内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日々の哲学のかたち(16)― 精神(霊)に命令するのは誰か

2022-06-22 07:00:02 | 哲学

 Exercices spirituels を日本語に訳すことを避けてきた理由の一つは、 spirituel に「精神的」あるいは「心的」をあてることによって、この exercices における身体的側面が軽視されかねないからです。もっとも、これは原語自体が孕んでいる問題ですから、訳をどうするかということよりも、spirituel という言葉をどう理解するべきなのかということのほうがより重要な問題だと言ったほうがよいでしょう。
 肉体あるいは身体の魂(âme)あるいは精神(esprit)に対する関係は、一言で言えば、exercices がそれによって実行され、そこにおいて具体的な形をなす場所ということです。両者は、一つの全体をなす互いに不可分な両部分というばかりでなく、相互的に有機的な関係にあり、肉体(身体)なき魂(精神)にも魂(精神)なき肉体(身体)にも exercices spirituels は実行不可能です。
 ESP の第五章は « Apprendre l’usage du corps » と題されていて、生き方としての哲学にとっての身体の使い方がその主題です。この章には古代から現代まで十人の哲学者たちのテキストが集められています。その中から二つ紹介しましょう。今日はモンテーニュの『エセー』第二巻第一七章「うぬぼれについて」の一節を読みましょう。宮下志朗訳と関根秀雄訳(国書刊行会 2014年 ありがたいことに青空文庫で全巻無料で読めます)、そしてモンテーニュ時代の仏語原文です。

肉体は、人間存在の主要かつ重要な部分にほかならない。したがって、肉体がどのような仕組みと構造をしているのかを、しっかりと考慮にいれる必要がある。肉体と精神という、われわれにとって主要な二つの部分を、別々に切り離してしまおうと考える人々はまちがっているのであって、逆に、この両者を連結して、結びつけないといけない。精神に命令して、自分だけ脇にひっこんで、勝手に楽しんでいて、肉体を軽蔑したり、見捨てたりしないようにして――そのようなことは、自己欺瞞の見せかけでしか、できるはずもないのだが――、むしろ、肉体の味方となり、これを抱きしめて、慈しみ、助け、抑制し、助言を与え、立て直し、道を踏み外した場合には、連れ戻さないといけない。要するに、肉体を妻となして、自分はその夫として仕える必要があるのだ。そして、この両者の働きが、ちぐはぐで、対立するのではなく、一致した、一心同体のものになるように努めないといけない。

肉体は我々の存在の大きな部分であって、そこに重要な役割をもっている。それで体の恰好や釣合が重要視されるのは当然である。我々の主要なこれら二つの部分を引離し、霊と肉とを別々にしたがる人々は間違っている。あべこべに両者は結び合わせなければならない。霊魂には片隅に引込んだり・独りぽつねんと構えたり・肉体を無視したり・放棄したり・なぞするように命じないで(それにそんなことをいったって、いくらか猫かぶりでもしないことには、到底それはできっこないのである)、かえって肉体に結びつき、これを抱擁し、これを愛し、これを助け、これを制し、これに勧告し、これが迷いかけたらこれを常道に引き戻すよう、要するにこれと結婚しこれの夫となるように、命じなければならない。そうやって両方の成果がちぐはぐな食いちがったものとならず、調和一致したものとなるようにしむけなければならない。

Le corps a une grand’part à nostre estre, il y tient un grand rang ; ainsin sa structure et composition sont de bien juste consideration. Ceux qui veulent desprendre nos deux pieces principales et les sequestrer l’une de l’autre, ils ont tort. Au rebours, il les faut r’accoupler et rejoindre. Il faut ordonner à l’ame non de se tirer à quartier, de s’entretenir à part, de mespriser et abandonner le corps (aussi ne le sçauroit elle faire que par quelque singerie contrefaicte), mais de se r’allier à luy, de l’embrasser, le cherir, luy assister, le contreroller, le conseiller, le redresser et ramener quand il fourvoye, l’espouser en somme et luy servir de mary ; à ce que leurs effects ne paroissent pas divers et contraires, ains accordans et uniformes.

 肉体(corps)と精神(âme)あるいは霊と肉との関係を婚姻関係になぞらえるのはモンテーニュの独創ではなく、十五世紀のスペインの神学者レーモン・スボンが『自然神学』のなかで繰り返し説いていることです。
 この一節だけを読むと、肉体と精神とはどのような関係であるべきかモンテーニュが考えているかはわかりますが、素人として気になるのは、誰があるいは何が精神に命令するのか、ということです。文脈からして、それは肉体ではありえません。命令するものは精神でも肉体でもない何かでなければならないはずです。それは一体何でしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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