう。












ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫)、あるいは訳書の愉しみ

2018-11-13 10:00:00 | 読游摘録

 本書は、もと、『大航海時代叢書XI』に『日欧文化比較』というタイトルでアビラ・ヒロン『日本王国記』とともに収録され、岩波書店から1965年に刊行された。
 フロイスの本文そのものがきわめて興味深いのは言うまでもないが、それらはすべて簡潔な箇条書きからなっていて、それらの観察の根拠であるはずの長年の経験・見聞や基になっている史料はそこには言及されていない。もちろん、フロイスの数多くの書簡や膨大な『日本史』を併せ読むことで、それらの観察がフロイスの長期日本滞在経験の集約であることがわかる。
 この岡田訳を特に貴重なものにしているのは、本文の数倍の量の訳注が付され、さらに少なからぬ図版も挿入されていることである。1991年に岩波文庫に収録されるにあたって、高瀬弘一郎氏が、訳文の細部にわたり、若干修正を加え、そしてそれに伴って必要が生じた範囲内で、注記についても少しばかり加筆されている。
 仏訳 Européens & Japonais. Traité sur les contradictions & différences de mœurs, ecrit par le R. P. Luís Fróis au Japon, l’an 1585, Chandeigne, 3e édition revue, 2012 (1998) には、申し訳程度の脚注が付けられているだけ。
 レヴィ=ストロースが同訳に序文を寄せている。この序文は、のちに L’autre face de la lune (Seuil, 2011) に « Apprivoiser l’étrangeté » というタイトルで収録されている。同書の邦訳『月の裏側』(川田順造訳、中央公論新社、2014年)では、タイトルは「異様を手なずける」と訳されている。この訳書の面白いところは、川田先生が訳注の中でレヴィ=ストロースによる日本の慣習に関する不当に一般化された判断を容赦せずに批判しているところである。レヴィ=ストロースが間違っている場合など、「ここに著者が記していることは、まったく誤っている」と手厳しい。これもまた訳者が果たすべき役割であろう。












今日日本から届いた本について

2018-11-12 23:59:59 | 読游摘録

 今日、先週アマゾンに注文した23冊の本が日本から届いた。土日を挟んだので発送から4日かかったが、それでも以前に比べれば格段に速くなった。もちろん送料もそれなりにかかる。だから、通常、急ぎではないときは、東京の妹夫婦の住所宛に届けてもらい、預かっておいてもらって、一時帰国の際にそれを引き取り、こちらに戻ってくるということを繰り返している。ただ古本屋の場合、海外発送を受け付けないことも多く、その場合も保管しておいてもらう。
 今回、こちらに直接届けてもらった主な理由は、少し急ぎだからということだが、この年末年始の一時帰国の際には、スーツケース一つ23キロが上限なので、これでは大した量は持ち帰れないということもある。
 今回注文した23冊は、文庫本が17冊、平凡社ライブラリー版が6冊だった。内訳は、『完訳 フロイス日本史』(中公文庫、全12巻)、ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫)、『源氏物語(四)』(岩波文庫)、網野善彦『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫)、『日本の中世に何が起きたか』(角川ソフィア文庫)、『異形の王権』『[増補] 無縁・公界・楽』『日本中世の百姓と職能民』(以上3冊、平凡社ライブラリー)、黒田日出男『絵画史料で歴史を読む』(ちくま学芸文庫)、『[増補] 姿としぐさの中世史』(平凡社ライブラリー)、五味文彦『平家物語、史と説話』、ノーマン・マルコム『ウィトゲンシュタイン 天才哲学者の思い出』(以上2冊、平凡社ライブラリー)である。
 ルイス・フロイスと黒田日出男の著作は、今週と来週の講義で使うため。網野善彦のは、すでに電子版でもっているのもあるが、代表作は一通り紙の本で持っておきたいと思ったから。『源氏物語』(全9冊)は現在刊行中。第四巻は最新刊(九月刊)。最新の研究を反映した本文と訳注が見開き二頁に収められていて、とても読みやすいので、刊行されるとすぐに購入している。五味文彦のこの名著の電子版はすでに持っているが、やはりどうしても紙の本で読みたいと思ったから。マルコムのウィトゲンシュタイン伝は、講談社新書の旧版が手元にあるが、すでに相当に傷んでいるので、この平凡社ライブラリー版を買った。訳者である板坂元のライブラリー版あとがきと飯田隆氏による解説付。












大伴家持の友情とキャロル・キングの “You’ve Got a Friend”

2018-11-11 17:58:57 | 私の好きな曲

 昨年十一月から萬葉集全歌通読を始め、拙ブログの今年の元旦の記事では、年内読了を目標として掲げた。主に、角川ソフィア文庫版の伊藤博訳注四巻と岩波文庫新版五巻の二つを主テキストとして、それにさらに他の注釈書もときに参照しながら、巻を追って一首一首順に読んできた。今日で巻第十九を読み終え、明日からいよいよ最終巻巻第二十に入る。巻第二十は、長歌六首、短歌二百十八首の計二百二十四首。大みそかまであと五十日あるから、ときどき休みをいれても、日に五首ずつ読めば、読了できる。もっと簡単に読み上げることができるだろうと、始めたときは高を括っていたが、いろいろと雑事にかまけて、しばらく中断してしまったり、歌によっては注釈書をいくつもあたることで時間がかかったりして、思った以上に時間がかかってしまった。
 巻第十九を読んでいて、しみじみと感じられたことの一つは、越中赴任中の家持が同地あるいは近隣地方の官人たちと結んでいた友情の深さと細やかさであった。他方で、家持は、世間の無常を悲しむ歌を少なからず詠んでおり、その孤愁の深さは覆うべくもないが、その個としての孤独の深さが友情を大切にする気持ちもまた深めているのだろう。
 話は変わるが、今朝、プールに行く前後に万葉集を読み、その後、昨日一応仕上げた時間割の再確認をしているとき、例のごとくストリーミングで音楽を低音量で流していたら、キャロル・キングの “You’ve Got a Friend” が始まった。「ああ、懐かしい」と、思わず作業の手を休め、聴き入ってしまった。「永遠の名曲」なんて言葉、めったなことでは使いたくないけれど、1971年に発表され、翌年グラミー賞最優秀楽曲賞を受賞したこの曲は、文句なしにそれに値すると思う。今朝から繰り返し聴いている。
 著名な歌手たちによるカヴァーも多数ある。マイケル・ジャクソンも1972年、声変わり前の14歳にカヴァーしている。日本人歌手では、小野リサがボサノヴァ風アレンジでしっとりと歌い上げている。