内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

価値と規範の区別と関係 ― ジルベール・シモンドンを読む(138)

2016-10-27 12:43:28 | 哲学

 前段落では、純粋倫理(éthique pure)と応用倫理(éthique appliquée)とが相容れぬものとして対比され且つどちらも批判の対象になっていた。前者は、実体化の倫理(éthique substantialisante)、賢者(智者)の倫理(éthique du sage)、観想の倫理(éthique contemplative)などと同段落で言い換えられているが、いずれにせよ特定の倫理学説には対応しておらず、いわば仮想敵に対するヴァーチャルな攻撃で、批判として実質的に見るべきものはない。応用倫理に対する非難の方も、何ら具体的・個別的な指摘を伴っておらず、やはり批判になっていない。それどころか、シモンドンの言う意味での応用倫理など、そもそも倫理でさえないと言わなくてはならない。
 少し過激な言い方を許していただけるならば、この段落でシモンドンがやっていることは、個体化理論に基づいた自らの倫理学説を引き立たせるために、勝てるに決まっている弱い相手二人をリングに上がらせ、しかも自ら戦わずして両者にまず対戦させ、相討ちにさせて悦に入っているに過ぎない、と言いたい。読んでいて、鼻白ろむばかりか、不愉快でさえある(ちょっと言い過ぎかなぁ)。
 今日読む段落では、純粋倫理と実践倫理とが対比され、両者ともに批判されているが、そのやり口は前段落と同工異曲である。まるで芸がない(まだ、腹の虫がすっかり収まっていないんです)。
 さて、偉大なる先哲に行儀悪く悪態をつくのはこれくらいにして、以下では、態度を改めて、フランスの先哲の所説にしおらしく付き従いながら愚考していく。
 要するに、シモンドンにとって、存在とは個体化過程であるから、倫理は、その過程に実際に寄り添うことができ、その過程を通じて価値を伝達可能な仕方で表現することができるものでなければならない。純粋倫理が憧憬する絶対的な永遠の価値(という現実世界には実現不可能な理想)と状況の絶えざる変化の中で応用倫理が四苦八苦して案出しながらも頻繁に変更を迫られる時限付き相対的規範(という混迷する現実)との両極間に、いかに準安定的に均衡を保った規範に基づいたシステムを形成し機能させるかが本当の倫理的課題だということである。しかも、その課題を引き受けるという重責を担う主体の生成過程そのものが存在の生成過程、つまりその個体化過程の一部をなしている。

À cette stabilité de l’absolu inconditionnel et à cette perpétuelle évolution d’un relatif fluent il faut substituer la notion d’une série successive d’équilibres métastables. Les normes sont les lignes de cohérence interne de chacun de ces équilibres, et les valeurs, les lignes selon lesquelles les structures d’un système se traduisent en structures du système qui le remplace ; les valeurs sont ce par quoi les normes d’un système peuvent devenir normes d’un autre système, à travers un changement de structures ; les valeurs établissent et permettent la transductivité des normes, non sous forme d’une norme permanente plus noble que les autres, car il serait bien difficile de découvrir une telle norme donnée de manière réelle, mais comme un sens de l’axiomatique du devenir qui se conserve d’un état métastable à l’autre (p. 331).

 この一節で注目すべきだと思われるのは、価値(valeurs)と規範(normes)との区別である。後者は、準安定性を保持している各システムの構造の内的整合性を示しているガイドラインであるのに対して、前者は、或るシステムの構造がそのシステムに取って代わる別のシステムの構造として翻訳されるためのガイドラインである。価値は、或るシステム内で機能していた規範がそのシステムとは別の構造をもったシステム内でも規範として機能することを可能にする、つまり規範の転導を可能にするものである。しかしながら、価値は、最終決定的な規範を現実世界内に確立するわけではない。価値が示すのは、或る準安定性から別の或る準安定性への移行過程を通じて保持される生成の公理系の向かうべき方向である。

Les valeurs sont la capacité de transfert amplificateur contenue dans le système des normes, ce sont les normes amenées à l’état d’information : elles sont ce qui se conserve d’un état à un autre ; tout est relatif, sauf la formule même de cette relativité, formule selon laquelle un système de normes peut être converti en un autre système de normes (ibid.).

 価値と規範との関係は、原理と応用との関係ではない。価値は、規範とは独立な理念的存在ではない。価値は、規範のシステム内に含まれた増幅転移能力であり、Information の状態に到達した規範である。価値は、或る状態から別の或る状態への移り行きの中で保持される。すべては相対的である、この相対性の定式だけは除いて。この定式にしたがって、或る規範のシステムは別の規範のシステムへと変換可能となる。
 この一節を読むことで、information が或るシステムから別の或るシステムへと移行しても、その新しいシステムの中で機能しうるもののことだということがわかる。裏返して言えば、ある一つの特定のシステム内でしか機能しないものは information ではない。
 少し先取りして言えば、ある一つの特定のシステム内でしか機能しない要素だけからなっているような完全に閉鎖した非コミュケーション・システム、つまり、まったく information を内包していないシステムは定義上ありえない。言い換えれば、まったく増幅転移能力あるいは転導性を内包していないシステムはシステムではない。このように完全にシステム性を欠いた個体並びに個体の集合は、存在生成過程には実在しない。
 この実存的自覚がシモンドンの哲学的オプティミズムを支えていると私には思われる。












最新の画像もっと見る

コメントを投稿