内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

青空から虚空へ ― 西から東への哲学的架橋の試み(6)

2018-03-30 14:35:56 | 哲学

 ただぼんやりと夢想に耽れば、自ずと空の純粋な〈青〉が眼前に立ち現われてくれるわけではもちろんない。空の〈青〉へのしかるべき接近方法が要求される。それはどのような方法か。
 バシュラールによれば、懐疑という方法は、あまりにも仮想性が強く、表象から離脱するには不適切である。懐疑のかわりに、バシュラールは、「消去法」(« méthode d’effacement »)を提示する(op. cit., p. 219)。この方法は、大気を浮遊するかのような夢想によって、想像する主体の存在を最小限へと縮小し、それによって思惟する主体の存在を極限まで縮小する。
 このような方法としての夢想は、極限的な孤独へと導く。そこで、物質は、溶解し、消失する。懐疑は、懐疑の対象と共に己の形を失う。
 この方法は逆説的だ。なぜなら、イメージを消去することで想像力の根源的な性質を証明しようとしているからだ。「イメージなき想像力」(« imagination sans images »)とは、つまり、いっさいのイメージを消去することで想像力に己自身を享受させ、己の生命そのものを見出させようとする方法なのである(ibid.)。
 この方法によって私たちに開かれる世界は、〈青空〉の「透明の世界」(« le monde de la transparence »)である。その世界で、私たちは、いっさいの現われの虚しさを覚る。この世界の透明さこそが現われのうちの最も現実的なものであることを知る(ibid., p. 220)。
 〈青空〉は、「裏面なき鏡」(« miroir sans tain »)であるibid.。そこで私たちは、〈空〉を経験する。空の〈青〉と一つになる。












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