内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

〈主体〉再考(2)― 「主体的」と「主観的」とは互いに反意語である

2018-02-21 04:38:49 | 哲学

  『生物の世界』の中で今西の生命観がよく表れている「一 相似と相異」の一節を読んでみよう。

われわれは、われわれがわれわれに認めるような生命を無生物にも認めようとは思わない。しかし無生物には無生物の、無生物らしい生命というものがあったって、一向差支えはないのである。それを何でも擬人化して考えないでは気がすまなかったところに、無生物の生物化が主観的な、非科学的な態度として排斥される理由があったのと同じように、われわれの本来の認識、われわれの本来の主体的反応に背いて、動物をさえ擬物化し、動物をさえ一種の自動機械と見なそうという、生物の無生物化は、これもまた主観的な、非科学的な態度であるとの、譏りを受けねばならないであろう。(『生物の世界 ほか』中公クラッシクス、20頁)

 無生物をなんでも擬人化して考えるという意味での「無生物の生物化」も、動物までも自動機械の一種と見なそうとする「生物の無生物化」も、主観的で、非科学的であるという点では同じだと批判している。
 この一節で用いられている「主体的反応」という表現は、この一節以前にも繰り返し用いられている。どういう意味においてか。主体的反応とは、生物個体が環境を構成するいろいろな要素に対して、それらとの類縁関係に応じて引き起こす反応であるという意味においてである。主体的反応とは、個体がそれに属するところの種に共通に見られる反応であり、その反応の担い手が主体である(先取りして言うと、今西自然学において、いかなる種にも属さない単独の個としての主体は、定義上ありえない)。この主体は、一方的に環境に作用を及ぼすのではなく、類縁関係の親疎に応じて、環境から働きかけられ、それに適応しつつ、環境へと働きかける。「環境の主体化はすなわち主体の環境化」(132頁)だと言われる所以である。
 他方、「主観的」であるとは、人間が、その環境認識において、相互連関的な作用を一切認めず、一方向的な作用しか認めない態度を取ることを意味している。つまり、この文脈では、「主観的」は「主体的」のまさに反意語なのである。
 ところが、この一節の中の、「それを何でも擬人化して考えないでは気がすまなかったところに」から「これもまた主観的な、非科学的な態度であるとの、譏りを受けねばならないであろう」までのの一文の仏訳においては、「主体的」も「主観的」も « subjectif » あるいはそれから派生した副詞 « subjectivement » と訳されている。

On peut reprocher au point de vue anthropomorphique d’être un point de vue subjectif et non scientifique ; mais on peut faire le même reproche à l’idée selon laquelle les animaux ne seraient que de la matière ou des automates : car nous réagissons subjectivement à eux en tant qu’êtres vivants.

Le monde des êtres vivantsop. cit., p. 52

 日本語原文の一文は、かなり長く、しかも構文的にもいささか複雑であるから、それを二文に分けて訳したのは、むしろ賢明な選択だと言っていいだろう。原文での同一表現の繰り返しをそのまま直訳することは、フランス語では躊躇われるのもわかる。しかし、仏訳の最後の一文で « subjectivement » を用いたことは、致命的である、と言わざるをえない。なぜなら、上に述べたように、「主観的」と「主体的」とはこの文脈で互いに反意語だからである。
 それ自体は環境世界に帰属せず、それに対して超越的な認識主観と、環境世界のネットワークの中の一要素として環境から働きかけられ、それに適応し、働き返す生物主体とは、認識論的にも存在論的にも相容れない。にもかかわらず、「主観」と「主体」とを同じ « sujet » あるいはその派生語を用いて訳してしまうと、どうしても上掲の訳のような矛盾した論述になっていまう。
 問題は、しかし、単なる訳語の選択の適否にあるのではないことは言うまでもなかろう。フランス語では ― そして他の欧米言語も同じことだが ―、« sujet » という一語が、「主観」と「主体」との認識論的・存在論的差異を隠蔽してしまっていることこそが問題なのである。

 












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