内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「何もなしですませる、という至上の贅沢」― ユルスナール『東方綺譚』所収「源氏の君の最後の恋」より

2024-05-28 19:20:59 | 読游摘録

 今月このブログで何度か話題にした帚木蓬生の『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』には、「シェイクスピアと紫式部」と題された一章がある。Negative Capability という概念を創造したジョン・キーツが、それをもっとも豊かに持っていたのがシェイクスピアだと弟たちに宛てた手紙に書いていたのだから、シェイクスピアについて割かれた章があっても驚くにはあたらないが、紫式部と組み合わされているのにはいささか驚かされた。紫式部にネガティブ・ケイパビリティを見出すことには満腔の賛意を表する。
 ただ、同章で『源氏物語』に魅了された外国作家としてフランスの大作家マルグリット・ユルスナールを挙げて、ユルスナールの『東方綺譚』に収められた短編「源氏の君の最後の恋」をかなり詳しく紹介しているのは、帚木のユルスナールに対する特別な思い入れから出たことのようで、この紹介の部分がネガティブ・ケイパビリティの例証になっているかどうかは疑問である。
 それはともかく、Gallimard 社の L’imaginaire 叢書版 Nouvelles orientales でわずか十四頁の「源氏の君の最後の恋」がユルスナールならではの洗練された表現に満ちた佳品であることは確かであろう。幸いなことに、日本語でも多田智満子の名訳(『東方綺譚』白水社、白水Uブックス、1984年)で読むことができる。原書と多田訳とが現在の枕頭の書である。両者を交互に読んでいる。
 この短編のはじめのほうで目に止まった一節を書き留めておく。自らの死の遠からぬことをさとった源氏の君は、最期を迎える場所として鄙の山里にある庵を選んだ。

侘住居は楓の老木のかげにあった。折しも秋の候、この美しい樹は庵の屋根を金色の落葉で覆っていた。この地での孤独な生活は、波瀾に富んだ青年時代、異郷で過ごした長い流謫の日々よりもさらに簡素でさらにきびしいものであって、この洗煉されきった貴人は、何もなしですませる、という至上の贅沢を遂に心ゆくまで味わうことができたのである。

La maisonnette s’élevait au pied d’un érable centenaire ; comme c’était l’automne, les feuilles de ce bel arbre recouvraient son toit de chaume d’une toiture d’or. La vie dans cette solitude s’avéra plus simple et plus rude encore qu’elle ne l’avait été au cours du long exil à l’étranger subi par Genghi durant sa jeunesse orageuse, et cet homme raffiné put enfin goûter tout son saoul au luxe suprême qui consiste à se passer de tout.