今日から万葉第四期に移る。
第四期に配分される九百首ほどの歌のうち、その半数以上の四百七十首余りが大伴家持の歌である。それら家持の歌の中で「花」という語(「卯の花」などの花名、「春花」「初花」などの他の漢字と複合語を構成する場合も含む)を含む歌は五十四首を数える。家持の作品における「花」の重要性を示唆する数字だと言っていいだろう。
家持の弟書持が天平十三年(741)四月二日に、久邇京赴任中の兄に送った歌に「常花」という言葉が出てくる。これは集中この一例のみ。
橘は 常花にもが ほととぎす 住むと来鳴かば 聞かぬ日なけむ(巻第一七・三九〇九)
「常花」とは「永久に咲いている花」という意である。しかし、それが不可能であることを前提としての詠歌であること、言うまでもない。
天平十九年(747)三月二十日、家持は、「恋緒を述べし歌一首 短歌を併せたり」と題された長歌一首と短歌四首を詠んでいる(巻第一七・三九七八~八二)。左注には、「右は、三月二十日の夜裏に、忽ちに恋情を起こして作りしものなり」とある。病癒えて、五月に税帳使として都に赴くことが決まり、長らく会えなかった都の妻坂上大嬢にもうすぐ会えるという恋情がこの歌を詠ませたことがわかる。その長歌のはじめの方に、「相見れば 常初花に 心ぐし めぐしもなしに はしけやし 我が奥妻」という表現が見られる。この「常初花」も、先の書持の歌の「常花」と同じく、集中この一例のみである。「永久に新しい花」「いつも咲きはじめたばかりの花」の意。
これら二語について、川口論文は次のように注解している。
これらの語を背後で支えるものは、花は散るべきものという思想であって、その逆理としての希求が「常」という語を生んだのである。かつて記紀歌謡においては、花は散っても散っても咲き出るものであった。人の散り果てるのはおおいがたい事実であっても、花は年ごとに新しく生命を吹きかえすことによって、記紀歌謡びとの“永遠”を象徴した。だが万葉も第四期になると、花は生命を吹きかえすものである以上に、散るべきものという摂理を重くになうことになった。「常(初)花」の語は、あまりにも見事に花の敗北を告げている。(川口前掲書、35頁)
永遠へのかなわぬ希求を「常」の一字に込めた「常(初)花」という造語は、〈花〉の無常の自覚をその言外に前提する。しかし、それと同時に、その無常ゆえのその都度の美しさ・初々しさへの限りない愛おしさもまたこれらの語には込められている。