内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

根の国と黄泉の国とは大地の生と死の二つの側面を表している

2024-06-29 12:11:44 | 哲学

 『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、2011年)は「黄泉の国」の項に三段組の一頁のほぼ全体を割いている。その項を読むと、語源等推定の域をでないことも少なくないことがわかる一方で、昨日の記事で引用した西郷信綱『古代人と死』の所説を裏付ける記述もある。両者合わせて確実と思われるところと昨日の引用を補う部分とを摘録しておく。
 闇(yamï)という語は黄泉(yomï)と語源を同じくする。「黄泉」の表記は漢語の借用で、地下(黄色は土を表す)の冥界を意味する。
 天父イザナギと地母イザナミの結婚によって世界の万物が誕生したが、最後に火の神が生まれてイザナミは死に、最初の死者となって黄泉の国へ行く。追いかけて行ったイザナギは、そこで死の国における妻の真の姿をのぞき見る。それは膿が湧いて脹れあがり蛆や雷まで発生させた醜いものであった。現世に逃げ帰ったときイザナギは、黄泉の国のことを「不須也(いな)凶目(しこめ)き汚穢(きたな)き処[醜悪ナ穢レタ所]」(『日本書紀』神代第五段)と呼んでいる。イザナギが現世と黄泉の国との境(黄泉比良坂)を大岩で塞ぎ、この岩を挟んでイザナギとイザナミが絶縁したとき、永遠の時間空間に終止符が打たれ、天地、生と死が分離した。
 黄泉の国は、イザナミの死と同時に出現し、ここで彼女(死の女神、黄泉津大神)の支配する国として確立したので、イザナミそのものというべき世界である。大地そのものであるイザナミは、すべての生物が死んで帰ってくる墓場(黄泉の国)であるが、同時にそこからすべてを生み出す万物の母でもある。黄泉の国に帰ってきた死者は、ここでもう一度受胎され、再び地上世界に生み出されていく。つまり死の世界である黄泉の国は、そこから生命を生み出す生産の場(母胎)としてのもう一つの側面をもつ。
 スサノヲは、イザナミの支配するこの国のことを「妣の国根の堅州国」(『古事記』上)と呼ぶが、黄泉の国のもつそのような生産的な側面は、「根の国」の神話によく示されている。スサノヲは母を求めてこの国に入り、また未熟な若者オオナムチはこの国を訪れてスサノヲによる試練を受け、地上世界の支配者オホクニヌシへと生まれ変わって帰還した。
 オオナムチが木の「股」の間から入ったとされることからもわかるように、この国はイザナミの胎内であり、ここに入って出ることは死と再生を意味している。つまり、大地の母神イザナミそのものであるこの胎内世界は、その生み出す母の国であり生命の根源の国としての側面を強調する場合には「根の国」と呼ばれ、死の国としての側面を強調する場合には「黄泉の国」と呼ばれるのではないか。
 根の国と黄泉の国は、それぞれ同じ大地の生と死の二つの側面を表していると思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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