いちいちバシュラールの L’Air et les songes の « VI. Le ciel bleu » のどこを参照しているか注記はしないが、今回の連載は、バシュラールのテキストをいわば跳躍台にして、西から東へと中空に概念的な架橋を試みている。
誤読あるいは牽強附会との誹りも免れがたい逸脱的翻案もあると思う。それでもなお、私自身が〈西〉の空の〈青〉を詩的空間において捉え、そこから〈東〉の虚空への道筋をつけたい。そう願いながら、毎日、僅かな時間だが、記事を書いている間だけは、思考を集中させようとしている。
夢想する想像力が空の純粋な〈青〉を前にすることができるとき、つまり、いかなる対象もそこから追い払われた〈青〉を前にしているとき、見るものと見られるものとが同時にそこに生まれる場所に立つことができる。そのときそこでは彼方なるものと直なるなるものとが結ばれている。彼方にある見られるものと直に与えられている見るものとが結ばれている。
表象の世界から想像の領域へと身を移すとき、想像する精神と想像される物質との共生が可能になる。とりわけ、空の〈青〉がそれとして生きられるとき、その共生はより完全に近づく。そのようなあり方をバシュラールは、「現象なき現象性」(« phénoménalité sans phénomènes »)と呼ぶ。言い換えれば、それは、「最小限の現象性」(« phénoménalité minima »)である(Bachelard, op. cit., p. 219)。
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