内的自己対話-川の畔のささめごと

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「ものはかなき」世界の自覚 ―「心身景一如」論のための覚書(四)

2015-02-24 06:12:33 | 哲学

 唐木順三の名著『無常』については、昨年11月25日の記事ですでに一度取り上げているが、それを今一度、今回の論考のために参照する。ただ昨年の記事の時もそうだったが、『無常』の全体を対象とはしない。本論考の問題領域に直接関係する同書第一部「はかなし」のみに、その中でも特に「「はかなし」という言葉」「かげろふ日記」の二つの節にここでは関心を集中させる。
 「はかなし」についての思考の端緒を唐木に与えたのは、岩波の日本古典文学大系第二十巻所収の『和泉式部日記』の冒頭、「夢よりもはかなき世のなかを嘆きわびつつ明かし暮らすほどに」についての遠藤嘉基による補注であった。その初めの七行を読んで、唐木は「あっと息をのむ思いがした」という。この補注は、本論考の主題にとってもきわめて重要な論点を含んでいるので、まずその全文を引こう。

「夢」を「はかない」と言った例は、古今集を始め多い。この日記にも「はかもなき夢をだに見で明かしては」とある。その「夢」よりも「はかなき世のなか」である。ここで、「はかなき」が「世のなか」の客観的な属性を示すと共に、「世のなか」への、言語主体の情意をも示していることに注意したい。国語の形容詞とは、そういうものである。(時枝誠記『国語学原論』)語源は「はかどる」「はかがいく」などの「はか」と同じか。「ちょっとした」「とりとめもない」と「たのみにならぬ」「かりそめ」との、二つの口語訳が考えられるが、これは、属性情意のいずれを、その場面で重く見るかの相違に基づくものであって、もともと、この二つの間にはっきりと線が引けるものではない。したがって、理解への手がかりとして、右のいずれかを訳として取るにしても、適確な口語訳を与えることは難しい。「夢よりも」の「も」に、詠嘆のひびきを汲みたい(447頁)。

 日本語の形容詞の二重の性格としての属性・情意性についてのこの補注での言及が、私たちが一昨日の記事で取り上げた時枝誠記『国語学原論』の当該箇所を念頭に置いてのことであることがここからわかる(この点は、『無常』にも正確に指摘してある)。
 「はか」について、「はかどる」「はかがいく」などの「はか」と同じかと、「多少の疑義を残しながらの暗示」と唐木は書いているが、これは今日の学界の趨勢からしてもうはっきりと同じだと断定していいようである。つまり、「はか」とは、「目安として見込んだ仕事の量」(大野晋編著『古典基礎語の世界 源氏物語のもののあはれ』角川ソフィア文庫、285頁)のことであり、目方を「量る」の「はか」も、「これくらいかなと見当をつけた量、重み」で、それを実際に試してみるのが「図る」である(同書同頁)。
 「はかなし」とは、したがって、その「はか」がないさまである。つまり、生活世界にあって行動の目安となる確かな分節が見出し難い状態を指している。言い換えれば、間が間として明確な区切りをもっておらず、行動に際して頼りない思いをするような状態である。
 『蜻蛉日記』上巻の序と結びには、「ものはかなし」という形容詞がそれぞれ一回ずつ使われている。

かくありし時すぎて、世中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世にふる人ありけり。

かく年月は積もれど、思ふやうにもあらぬ身をし嘆けば、声あらたまるも喜ばしからず、なほものはかなきを思へば、あるかなきかのここちするかげろふの日記といふべし。

 参照したいくつかの注釈書には、この「ものはかなし」と「はかなし」との差異について特に言及しているものはない。ただ訳として、序の「ものはなかく」に「まことに頼りなく」、結びの「ものはかなき」に「心細い明け暮れ」と付けるか(新潮古典集成)、前者に「よりどころなく、不安定なさま」と注するのみである(岩波新日本古典文学大系)。しかし、これだけでは、なぜ、「はかなし」ではなく、「ものはかなし」なのか、よくわからない。
 実際、唐木も『蜻蛉日記』を扱っている節で、この「もの」とは何かと問い、それに自ら答えるべく二頁余りを割いて論じている。そこで次のような私たちにとってまさに傾聴に値する見解が示されている。

「もの」は名辞としては漠然とした無限定であるが、心理的にははっきりと限定されていて、それが限定された「もの」であることが説明ぬきで相互一般に理解される。そういう理解を予想しうるのは、共同心理を前提としているからである。狭い、伝承的地域社会、閉鎖された社会だからこそ、その共同心理が可能であり、それが透けて見えるということにもなるのである(中公選書版『中世の文学・無常』275頁)。

 つまり、「もの」とは、作者と読者とに共有されている、あるいは共有することが期待されている何かをその都度指しているということである。しかし、この唐木の説明をもってしても、まだ十分に接頭語「もの」の弁別的価値をよく規定しきれているとは言えない。
 大野晋の前掲書によれば、「もの」は、単なる接頭語として軽々しく扱える語ではなく、「こと」と並んで日本語の中心的な役割を果たしている(10頁)。彼自身が編者の一人でもある『岩波古語辞典』には、「もの」について次のような説明がある。

モノは推移の観念を含まない。むしろ、変動のない対象の意から転じて、既定の事実、避けがたいさだめ、不変の慣習・法則を表わす。

 言い換えれば、モノとは、「個人の力では変えることのできない「不可変性」」を核とする。「具体的には社会の規制・規定のこともあり、儀式・行事の運用でもあり、人生の成り行き、あるいは運命、あるいは道理などでもある」(大野上掲書12頁)。
 この大野説に従うならば、「ものはかなし」とは、そのような本来個人の力では変えられないはずの、人生の成り行きや運命、あるいはものの道理について、はっきりとした目安が持てなくなっている状態、さらには、それまで「不可変的」と考えられてきたものが揺るがされている状態のことだということになる(形容詞「ものはかなし」は、『蜻蛉日記』では、その上巻のみにあと三例見えるが、いずれも今述べたような語義と解することができる)。
 『蜻蛉日記』の作者、藤原道綱母にとって、世の中に「ものはかなく」生きるということは、たとえその世の中が主に男女の仲(あるいは間)のこと、特に夫兼家との夫婦生活のことに限られていたとしても、それが彼女の世の中(生活世界)のすべてであったとすれば、彼女の生きる世界全体が頼りないものとして揺るがされているということを意味しているのである。
 この「ものはかなき」世の中を生きる身の苦しさが、描き出される情景の展開の通奏低音になっているのもそれゆえのことである。『蜻蛉日記』は、「ものはかなき」世の中に心身を震わせつつ生きる作者による心身景一如の見事な言語表現の達成であると言うことができるだろう。作者の生活世界が作者によって対象的に「ものはかなし」と客観的に認識されているのではなく、世界自体が、作者において、その「ものはかなさ」として己自身に立ち現れているのである。そのような人間存在にとって根本的な実存的な「ものはかなさ」の自覚からこそ、危うき自己の存在の意味への内省も生まれてくる。
 私たちは、『蜻蛉日記』の中にも、世の中の、そしてその世の中に在ることの「ものはかなさ」の自覚(存在了解)、その自覚の上にこの世を生き続ける受苦(世界受容)、世の中の安定性の目安からの懸隔(空間分節)という三重の問題場面を見いだすことができるのである。












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