内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「健康の灯火が消えたときに見えてくる未発見の国々」― ヴァージニア・ウルフ「病気になるということ」より

2024-05-13 13:48:52 | 読游摘録

 すでに何度か話題にしたことだが、この一月に「大病」をしてから、それ以前に比べて、自分の体のことが何かと気になるようになった。ジョギングは毎日続けているが、続けて走れる日とそうでない日との落差が大きくなった。調子が良い日は二〇キロ以上走っても何でもない。まだまだ走れそうなところで止めているくらいだ。ところが、調子が悪い日は一キロも続けて走れない。呼吸が苦しくなってしまう。しばらく歩いていると、喉から胸のあたりにかけての締め付けられるような感じが徐々に軽減していくが、また走り出すと同じように呼吸が苦しくなってしまう日もある。それを避けるべく用心してゆっくり走り、ほんのわずかでも変化を感じたらすぐに歩くようにしても、かえってその歩いている間に胸のあたりが苦しくなってしまうこともある。
 日常生活に支障が出るほどの不調ではなく、ましてや横臥してしばらく休息しなくてはならないような疲労を日中覚えることはないのだが、健康に不安を覚えるようになったし、一月のインフルエンザどころではない大病を近い将来に患うかも知れないし、急性の重篤な疾患に突如襲われないとも限らない。それらは遅かれ早かれ訪れるものなのだろうという心構えも生まれた。
 ヴァージニア・ウルフは「病気になるということ」(On Being Ill)というエッセイを一九二六年に発表している。ウルフは度々インフルエンザに罹っているが、このエッセイも一九二五年に何度目かのインフルエンザに罹患した後に構想された。病気についてのウルフ独自の実存的考察が文学的想像力と綯い交ぜになって披瀝された文章である。英語原文はこちらに無料で公開されている。それだけでなく、片山亜紀氏による新訳(二〇二〇年)が早川書房のこちらのサイトで訳者解説付きでやはり無料で公開されている。
 その書き出しはこうである。

考えてみよう。病気とは誰でもかかりうるものである。魂にもたらされる変化はとてつもない。健康の灯火が消えたときに見えてくる未発見の国々には驚くべきものがある。インフルエンザに少しやられただけで、魂の荒野と砂漠が見えてくる。少し熱が出ただけで、鮮やかな花々の咲き乱れる崖と芝生があらわになる。病気にやられると、私たちの内部に根を張る頑丈な樫の老樹たちが根こそぎ倒れてしまう。死の淵に沈み、これがとどめとばかりに覆いかぶさる水を浴びて目を覚まし、天使やハープ弾きに囲まれているのかと思うこともある。

Considering how common illness is, how tremendous the spiritual change that it brings, how astonishing, when the lights of health go down, the undiscovered countries that are then disclosed, what wastes and deserts of the soul a slight attack of influenza brings to view, what precipices and lawns sprinkled with bright flowers a little rise of temperature reveals, what ancient and obdurate oaks are uprooted in us by the act of sickness, how we go down into the pit of death and feel the waters of annihilation close above our heads and wake thinking to find ourselves in the presence of the angels and the harpers.

 私もこれから「健康の灯火が消えたときに見えてくる未発見の国々」を訪れることになるのかも知れない。