内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

痛みの拘束は私たちの意志の対処次第で生に輝きを与える ― 受苦の現象学序説(19)

2019-05-30 13:36:34 | 哲学

 痛みと悪の間の関係という問題において、私たちにとって重要なのは、痛みそのもの価値を探すことではなく、意志がしかるべく働くときに痛みが私たちに与えることができるものを探すことである。
 確かに、痛みの中には、自己分裂があり、内的存在の葛藤、さらには断絶さえある。痛みのせいで私たちの意識の統一は失われてしまう。私たちのうちに、苦しむものと苦しみを望まないものとが同時にいるだから。しかし、私たちの裡なるこの葛藤状態こそが、痛みはほんとうに存在の剥奪なのかどうかと私たちに自問させる。
 痛みを存在の剥奪と考えることは正しくもあり間違ってもいる。それが正しいのは、痛みがあるのは私たちが何らかの損傷を被っているからである。正常な状態から何かが欠けているからである。それが間違っているのは、痛みは、私たちの意識に平常ではありえないような興奮状態を引き起こし、それに先立つ平穏な状態に対して、強烈な際立った心理状態を生じさせるからである。このことが、痛みがあたかも自分自身のもっとも個人的な部分を成しているかのように、自分の人生の中で痛みに特別な重要性を与えるようにさせる。
 痛みは私たちの意識を拘束する。私たちはそうされることを拒否しようとする。しかし、その痛みの拘束に対する私たちの意志の対処の仕方次第で、痛みは私たちの生にそのもっとも見事な発展を与える。この事実は、まさに感嘆すべきことではないだろうか。















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