内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

出版流通機構の成立史から見た〈近世〉の誕生 ― 浅井了意という時代の鏡を通じて

2018-11-22 23:59:59 | 講義の余白から

 〈近代〉の定義は難しい。統治機構からだけでは規定しきれない。社会構造によってだけ規定することも難しい。人口統計も一つの指標にしかならない。さまざまな分野において異なった定義が与えられるべきなのだろう。
 一方、〈近世〉という概念は、通常江戸時代の別名(あるいはそれプラス安土桃山時代)であるから、その定義に特段の問題はないように思える。しかし、むしろその見せかけの自明性こそが時代認識を誤らせる陥穽になりかねない。
 江戸時代以前には、本の出版という発想は、技術的にはまったく不可能ではなかったとしても、事実上存在しなかった。本の出版を事業として可能にする流通経済機構がまだ形成されていなかったからである。
 本の出版が技術的に比較的安価にできるシステムが形成され、それが流通経済機構に組み込まれたことによって、日本文学史上最初の職業作家となったのが仮名草子作者の浅井了意(1612?-1691)である。
 ところが、入門書的な文学史の教科書では、中世の御伽草子と西鶴によっていきなりその最高の達成が実現される浮世草子との間の過渡的な文学形態の総称として十九世紀末に考案された概念である「仮名草子」というごった煮ジャンルの代表的作家として、代表作の作品名とともに言及されることはあっても、それら作品それぞれの内容にまで立ち入って紹介されることは、ほとんどない。
 しかし、この多作家の途方もなく渾然たるの作品群は、転換期の時代相を多様な仕方で反映していると言える。とすれば、浅井了意の生涯と作品とその時代について、文学研究という枠組みを超えて、経済・宗教・文化・社会・歴史など多分野にまたがる学際的研究を行うことによって、〈近世〉が誕生する場面に私たちは立ち会うことができるのではないか。
 ドナルド・キーン氏が『日本文学史 近世篇』の「仮名草子」の章で夙に指摘しているように、社会批判精神など、了意にあって西鶴にないものに対して、いまだ正当な評価がされているとは言えないようである。