内的自己対話-川の畔のささめごと

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痛みに対する否定的態度から積極的態度への変換はいかにして可能か ― 受苦の現象学序説(18)

2019-05-29 23:59:59 | 哲学

 今日から、痛みに対する積極的態度の諸相・諸段階を見ていこう。ラヴェルの受苦論のもっとも重要な箇所であり、その重要度に応じてもっとも多くの頁が割かれている。今まで以上に注意深くテキストを考察していきたい。
 四つの積極的態度とは、順に、警告(avertissement)、精錬・深化(affinement・approfondissement)、共感(communion)、純化(purification)である。四つの否定的態度がそうであったように、四つの積極的態度も相互に密接に連関している。しかし、それだけなく、それらは痛みに対する態度の四つの発展段階でもある。
 ラヴェルは、これら四つの態度について順に論述する前に、否定的態度から積極的態度への移行過程について考察している。
痛みがあるとき、意識はつねに危険にさらされており、否定的態度のいずれかが発現する可能性はいつもある。というよりもむしろ、それらの態度はただ何らかの仕方で意識の表面から覆い隠されているだけだと言ったほうがよい。それらの態度と戦い、それを変換できるかどうかは私たち次第である。
 痛みに対する否定的な態度はなぜ生じてしまうのだろうか。それは、私たちが痛みを一つの出来上がった現実として受け取り、それを排除するか甘受するかのどちらかしかないと考えてしまうからだ。ところが、痛みは、私たちが思う以上に、私たちの精神活動と密接に結びついている。この精神活動は、痛みに耐えるだけでなく、その中に入り込み、それを我がものとしなくてはならない。
 痛みは、単なる存在の剥奪でも減少でもない。痛みの中には、積極的な要素もあり、その要素は私たちの生の中に組み込まれ、その生を変える。痛みに襲われるとき、私たちはまずそれを排除しようとする。しかし、過去を振り返ってみるとき、自分がかつて感じた痛みが自分にもっとも大きな作用を及ぼしたことに気づく。痛みが私の生に刻印を残し、私の人生に真剣さと深みを与えた。その時々に感じた痛みからこそ、生きるように定められたこの世界について、自らの運命の意味について、もっとも本質的な教えを引き出した。そう私は気づく。












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